kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

一般に減税は貧困層から富裕層への所得移転。財源があるなら支払った者に返す(普通は富裕層ほど多く返される)のではなく、福祉や再分配に回せばいいだけ。左派も言説を変えよう。(北守さんのXより)

 連合会長の芳野友子がまた立民と民民に政策合意を呼びかけている。

 

 

 しかし私は、上記Xについた下記コメントのXを支持する。

 

 

 立民は、少なくとも今の民民と組むべきではない、というより組んではならない。

 

 

 かつてというか少し前はそうだったかもしれないけれども、今の民民はポスト主が「夜警国家を目指そうとしている人間」と書いた時に想定しているに決まっている、玉木雄一郎という維新よりももっと過激な究極の新自由主義者に牛耳られ、支持層のおそらく8割くらいはその玉木を熱狂的に支持する人たちだ。少なくとも「玉木バブル」が弾けるまでは立民は動くべきではない。立民と維新との参院選候補一本化構想も邪悪だが、今の玉木にすり寄ることはもっと邪悪だ。

 特に若年層に玉キッズたちが目立って多い。

 下記は11月17日のkazukazu氏(イギリス在住)のX。

 

 

 そして下記は昨日(12/8)の同じkazukazu氏のX。

 

 

 私は立民が左派政党だとは思わないが、この支持率2.1%というのは本当に危機的だろう。よく言われることだが、18〜39歳では共産党の支持率も低く、左派を自認する人たちの支持が党名に元号を冠した政党に流れるという倒錯した傾向が顕著だ。

 

 

 レバ子氏のXに戻る。

 

 

 裏を返せば、1973年にチリでピノチェトが起こしたクーデターを自民党以上に熱心に支持したのが民社党だったのが歴史的事実だということだ。韓国の尹錫悦のクーデター未遂では、維新前代表の馬場伸幸が馬脚を現したが、玉木も馬場と同じ心情だったのではなかろうか。

 

 

 1980年に戒厳令を出して権力を奪った全斗煥の時代もさることながら、その前年の秋に射殺された朴正煕時代の日韓の癒着は本当にひどかった。1973年の金大中事件とかね。1973年当時私は小学生だったが、金大中事件で朴政権が大嫌いになり、高校生時代には口を開けば朴正煕の悪口を言っていた。朴も1972年に戒厳令を出して独裁政権を握った人間だった。その朴が暗殺されたのは1979年10月のことで、全斗煥が軍隊内でクーデターを起こしたのが同年12月、光州事件戒厳令を出したのが1980年5月だった。今回の韓国のクーデター未遂の前段階として、前記1979〜80年頃の政治の状況に戻そうという反動的な動きが韓国で起きていたといえるのではないか。そして韓国内でそれを後押ししたのも、日本と同様に主に男性の若年層だったようだ。今の日本も、1979年秋の衆院選を思わせるような今年10月の衆院選の結果を、来年(2025年)に1980年と同じように衆参同日選挙を行うことでチャラにしようという策略を自民党安倍派らが進めているように私には思われる。野党や(安倍の政敵だった)石破茂はそんな動きに乗っかってはならない。

 以下は税制の話。

 

 

 これは当然の主張なのだけれども、「リベラル・左派」の多くが「右派の減税理論に飲み込まれ」ている。元凶の一人である山本太郎が最初に消費税減税を唱え始めた頃には所得税法人税増税、特に金融所得課税の強化がセットになっていたが、いつの間にか「消費税減税・廃止」が一人歩きし、さらには「減税」の2文字だけが強調されるようになった。その主唱者が玉木雄一郎だ。

 玉木は税金を使う側ではなく払う側に立つという。要するに富裕層の側に立つと明確に宣言したわけだ。私は1978年にアメリカのカリフォルニア州で起きた「納税者の反乱」を肯定的に捉えてはならないと、その動きが起きた高校生時代に教え込まれ、それに納得した。その立場はもう半世紀近く変わらない。だから2010年に河村たかしの「減税日本」をブログで散々批判するなどしたが、日本の、特に若年層の意識はその頃よりもさらにネオリベの度合いを強めているようだ。その尖兵が民民支持層である。先般の名古屋市長選でももっとも強く広沢一郎を支持したのは民民支持層だった。元中日ドラゴンズ山本昌大塚耕平を応援した理由はよくわからないが、ドラゴンズ応援を売り物の一つにしている河村たかし山本昌に怒り心頭かもしれない。

 

 

 「配るぐらいなら取るなという理念が極右の理念」というのは本当にその通りだ。これは社会民主主義者にとってはあまりにも当たり前の常識なのだが、来年の参院選がまたも政党要件維持を賭けた戦いになるはずの社民党にさえ、この当たり前の認識が共有されているようには私には見えない。

 

 

 

 「レバ子」氏が発したのは、上記のような筋道に立った上での野田佳彦の立民と吉村洋文の維新との参院選候補一本化合意に対する批判だったということだ。それを、某軍師に好意的に言及された人物には言われたくない云々というのは、それこそ謂れのないいちゃもんあるいは言いがかりに過ぎない。

 再びkazukazu氏のタイムラインを覗いてみたら、下記「北守さん」(藤崎剛人)氏のXが目を引いた。

 

 

 「一般に減税は貧困層から富裕層への所得移転」。これまたあまりにも当たり前の言説であり、だからこそ前述の「レバ子」氏が「配るぐらいなら取るなという理念が(経済)極右の理念」と書いたわけだ。「財源があるなら支払ったものに返す」とは、「富裕層に多く返す」ことにほかならない。

 なお私は「再分配こそ正義」という観念が広く共有されなければならないと考える。

 最後はおまけ気味。

 

 

 これはよくわからない。新選組の支持は確かに以前から就職氷河期時代の人たちに暑いのだけれども、なぜ自民党の支持率まで高いのだろうか。

 もっとも以上は今回のNHK世論調査だけの話だ。

 そこで、いつものように三春充希氏のXを見に行った。まず政党支持率

 

 

 

 続いてリアルタイム得票数推定。

 

 

 

 こりゃ民民は来年に衆参同日選挙をやってほしいだろうな。

 東京15区では、金沢結衣は今度は民民に接近するのではなかろうか。もっとも東京15区と民民とは相性がものすごく悪そうだけれども。

 そういえば、どこかのXで見たのだが、玉キッズに白眼視された民民の人が3人いる(いた)、それは鳩山紀一郎、井戸まさえ、高橋茉莉だとのことだ。このうち高橋茉莉氏の話は間違っても笑い話にはならない。高橋氏は玉木、民民(のうち、特に極右の地方議員)、玉キッズらの冷酷非情さの犠牲になった。名前のよく似た高橋まつり氏が電通の犠牲になったことと対をなしている。

 この2人の高橋氏を思うにつけ、民民、玉木雄一郎、玉キッズ、それに電通は絶対に許してはならないとの思いを新たにする。