kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「泉健太の推薦人がなかなか集まっていなそうにみえる」のはなぜか?

 時間がないのであえて枝野幸男の話はしない。なぜかまだ出馬表明していない泉健太について。

 

 

 埋め込みリンクで見える部分のあとに下記の文章が続く。

 

そりゃないよなあって思ってしまう。  枝野幸男を推したい自分でも、枝野さんVS野田さんの構図は芳しくないと思う。それじゃ、2011年の代表選みたいだ。

 

 本当に泉に推薦人が集まっていないのか、それとも何らかの理由があって泉がステルス作戦をとっているのかは外部の人間には全くわからないが、泉という人は内面(うちづら or ないめん)と外面(そとづら or がいめん)がかなり違う人なんじゃないかとは薄々感じている。

 

 

 2番目の2022年参院選大惨敗は結構あると思うが、それよりも外からと内部での泉の印象が全然違う要因が大きいのではないか。

 弊ブログで昨年からずっと指摘してきた通り、泉健太及び彼のグループは結構組織内では強権を発動する。

 その一番良い例が総支部長(衆院選候補予定者)人事であって、「天皇」と呼ばれる東京都連の手塚仁雄(野田G)でさえ交代させた落選者は参院選転出者を除いて1人(井戸まさえ氏)だけなのに、泉Gの森本真治が独裁しているという広島県連では、既に後任総支部長を決めた3区を含めて3人に非情の退任をさせた(=解任した)という(さとうしゅういちさんによる)。

 こういう組織内人事の強権発動が旧立民の人たちに嫌われている、あるいは敬遠されているのではないか。そのように私は推測している。そしてそれは、政党内部の人たちにとっては自らの処遇に直結する話だから、泉を嫌ったり敬遠したりする気持ちは、私には非常によくわかるのである。なぜなら私自身も組織内人事でひどい目に遭った人間だからだ。

 この観点からいうと、同じ政治おじいちゃんお化け氏がリポストしている下記Xが指摘する風潮が立民支持層にあるとすれば、これは由々しきことだ。

 

 

 組織内人事決定のプロセスの民主化を求める当然の意見に「ノイホイ(菅野完)の手先」などとレッテル貼りをことは、神谷貴行(紙屋高雪)氏や大山奈々子氏への共産党の処遇を正当化する「共産党信者」たちと全く変わらない心性の表れだとしか私には思えない。

 弊ブログはその双方、つまり立民信者や泉信者と共産党信者の両方を強く非難する立場に立つことをここに明言する次第。