最近は夜にブログを更新することが少ないが、昨夜(3/12)知ったこの件は取り上げないわけにはいかないと思った。
石川一雄さん死去 86歳 「狭山事件」で無期懲役、無実訴え再審求め
毎日新聞 2025/3/12 11:23(最終更新 3/12 14:16)
1963年に埼玉県狭山市内で女子高生が殺害された「狭山事件」で「部落差別が生んだ冤罪(えんざい)」を訴え、裁判のやり直しを求めていた石川一雄さん(86)=無期懲役が確定し94年に仮釈放=が11日夜、狭山市内の病院で亡くなったことが毎日新聞の取材で分かった。石川さんは2024年末に肺炎にかかり、体調を崩して療養中だった。
石川さんは63年に殺人などの容疑で逮捕。1審の浦和地裁(現さいたま地裁)で死刑判決を受けた。2審の東京高裁で「部落差別による見込み捜査。取調官にだまされて容疑を認めてしまった」と無実を訴えたが、無期懲役の判決が下り、77年に最高裁で刑が確定した。
仮釈放後も再審を求め、現在は06年5月に東京高裁に申し立てた第3次再審請求に伴う、三者協議が進められていた。
支援団体の部落解放同盟埼玉県連の片岡明幸委員長は「無念でならない」と話した。
石川さんは袴田巌さんら他の冤罪事件の支援活動にも熱心に取り組んでいた。【隈元浩彦】
URL: https://mainichi.jp/articles/20250312/k00/00m/040/057000c
訃報を知ったきっかけはたぶん下記くろかわしげる氏のXだったと思う。
自治労入ってすぐ最初の頃に、青年部の行事で狭山に行ったのをよく憶えている。なかごが3年前、びしょ濡れになって帰ってきて、何があったと聴いたら友達と狭山に行ったと、石川一雄さんに会ったと。
— くろかわしげる@朝霞市議会議員 (@kurokawashigeru) 2025年3月12日
謹んでお悔やみ申し上げます。
くろかわ氏は自治労の青年部の行事で狭山に行ったとのこと。
一方、今に至るも石川さんに対して冷淡極まりないのが日本共産党らしい。
これはひどいね。帰って「赤旗」を確認する。
— 有田芳生 (@aritayoshifu) 2025年3月13日
石川一雄さんは日本の冤罪事件で象徴的な存在です。
「一紙で間に合う赤旗」。頑張って欲しい。 https://t.co/kpeq8OdvUZ
上記Xからk.arita氏のXがリンクされているが、この方は確か有田議員の弟さんだと記憶する。
— k.arita (@karita83364818) 2025年3月13日
「日本共産党はなぜ佐山事件について発言しない?」と「Grokに聞いてみた」ようだ。以下に全文を示す。
日本共産党が狭山事件について積極的に発言しない理由は、同党の歴史的立場や運動方針、部落解放同盟との関係性に起因すると考えられます。以下に、その背景を整理して説明します。
狭山事件は、1963年に埼玉県狭山市で発生した女子高校生殺害事件で、石川一雄氏が逮捕され、無期懲役が確定した後、再審請求を通じて冤罪を訴えている事件です。この事件は、部落解放同盟を中心とする支援運動が「差別裁判」として強く糾弾し、全国的なキャンペーンを展開してきました。一方で、日本共産党は、この事件をめぐる部落解放同盟の運動姿勢に対して批判的であり、距離を置く立場を取ってきました。
日本共産党が狭山事件に深入りしない主な理由の一つは、部落解放同盟(特に朝田派)が事件を「差別裁判」と位置づけ、これを政治的・イデオロギー的な運動に利用しているとみなしたことです。1975年1月11日付の党機関紙『赤旗』に掲載された論文「『一般刑事事件』民主的運動」では、解放同盟の主張を「独断的な規定」と批判し、「差別裁判と認めない者は差別者とする問答無用の議論」として強く非難しています。また、同党は狭山事件を「冤罪」と明確に規定したことはなく、あくまで一般的な刑事事件として扱うべきとの見解を示しました。さらに、1977年12月の『赤旗』では、中央部落対策委員会の田井中一郎名義で「解放同盟が支援活動を混乱させた」と指摘し、同盟の運動を「狭山妄動」とまで呼んでいます。
このような経緯から、日本共産党は部落解放同盟との対立を深め、狭山事件を積極的に取り上げることを避けてきたと考えられます。党としては、事件を部落差別問題に特化して扱うよりも、広く民主的な司法改革や人権問題の枠組みで議論すべきとの立場を優先した可能性があります。また、解放同盟との対立は、両者の部落解放運動に対するアプローチの違い—日本共産党は階級闘争を基盤とした普遍的な解放を目指し、解放同盟は部落差別に特化した運動を展開—を反映しており、狭山事件がその対立の象徴の一つとなった側面もあるでしょう。
さらに、事件発生当時、日本共産党系の弁護士や団体(自由法曹団や日本国民救援会)が石川氏の初期支援に関与したものの、一審での自白やその後の無罪主張への転換をめぐり、支援の方向性が解放同盟と大きく乖離したことも影響しています。解放同盟が「差別裁判糾弾」を掲げて運動を拡大する中で、日本共産党は独自の立場を維持し、結果として事件への言及を控える傾向が強まったと推測されます。
現在の状況を見ても、2025年3月13日時点で石川一雄氏が亡くなったニュースが報じられた際、日本共産党が狭山事件に触れなかったとする声がX上で見られます。これは、歴史的な対立関係や党の方針が今なお影響を及ぼしている可能性を示唆しています。ただし、党が公式に「一切発言しない」と明言しているわけではなく、事件への言及が少ないことがこうした印象を与えているとも言えます。
結論として、日本共産党が狭山事件について発言しない、あるいは控えている理由は、部落解放同盟とのイデオロギー的・運動的な対立、事件を「差別裁判」とみなす立場への批判、そして党独自の運動方針を優先する姿勢が複合的に絡んでいるためと考えられます。
下記は有田芳生氏のXへのコメント。
大学時代に教わった中田直人先生が狭山事件の第一審弁護人でした。当時の日共と解同の話を聞く機会がありましたhttps://t.co/VCvOcFPlfs
— 🇲🇹川添友幸🇺🇦🇵🇸kawazoe Tomoyuki (@kawazoetomoyuk) 2025年3月13日
狭山事件については、鎌田慧氏が書いた『狭山事件の真実』(岩波現代文庫,2010)の印象が強い。
私は2012年に読んだ。まだ読書ブログを開設していなかったので、このブログに感想文を書いた。
上記記事に共産党系の中田直人弁護士の名前も出てくる。以下に引用する。
上記引用の鎌田慧の文章に共感した。鎌田が言及する裁判長殴打事件の他にも、70年代には新左翼勢力による蛮行が目立った。だからそれを批判する共産党の主張には説得力があった。しかし、同党系の人たちが編集したと見られる『別冊宝島』の「同和利権の真相」シリーズには、露骨な悪意を込めて石川一雄氏を当てこすった表現が少なからずあり、それには強い違和感を持った。そうした両陣営に対する懐疑から、「狭山事件」を敬遠するようになっていたのだが、それが間違った態度だったことを思い知らされた。狭山事件で石川一雄氏の主任弁護士を務めた中田直人氏は、2009年に亡くなったが、茨城県知事選に共産党推薦で立候補したこともある共産党系の弁護士である。その中田氏は、1974年の二審判決後、事件の弁護から手を引かざるを得なかったという*3。中田氏の仕事が「なかったこと」にされてしまってはなるまい。
URL: https://kojitaken.hatenablog.com/entry/20120422/1335068096
しかしその後13年経っても共産党に働く惰性は変わらなかったようだ。またしても人間集団に働く「慣性の法則」を思い知らされた。
石川一雄さんのご逝去に謹んでお悔やみ申し上げます。