kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

山本太郎、イギリスのウクライナへの劣化ウラン弾提供を批判したのは良いが、ロシアのウクライナへの核兵器使用を示唆する脅し文句には一言も批判できないダブルスタンダード

 sumita-mさんのブログ記事より。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

 おお、坂本龍一の著書が文庫で出てるのか。これは買わなきゃ。今年のGW5連休の課題図書がまた一つ増えたかな。既に3タイトルを同時並行的に読んでいる。なにしろこのチャンスを逃したら、今年は多分年末まであまり暇がない。シルバーウィークもないし。

 上記は前振り。

 

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そして、「先の大戦でも日本が戦争をしかけたことは事実だ。しかし、日本には日本の言い分があったのではないか」と、ロシアのウクライナ侵攻と、第二次世界大戦の日本を重ねた。

 

また、「ウクライナ問題が始まってから『停戦』という言葉を使っているのは、鈴木宗男ただ一人だ」とした上で、「日本国民を含めて世界の人は、一日も早く(戦闘を)やめてほしいという思いだ」と述べ、停戦交渉の重要性を強調。


この点についても、大戦を引き合いに、「半年早く日本が降伏していれば、東京空襲も沖縄戦もなかった。広島、長崎に核が落とされることもなかった」と述べ、「日本の経験をウクライナにさせてはいけない」と語った。

ここから読み取れるのは、鈴木宗男ウクライナに要求しているのはたんなる「停戦」ではなく「降伏」だということだ。堪へがたきを堪へ、忍びがたきを忍び。さらに、「降伏」しないなら、原爆を落とされても文句を言うなということ。

 

URL: https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2023/05/01/092450

 

 宗男は「停戦」と言った舌の根も乾かないうちに「半年早く日本が降伏していれば」なんて言うんだから、「語るに落ちる」の見本みたいなものだ。

 そんな宗男まで「即時停戦派」に含まれてしまうのだろうか。

 

私は凄い親蘇聯的な環境で青春時代を過ごしたのだった。私が大学に入る直前に中越戦争(中国のヴェトナム侵略)が勃発したのだった。私が入学した井上円了大学では、民主主義学生同盟(民学同)新時代派という党派が社会学部、経営学部、文学部史学科、文学部国文学科の自治会を押さえ、最大勢力として君臨していた*3。この 民学同というのは1960年代に蘇聯派として日本共産党を追放された志賀義雄の日本のこえと関係する組織で、当然親蘇聯であり、当時の状況では、侵略する側の中国共産党ポル・ポト派を糾弾し、ヴェトナムの防衛戦争を支持していた。私が生涯で最初に目撃した〈内ゲバ〉というのは、毛沢東主義者が 民学同の諸君にかけた襲撃だった。さらに、向坂逸郎の弟子ともいうべき社会主義青年同盟社青同)協会派が文系サークルの集まりである第一文化団体連合(一文連/文連)を牛耳っていて、これが第2勢力だった。何方も「ソ連寄り」だったけれど、民学同と協会派の関係は非常に険悪なものだった。私たちは、そりゃあ正妻と愛人は仲が悪いに決まっているよねと言っていた。こんな環境にいながら、私は別に「ソ連寄り」にはならなかった。また、多くの〈一般学生〉にとっては「ソ連寄り」云々というのは知ったことじゃなかった筈だけど。

 

URL: https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2023/05/01/092450

 

 私は学生時代の学内では定番ともいうべき中核派革マル派内ゲバしか耳にしたことがなかったので、これを読んでびっくり仰天した。志賀義雄系と社会主義協会系ではそりゃ仲は悪いだろう。「正妻と愛人は仲が悪いに決まっている」には笑ってしまった。でも社会主義協会派ならソ連には妙に甘かったけれども日本国内で暴力革命を肯定していた印象はない。実際、上記引用記事でも毛沢東主義者たちが志賀義雄系に暴力沙汰を起こしていた。

 なお、右翼方面では原理研究会統一教会系)は普通にのさばっていた。1980年代前半に学生生活を送っていた人間として、2006年に安倍晋三統一教会に祝電を送っていた知った時*1にはありそうなことだと思ったし、2022年にその安倍が統一教会統一教会の信者2世に殺されたことも因果応報だと思えなかった*2

 

蘇聯と露西亜の関係も複雑なところがあると思う。「リベラル」である人がプーチンに「理解」を示してしまうというのは〈反米〉というバイアス故なのではないかと思ってしまうのだけど、どうなのだろうか。

 

URL: https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2023/05/01/092450

 

 仰る通り、結局「〈反米〉というバイアス」が最大の要因なんでしょうね。

 確かに1991年にソ連が崩壊したあとのロシアは社会主義国ではなくなり、それどころかプーチンなんかは帝政ロシアに郷愁を抱く世界中の極右の親玉みたいな存在だと言われている。しかしそれならそれで左翼はもちろんのこと、リベラルにとってもプーチンは忌むべき人間になるはずなのに、山本太郎なんかは街宣で米大統領のバイデンを呼び捨てにする一方で「プーチンさん」なんて言ったらしい。まあ山本は左翼でもリベラルでもない自称「保守ど真ん中」の人だが。なお私ならバイデンもプーチンも呼び捨てにする(笑)。だからといって決して「どっちもどっち」論者ではない。

 山本太郎については、宮武嶺さんのブログ記事中にあった下記の文章に注目した。

 

blog.goo.ne.jp

 

この日曜討論

「唯一の戦争被爆国だとお話がありましたけど、一方で加害者であるアメリカに対して、公式に謝罪と反省を求めたことはありますか。バイデン大統領が広島に来るんだったら、直接アメリカの責任問題を提起し、そして公式な謝罪と核不使用ということの約束を求めるべきなんですよ。で、岸田政権、『核なき世界』っていうのを掲げながら、アメリカの顔色を伺って、核兵器禁止条約に参加すらしない、これ恥ずべき態度だと思います。総理はウクライナまで行きました、けれどもイギリスから提供される劣化ウラン弾を使用しないように求めもしなかった。核物質を使用した劣化ウラン弾は、『核なき世界』に含まれないという、ご都合主義なんですね。まずは被爆者の声を聞き、本物の核なき世界を学ばせていただく。核兵器禁止条約への参加を表明すべきです。そうでなければ、核なき世界をリードする、そんなことは不可能です」

と語ったという山本太郎れいわ新選組代表。

アメリカに対して原爆投下の謝罪を求めろという思い切った「空気を読まない」勇気ある発言はれいわならではです。

しかし、今ウクライナ核兵器を使うぞと威嚇して核戦争の危機を招いているのはロシアのプーチン大統領です。

惜しむらくは、普段かられいわと山本氏がプーチン大統領による核の威嚇をも批判していれば説得力がもっとあったのですが、イギリスからウクライナへの劣化ウラン弾供与を批判しておきながら、ロシアが核兵器を使うと脅していることは1年余りのウクライナ戦争の間に一言も批判できないのでは、偏っていて迫力がないと言われても仕方ないでしょう。

URL: https://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/4eb7db9c5f2e5fbe15463b756cd7f31f

 

 上記引用部分にヤマシン(山本太郎信者)のコメンテーターからクレームがついたとかつかなかったとかいう話もあるようだが、そりゃ劣化ウラン弾ウクライナへの供与なんか許されない、もってのほかだとは私も思う。放射線被害のある非人道的な兵器だ。でもプーチン(ロシア)が侵略戦争を始めたのがそもそもの原因なのだから、そのプーチンとロシアを非難できない点で山本太郎はダメだろう。ロシアのウクライナ侵略がなければイギリスのウクライナへの劣化ウラン弾の供給はなかったことなどあまりにも当たり前だ。

 そういえば新選組は日本の国政政党で唯一ロシア非難決議に反対した政党だが、下記のツイートで蒸し返されている大石晃子の昨年の妄言は、一体誰から吹き込まれたのだろうか。

 

 

 反米をこじらせると「敵の敵は味方」の思考になってプーチンが「敢然と巨悪に刃向かう人間」に見えるのかどうか。

 大石晃子はそういう人だし、新選組にはそういう考え方をする支持者が少なくないし、「ネットの左側」ではそういう傾向の人たちの声が結構でかいように思う。私は枯れたとは考えが違い、そもそも権力者なんてそんなに信用できるものかと思っている。私は同じ思考を立民や共産の指導者やそれを支持する人たちにも向けてしまうから、独自路線をとらざるを得なくなってしまうのだが。いったいなぜ泉健太だの志位和夫だのの善意を無邪気に前提にできるんだろうかと思ってしまうのだ。

 以上だと「批判するだけ」になってしまうので、どういう組織が望ましいと考えているかを少し書いておくと、各分野に精通した人たちの知見をいかに効率的に吸い上げて政策を打ち立てる、つまり集合知を形成できるようにすることが今後の日本社会に対応する政党の課題だと思う。いや、それは政党に限らず国内のあらゆる分野の組織で必要なことだろう。

 新選組の場合は山本太郎個人の独裁権力、共産党の場合は党執行部の独裁権力、立民は一番ゆるいけれども泉健太が用意周到な権力工作で作り上げた指導体制がそれぞれ克服されるべき対象だ。

 このうち立民だけはちょっと課題の性質が異なり、それは自民や維新とどう対峙するかに根本的な問題がある。私は縮小する方向の力が拡大する方向の力よりも非常に強く働いている現在の日本社会においては保守政党の政策は全く好ましくないと考えているので、自民や維新にすり寄る傾向が強い泉は私には絶対に認められない。一方、共産の場合は組織のあり方自体が問題だ。70代後半にしてかつての共産党シンパから立場を変えざるを得なくなった醍醐聰氏のツイートやリツイートを読むと、氏の絶望の深さに愕然とする。だが立民や共産の話は長くなるので別のエントリに回す。

 新選組については話は簡単で、山本太郎の個人商店のような政党だから、山本が吸引力を失えば終わる。早くそうなるべきだとも思うが、そうなっても立民にも共産にも包摂されない人々の漂流の問題は解決されない。というより、立民も共産もそういう人々を包摂できなかった*3からこそ元号新選組のような政党が生まれたのではないかと思う。

 解決策は泉健太が考えるような自民や維新へのすり寄りでもなければ、共産党執行部が見せているかたくなにして過剰な組織防衛のあり方でもないと思う今日この頃。

 この記事もすっきりしない終わり方になった。最近はこんな記事ばかり。

*1:17年前にこの件を知ったことが、ブログで政治について書くようになったきっかけだ。

*2:しかし、結局こういう暴力でしか止められなかったことが一大痛恨事だった。だから島田雅彦のような感想は持てない。

*3:本来は社民党の役割だったはずだとも思うが、同党はすっかり泡沫政党化してしまった。