12月に入って、新聞(主に朝日)の紙媒体をとっていた頃だと、来週あたりから夕刊に各分野での1年の「回顧」を読む時期だが、紙媒体とネットとではやはり勝手が違う。
2024年の日本の政治についていうと、外形的には「官邸一強」が10月の衆院選で12年ぶりに崩れた年であることはいうまでもない。それを実現させたのは「フランス革命」的な要因と「ナチスの勃興」的な要因が同時に起きたといえるのではないかと考えている。前者については、衆院選中に弊ブログでも取り上げた江東区(東京15区)・高野勇斗立民区議のXが11月26日に再度投稿された。
【今必要なのは、私たちと同じ目線で「それはおかしい」と言える候補者】衆議院議員選挙の候補者討論会のコメント欄に、カンペを見てるとか、棒読みだとか、アドリブが効かないとか、経済政策がわかってないとか、10年以上前の投稿がヤバいとか再三再四、攻撃材料として使われているのだが、我々の戦略…
— 高野はやと 江東区議会議員|東京15区 (@takano_hayato38) 2024年11月26日
前回は全文引用したと記憶するが、今回は途中から引用する。
「長い者には巻かれろ」が多すぎるので、その状況が温存されている。だから「自民党じゃないと変えられない」とか、若者がある種の”あきらめ”を口にするようになるのである。それは個人の問題ではない、今の政治の状態そのものが、彼の思考に影響を与え戦う気を失わせているのである。
そうした政治と決別するのは、いつの時代も市民の力である。革命と言われるほどの強い力が必要である。重税に苦しむのは、いつも市民である。そして、その市民とは誰か。ヴェルサイユ宮殿にパンを求めて行進したのは名もない女性たち、市井の人々である。今求められているのは、パンを求める女性たちの声を、同じ感覚で、同じ目線で代弁できる人である。第一身分、第二身分の特権階級によって虐げられてきた平民の声である。それが下からの民主主義、草の根の民主主義である。大所高所から国家観を語り、自信満々に語る人間ではない。そして、それは声を聴くだけではなく、日々自分に足りないところに気づき、勉強し成長を続ける人間である。知識が不足していたら知識を補えばいいのである。
だから討論会では、取り繕うな、背伸びするな。かといって、逃げるなということである。間違っても、安全保障や経済政策をその浅い知識で語るな。私たちと同じ目線、同じ感覚で「それはおかしい」と言える人が今の江東区では求められているのである。我々と対話を重ね、共に成長できる人が求められているのである。徹底的にそこを突き詰めれば、自然と共感する人は増える。雑音に囚われず、方向を間違えなければ必ず勝つ。
高野はやと@江東区
2024年10月22日(衆議院議員選挙9日目)
URL: https://x.com/takano_hayato38/status/1861334346260717657
最後の段落に「江東区では」とあるが、いうまでもなく日本全国に当てはまることだ。それが特によく当てはまるのが東京都江東区だったということに過ぎない。
東京15区では、幸いそのような「安全保障や経済政策」については現時点では「浅い知識」しか持っていない前職(それも敵失で補選に勝っただけ)*1が再度勝った。下記Xにみられるような過去を「文春砲」に暴かれた、若いくせに操り人形みたいな、そのくせなぜか小賢しい自民党候補を(選挙区では)打ち破って。
「21年10月に厚労省から公募申請型『新型コロナウイルス感染症セーフティネット強化交付金』として、約1億6600万円の補助金を受け取っている(後に一部返還)。当時『あなたのいばしょ』は法人化から1年も経っておらず、事業費もわずか21万円程度。にもかかわらず、多額の補助金が支給されたことに疑問… pic.twitter.com/egRJ0WQOV6
— 週刊文春 (@shukan_bunshun) 2024年11月30日
高野区議は同じ戦略で「来年も勝つ」と書いている。衆参同日選挙を念頭に置いているのだろう。
この戦略で来年も勝つ。
— 高野はやと 江東区議会議員|東京15区 (@takano_hayato38) 2024年11月26日
今必要なのは、私たちと同じ目線で「それはおかしい」と言える候補者|高野はやと@江東区 #立憲民主党 #江東区https://t.co/d1V8tnIuWZ
来年に衆参同日選挙が行われるかどうかについては私は大いに懐疑的だが*2、可能性がある以上それに備えなければならないのは当然だ。
ともあれ衆院選東京15区はそれで勝ったし、選挙全体でも自公が大敗した。それは良かった。しかしその反面、ナチスの勃興になぞらえたくなるような選挙結果も少なくなかった。東京都知事選での「石丸伸二現象」、前記衆院選で「手取りを増やします」のワンフレーズで躍進した玉木雄一郎の国民民主党、それに2週間前の兵庫県知事選で、あの立花孝志の応援を得て斎藤元彦が大逆転勝利したことなどだ。
それらは、前記フランス革命的な要因と同じ動機から生まれたものだと思う。ひとことでいえば「反権威主義」だ。それが「個の確立」に向かえば良いのだが、ほかならぬフランス革命でもそうはならなかった。まず革命を担った勢力が尖鋭化して血の粛清に走ると、独裁者ナポレオンが現れ、その後長い反動の時代に入った。そして20世紀にはよくできた「ワイマール憲法」(1919年公布)下でナチスの独裁が成立した(1933年)。「反権威主義」は一方では共産党を弱体化させた。これはもう人間の心理として自然に起きる現象だからどうしようもないと私は思う。個を確立したいという欲求は人間誰しも持っているのではないだろうか。このあたりは「科学的社会主義」を信奉する人たちにも課題としてよく考えてもらいたいものだ*3。その一方で、「反権威主義」は群集心理とも結びつきやすいのではないだろうか。
西洋史においては離れたタイミングで起きた事柄がほぼ同時に起きたのは、(政治思想における)後進国にはありがちなことではないか。前世紀にも、資本主義の後進国だったロシアで共産主義革命が起きた例がある。
来年は、石丸・玉木・斎藤、それに立花のような連中との戦いが大きな課題になるのではないかと思う。