(中略)
最後にこれもまた僭越ですが、れいわ新撰組の政策に一言言わせてください。新選組に限った問題ではないのかもしれませんが、2025年の日本で新しい政策を打ち出そうとしながら、いささかその手法が古いように思います。環境問題をドイツに習うのはまだ良いとしても、アメリカで考案された経済「理論」を輸入してきて「正解はこれだ!」とでもいうように打ち出すのは、明治期の日本政府やアカデミズムを見ているかのような思いがします。
もう、追うべき背中は無い時代なのですから、広く各国の情報を集めてきて、それを参照しながら熟議を重ねていくべきだと思います。でないと、その実は国粋主義への回帰を打ち出すものでしかない参政党がかえって「新しい」ものに見えてしまいます。
MMTは本国アメリカでもデフレ下での日本の経済状況をモデルに考案された左派の経済理論とのことですが、それに三橋貴明や藤井聡らの右翼の人たちが飛びついたのは、右翼にとって都合の良いところも多い理論だったからでしょう。
そして三橋貴明が参政党を応援した。特に東京選挙区の塩入某(弊ブログでこの人の名前を挙げるのは今回が初めてだと思います)の頭の中は三橋貴明でいっぱいとかいう話もありました。本当かどうかは知りませんけど。
そりゃそれまで新選組を応援していた若年層(といっても40代以下)の右派的な男性の支持が雪崩を打って参政党に流れ込もうというものです。
しかもどうやら、日本政府もMMT論者たちも認めていませんが、日本はインフレ期に入った可能性が高いように思います。MMT理論のモデルがそもそも崩れ始めたともみえるわけで、だからこそ本当ならMMT論者たちは本来なら現状の分析に腐心すべきところかと思いますが、インフレとは認定せず、デフレが継続していると叫び続けていると叫び続けているようです。
これは、学者として理論を構築してその検証を行い続けなければならない一方、現実の政治に関与しているために、自らが関与している政治勢力に不利にならないようなことを言い続ける必要があるからではないかと思います。
その結果、物価が上がり続けているのに物価高をさらに加速させるだけの減税を叫び続けることになります。
余計なことですが、その火に油を注いだ怪しからぬ政治家が「減税」で他の野党と足並みを揃えた立民代表の野田佳彦でした。
ネットでの政治経済談義では未だに「反緊縮」対「財政再建」の対立構造を云々する人たちばかりですが、本来いかなる経済状況であっても「反緊縮」を言い続けたり「財政再建」つまり緊縮財政政策を言い続ける人たちの両方が間違っているというのが私の意見です。というよりそんなことは当たり前でしょう。高校の政治経済位はおろか中学の社会科の教科書にも載っていそうな話です、というより載っているでしょう。
日本では1990年代半ばから四半世紀以上もデフレ期が続いたので、その間は緊縮財政政策論者を批判していれば事足りました。
しかしその前にはバブル経済の時期に、経済が加熱しているにもかかわらず「増えた税収は使わなければならない」という固定観念に駆られてバブルを加熱させた竹下政権がありました。弊ブログはデフレ時代からずっと、今でいう「ハンキン」(反緊縮)論者たちに対して、竹下政権のばらまき政策を批判しないのかと問い続けてきましたが、それに対して答えが返ってきたことは一度もありません。
今、物価高が続いているのに野党が「減税」で一致しているような現状に接して、やっぱりそうなってしまうのか、どうしようもないなあと思います。
なお、今はこういう情勢なので弊ブログは見かけ上「財政規律派」と同じようなことを書いていますが、再び雇用不安が生じるような状態になれば、、以前と同じように「財政規律派」を批判する立場に戻ります。
だって、それが当たり前の態度でしょうが。違いますか?
新選組の話に戻ると、以上のような状況でMMT派は参政党(支持層)にほぼ吸収されてしまったために、山本太郎は彼らに冷淡になったものではないかと推測しています。新選組はMMT論者たちと訣別まではしていないようですが、それはそうなったらお互いに不利益が生じるからでしょう。結局長谷川羽衣子は「ローテーション」からは外れながらも新選組内での地位は維持されました。
Pontarou0608さんのコメントのうち、引用文中で「(中略)」とした以降の文章、つまりコメントの末尾の部分には特に強く共感します。
やっぱり独裁者への依存度が高すぎる政党はダメですね。党の構成員や支持者たちは、本格的な党改革を論じる必要に迫られているように思います。
生存ユニオン広島さんの前で言うのは恐縮ですが、れいわ新撰組は、いまやMMTだけが売りの政党になってしまったような感があります。社会経済政策を欠いた人権思想の強調が、一般の人々に対して「武士は食わねど高楊枝」の姿勢を過酷な形で押し付けるものになりかねなないことを露呈させたことは新撰組の功績といえるようにも思いますが、先の参院選で「外国人『政策』」(政策の名に値する論争が行われていたか非常に疑問ですが)が争点化したときの山本太郎代表の曖昧な態度に表れているように、現在既に新撰組の人権思想が疑問視される状況が出てきているようにみえます。人権尊重と社会経済政策は車の両輪であり、どちらか一方でも欠けることがあってはならないと考えます。
また、MMTが政策として採用できる程のものなのかには重大な疑問もあります。この点については、思想的には極右でとはいえ、朝香豊氏の問題提起が、MMTの租税貨幣論に対する批判も含めて非常に分かりやすいものになっていると思います。https://youtu.be/Xz08hwOBdcA?si=HbuFc4hZyloPuNi4
https://www.ide.go.jp/library/Japanese/Publish/Periodicals/Latin/pdf/220108.pdf