平河エリの下記Xはやや、というよりかなり欺瞞的だ。
「小さな政府」「官から民へ」というような新自由主義すら終わり
— 平河エリ Eri Hirakawa (@EriHirakawa) 2024年12月9日
「改革」というワードも色褪せて
「国がとりすぎ」「高齢者優遇」「配るなら取るな」という質の低い、リバタリアニズムの出来損ないのような主張だけが跳梁跋扈する日本。
平河は「小さな政府」「官から民へ」という、ミルトン・フリードマンの思想を「新自由主義」とみなしているようだが、(玉木雄一郎のような)エリートによる権力回復のプロジェクトとしてみれば、より獰猛な「支配者が何をしても許される」究極の新自由主義が支持されるようになっているといえる。
確かにそこには「小さな政府」の縛りすらない。玉木自身は否定しているが明らかに前提としているのは「日本版MMT」の思想であって、本家のアメリカでは左派の経済思想であるというこの「理論」が日本ではむしろ右派や極右に大人気だ。彼らがやりたいのは大規模な軍事増強と原発の新増設であって、再分配はむしろ積極的に否定している。だから役職を停止中のはずの党首が「税金を使う側ではなく税金を払う側に立つ」と言い、この独裁者の支持者たちは「税金を取って配るなら最初から取るな」と囃し立てる。そのくせ「積極財政」を看板の一つとして、原発の新増設を政府に求めるという滅茶苦茶な政策を掲げているのが今の国民民主党(民民)だ。
これは、私には「より尖鋭化した新自由主義」だとしか思えないのだが、平河はなぜか「新自由主義すら終わり」と言い立てる。腹が立って仕方がない。この人、大濱崎なんとかという人とつるむようになってすっかりおかしくなったのではないかと思う。
下記黒川滋氏のXの方がよほどまっとうだろう。
これが世の中の「雰囲気」なんだろうなぁ。 https://t.co/qgch2kPDUQ
— つしまようへい (@yohei_tsushima) 2024年12月9日
絶望的な社会。そもそも社会なのだろうか。 https://t.co/cwV8wjXiaR
— くろかわしげる@朝霞市議会議員 (@kurokawashigeru) 2024年12月9日
税金取って配るなら最初から取るな、みたいなフレーズが受けているけど、それを貫徹すれば金持ちは金持ちのまま、貧乏人は貧乏人のまま、機会の少ない人は機会の少ないまま、ただ政府運営、つまり統治するための公務員の人件費だけに税金を払う社会になっていく。
— くろかわしげる@朝霞市議会議員 (@kurokawashigeru) 2024年12月9日
玉木雄一郎と玉キッズは「夜警国家」を目指す極悪な政治勢力以外の何者でもない。こんな玉木を「積極財政論者」として甘やかしに甘やかした一部の「リベラル・左派」にも本当に腹が立つ。
政府への信頼が落ちまくって、もう無政府状態を希求し出しているのではないかと。ポイントは、同じ有権者が2回も社会保障充実のために消費税増税に投票したわけで、問題は自公政権への失望と腐敗が政権交代への希求ではなく近代国家の再分配機能そのものの疑念になっていること。 https://t.co/YH9EqYnGLf
— kazukazu (@kazukazu881) 2024年12月9日
平河はこんなことも書いている。
小さな政府か大きな政府か、という議論や高福祉高負担か低福祉低福祉か、というのは議論として成立しますが
— 平河エリ Eri Hirakawa (@EriHirakawa) 2024年12月9日
今飛び交う議論は、突き詰めると「自分以外に対する給付を減らして自分の負担を減らしてくれ」という要求。 https://t.co/EZ5IRq3iUC
自分だけ給付が減らされずに維持することなどあり得ないから、この「要求」は要するに「給付も負担も減らせ」ということだ。つまり「もっと小さな政府を」と言っているわけだ。そんなことは当たり前だろう。それをなぜ平河は「小さな政府か大きな政府か」という議論がなくなったかのような虚言を垂れ流すのだろうか。不思議でならない。民民や玉木雄一郎や玉キッズたちは、自公にとどまらず維新までをも突き抜けた最悪というか究極の新自由主義勢力だとストレートに認識しなければならない。彼らは社会を「万人の万人に対する闘い」の状態に戻そうとしているとしか私には思われない。
むしゃくしゃして書き続ける気が失せてきたのでこれで止めておく。