kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

維新は筑紫哲也&菅直人よりも久米宏&小沢一郎の系譜に連なるのではないか?

 昨日発信されたと思われる下記ツイートにかなり強い違和感を持った。

 

 

 筑紫哲也が国内の経済政策について熱心に語っていた印象は私には全くない。筑紫といえば海外のニュースという印象を持っている。

 ツイート主はおそらく筑紫や菅直人新自由主義的だったと言いたいのだろうが、NEWS23が始まったのは1989年秋であって、その頃には自民党で既に小沢一郎が権勢を振るっていた。当時はまだ新自由主義という言葉はなかったが、かつ安全保障政策でもタカ派であるばかりか、小さな政府を掲げる経済右派の政治家というイメージが当時から小沢にはあった。

 1993年にその小沢が突然「改革派政治家」面をしはじめた時には驚いたものだが、当時NEWS23よりもずっと「政治改革」に好意的だったのは久米宏ニュースステーションだ。もちろん久米よりもさらにずっとひどかったのがサンデープロジェクトと朝生の田原総一朗だったが。

 あと、行財政改革だけなら小沢一郎以上に目立っていた自民党の政治家は橋本龍太郎だった。小沢にせよ橋本にせよ経世会にだって清和会に負けず劣らずの新自由主義政治家はいた。菅直人は第1次橋本内閣時代の厚生相だったが1996年の衆院選後は菅が属していたさきがけは社民党とともに連立政権から外れた。また菅が親しかったのは小泉純一郎ではなく加藤紘一だ。2000年の「加藤の乱」で、加藤は「私の携帯には菅さんの番号が入っている」という有名な言葉を発した。

 そんなわけで、80年代末から90年代にかけて新自由主義的主張をしていた自民党の政治家といえば小泉純一郎以上に小沢一郎橋本龍太郎だし、民放の報道番組ではNEWS23よりもニュースステーションだったと私は認識している。なお昨年(2022年)亡くなった朝日新聞早野透もずいぶん小沢らの政治改革を後押しした。早野も田中角栄との付き合いが深く、田中派系にシンパシーを持つ政治記者だったと記憶する。

 当時の橋本龍太郎小沢一郎、それに2000年代に入ってからは小泉純一郎ももちろん加わるけれども、彼らの系譜を継ぐのが維新の政策であろう。YKKでも加藤紘一は小泉とはかなり政策が違う。繰り返すが菅が近かったのはその加藤だ。

 そうそう、11年前の2012年に小沢一郎は「私の考えは橋下市長と同じだ」と口癖のように言っていた。