kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

眞鍋かをりといえば城内実。2人とも「極右」の代名詞

 昨日は忙しかったし仕事の山(といっても小山くらいだが)だったのでブログは更新しなかった。ここ数年は、歳をとって体力が衰えつつあるのに反比例して仕事の負担が年々増えている。たまったものではない。

 だから、テレビのワイドショーで眞鍋かをりなる右傾芸人が蓮舫をdisったらしい件に関して、眞鍋といえば城内実だろうという、半ば暇ネタの記事を書こうと思っていたがなかなか書けなかった。

 そのうち、やはり覚えている人がXにポストしていたことを知ったので、これを取り上げる。

 

 

 上記Xを知ったのは、私が立民支持層中間派(泉健太支持系)人士のサンプルとしてヲチしているnaoko氏の下記X経由だった。

 

 

 naoko氏が「最右翼、極右ですよ」という対象は誰かと思ってスレをたどってみたら、それが城内実だったので腹を抱えて笑った次第。もっともこんな感慨を持つのは、2006〜09年に政権交代に向けて盛り上がっていったネットの政治関係一部界隈をよく知る人に限られるだろう。

 当時、「『右』も『左』もない。オレは『下』や」をスローガンに掲げた「喜八」という反自公にしてオザシン(小沢一郎信者)系のブロガーがいた。今もXその他にポストしている。彼は一時本名を前面に出し、『喜八ログ』なる彼のブログを閉鎖するなどしていたが、最近再びXなどで「喜八」を名乗るようになった(https://x.com/kihachin)。

 これは良いことだ。というのは、こちらとしては彼の本名で彼をdisる気にはどうしてもなれないからだ。つまり私のターゲットは彼本人ではなく「喜八」名義で彼がやらかした事ども(=私から見れば悪行の数々)にある。

 その「喜八」がネットで大々的に応援の旗を振ったのが、2005年の郵政総選挙で小泉純一郎に排除されて自民党の公認が受けられずに落選した城内実だった。

 城内は小泉に自民党を(一時)追われたとはいえ、その直前まで安倍晋三の腹心だった極右人士なので、私は城内を批判した。一方「喜八」は城内の師匠格だった平沼赳夫も熱烈に応援し始めたので、「喜八」と私の対立はますます激化した。そのうち私は彼らの界隈からパージされた。それが政権交代選挙の少し前の2009年6月頃だった。それらの経緯に加えて、翌2010年6月の民主党代表選で小沢一郎が「社民党にも理解される人を」推したいと言った舌の根も乾かないうちに過激な新自由主義者である樽床伸二を担いだことで、私は小沢一郎や彼の支持者や「信者」に対して決定的な不信を持つに至った。それと同時に、樽床伸二のような人間や、樽床の応援や支持ができる民主党支持系右派もはっきり嫌うようになった。後者のカテゴリに属する人たちが先の衆院東京15区補選で酒井菜摘をdisり倒していたことを、私は補選の投開票日の翌日にようやく知った。現在彼らが神経質になっているのは、都知事選に蓮舫が負けた場合、蓮舫衆院選で東京26区から出てくることで、この選挙区からは少し前に立民を離党した右派の(それも極右に近い*1松原仁が出馬する意向だ。というより、松原は立民都連に東京3区にとどまるように要請されたのに対し、新たに設けられたこの26区から出たいと言って立民を離党したのだった。だから彼らは「安全な場所からケンタ下ろしの政局を仕掛ける蓮舫は大嫌いだが、清水の舞台から飛び降りる蓮舫は熱烈応援する。でも都知事選に負けて東京26区から出てくる蓮舫は大嫌いだ」などと言っている。

 「喜八」の話に戻ると、彼らの口癖ならぬ書き癖の一つに「城内実(or 平沼赳夫)さんを極右という人がいます」というのがあった。片山さつきへのリベンジの選挙戦を戦おうとしている城内さんにそんなことを言う奴は怪しからん、「隠れ自公」だろうとでも言いたかったのだろう。

 しかし、現在では立民支持層中間派のnaoko氏がごく普通に「最右翼、極右ですよ」と書くに至っている。歴史の審判は既に下され、「喜八」の負けが確定しているのである。

 眞鍋と城内に関するXの紹介に戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 ここまでの経緯はよく覚えている。当時の私は徹底的な反城内実だったので、一方的に城内を叩く論陣を張ったが、最初にリンクした「奈良リベ丸」さんのXに貼られたポスターの画像に「弁士」と銘打たれていた眞鍋にも若干の疑念を持ったのも確かだ。このことを書くのは今回が初めてかもしれないが。

 以後は後日譚。ここから先は全然知らないか、全然覚えていなかったかのいずれかだ。

 

 

 

 

 

 つまり2014年初め頃には眞鍋は極右の世界にどっぷりはまり込んでいたわけだ。

 眞鍋がブログを始めて「ブログの女王」などともてはやされたのは2004〜05年だったが、その時期に小泉郵政総選挙があり、そのあとに大きな反作用として政権交代があった。眞鍋は自ら「保守的」な人間であると認めているようだが*2、そんな眞鍋にとっては「右」でありながら自公に挑む城内を推すことは「保守的」であることと「時流に乗ること」を両立できそうな気がしたのかもしれない。少なくとも話を持ちかけられた時点で眞鍋本人が乗り気でなければポスターに「弁士」と印刷されたりはしなかったのではないだろうか。

 

 

 上記Xに返答したnaoko氏が城内を「最右翼、極右」と適切に論評したのだった。

 

 

 上記の論評も実に適切だ。

 

 

 これには目が点になった。「自民党で数少ない善意と考えられていた城内実さん」なんてことがあってはならない。城内の極右の正体は広く知られなければならない。

 

 

 私は眞鍋の名前もすっかり忘れていたが、これを機に眞鍋の正体も知られるべきだろう。

 

 

 

 そりゃダメに決まってますよ。城内実眞鍋かをりも。

*1:松原仁城内実ともども、晩年に極右化していた故すぎやまこういちに応援歌を作ってもらったことがある。

*2:https://www.sona-mira.co.jp/articles/life-design/2023/02/ikikatahen-manabekaori01.html