既に書いたけれども私は期日前投票を済ませており、選挙区では中改連の公認候補(酒井菜摘)に投票したが比例ブロックは社民党に入れた。
しかし朝日新聞の情勢調査を見るまでもなく、高市自民支持のバンドワゴン効果が顕著に出ているので情勢は厳しい。特に東京都と神奈川県は全国の中でもこの手のバンドワゴン効果が突出して顕著に表れる地域だ。その例が2005年の郵政総選挙だったが、今の若い「ネット民」は郵政総選挙のこともろくに知らないようだ。
小泉純一郎内閣が衆議院を解散した時、「自爆テロ解散」だと私は思ったし、まさにその言葉を使って小泉の解散を評した政治評論家だかもいた。解散の瞬間、当時民主党代表だった岡田克也はガッツポーズをした。岡田民主党は前年の参院選で自民党より1議席多い50議席を獲得し、郵政総選挙前の東京都議選にも勝利していた。私は当時香川県民だったので東京都議選への関心はほとんどなかったが、東京都江東区に転居した後に調べてみると、定数4の江東区選挙区で民主党は2議席を獲得していた。一人は大沢昇、もう一人が柿沢未途だった。
しかし選挙戦中に小泉が自らに造反した自民党の前職を公認せずに「刺客」を送る「劇場型選挙」を仕掛けて、それが有権者の熱狂を買った。野党はその埒外になってしまって「小泉改革派」対「抵抗勢力」が争点となり、自民党が圧勝した。
それから20年あまり(20年5か月)、今回の「初の女性首相」人気は当時の小泉純一郎への熱狂とは比較にならないほど人々が醒めてはいるが、それでも投票所に行く人たち全体に占める高市支持者が多く、2005年衆院選と同じような自民党圧勝の結果が出るのではないかと言われている。東京都の30の選挙区で、中改連でほぼ確実に勝てるとみられるのは長妻昭くらいのものかもしれない。何しろ野田佳彦の側近であるらしい手塚仁雄まで劣勢らしいからどうしようもない。まあ私は手塚が大嫌いではあるが。
千葉では野田佳彦が確実に勝つだろうが中改連の共同代表は当然ながら辞任するだろう。後任は泉健太あたりではないかと思うが、どうせ過渡的な政党にしかならないことは間違いないから(1997年の新進党みたいにいつ解党されても不思議はない)、泉になっても私は泉の立民代表当時のような文句は言わない。むしろ党内統治には強い泉が適任なのではないかとさえ思う。また野田の衆院選への立候補は今回が最後になるだろう。2012年と2026年の二度までも「ドボン」をやってしまう政治家は、次の任期では「敗戦処理」に徹するしかない。
2024年の立民代表選で野田を「ドボン」と評したのが若き選挙ウォッチャーだったきょんきょん氏だ。もちろん現在でもお若いが、Xへの投票頻度は一頃より激減している。氏は同年の衆院東京15区補選の際に起きた民民の高橋茉莉氏公認予定取り消しとその後の高橋氏の自死に関して勇気あるポストを多数していたので、私は大いに好感を持っている。
そのきょんきょん氏が過去のポストをいくつかリポストしているので紹介する。下記は2024年9月29日のポスト。
野田執行部、長く続けば続くほどボロしか出てこないのは目に見えているので、私のような末端の支持者としては不安で仕方ないのだが、
— きょんきょん (@Kyonkyon_senkyo) 2024年9月29日
少なくとも短期決戦ならボロを出さずに乗り切ってくれると願いたいものだよ
短期決戦、つまり同年10月の衆院選は野田もボロを出さずに乗り切ったが、これが野田が政党の代表として成功した唯一の国政選挙となった。
下記は上記ポストの5日前、2024年9月24日のポスト。
今回野田さんがドボンなの見抜けなかった方は、政治を見てきた時間が短いかセンスが不足していらっしゃるかどちらかだと思います
— きょんきょん (@Kyonkyon_senkyo) 2024年9月24日
前原枝野で前原選んだ中3の時の私と大差ない政局勘してる訳ですから
「前原枝野」とは2017年の新進党代表選のことで、あの時「どっちが勝っても同じ」と評したのは政治学者の木下ちがや氏(こたつぬこ)だった。弊ブログは前原枝野の選択なら枝野の一択であって、前原と枝野で違いがないどころか大違いだ、と書いた。今に至るまで自称共産党支持者の某権威主義者から「枝野信者」呼ばわりされている理由はその当時の投稿傾向からきているものだろう*1。なお私は2021年の立民代表選で西村智奈美を推したため、当該人物から「西村信者」とも呼ばれている。その西村智奈美自身の当落もどうなるかわからないが、仮に当選しても西村が中改連代表になる必要はない。
なお弊ブログは2017年8月2日の時点、つまり「希望の党」政局の2か月前に、小池百合子が「排除」をやらかすことを言い当てる記事を書いた。のちにこのことを感嘆して下さった方がいたので気づいた。当時は朝日新聞の紙媒体を購読していて、地方版の記事にも結構目を通していたので小池の邪悪な意図に気づくことができた。現在は朝日は毎日とともに電子媒体を購読しているだけなので当時のような感度は残念ながらもはや持っていない。今回の政局の流れも見事に読み誤った。
しかしきょんきょん氏は2017年に中学3年生だったら今でも20代前半か。その若さでこの政局勘とはたいしたものだ。
下記は2024年9月23日のポスト。これも味わい深い。
野田さんは「民主中道」を卒業し、リベラルとしての旗色を鮮明にした立憲民主党の政治家として振る舞えるかが問われている
— きょんきょん (@Kyonkyon_senkyo) 2024年9月23日
一部のナンセンスな人物が主張する民主党すなわち民主中道への回帰ではなく、立憲民主党の野田佳彦として堂々と振る舞うことが、野田さんの最初の仕事 https://t.co/nYkMi8EDaO
残念ながら野田にはそれができなかった。
上記ポストからリンクされているのが下記ポスト。同じ日付。
立憲民主党の誕生は民主党からの卒業であって、もっと言えば折衷的に作られた党是である「民主中道」からの卒業
— きょんきょん (@Kyonkyon_senkyo) 2024年9月23日
枝野さんはあくまでリベラル路線を取り続けたし、泉さんもリベラル中道という言葉ではあるが元来社会党支持者であって、民主中道を過去の遺物として乗り越える立場だった
このリポストと結びつくのが下記レバ子氏のポストだ。
2012年を民主党側で選挙戦を行った人達にとっては「中道」という言葉は悪夢の始まりだったという記憶しか無いのですが、当時運動していたという人もその言葉をすんなり受け入れているから驚きなのですよ。当時も野田佳彦が代表で、相手は安倍晋三やら石原慎太郎でしたね。
— レバ子@Labor Struggle (@laborkounion) 2026年2月2日
当時も野田佳彦執行部で、中道だとか中庸だとか主張していたのですよ。もっとも当時の中道は民主中道という、民主党結成のために何が言いたいのか分からないがまとめるにはこういう言葉しか無いという後ろ向きの発想でした。あの当時より反感は少ないけど、より存在感は希薄しました。 https://t.co/yQ6kvQfelx
— レバ子@Labor Struggle (@laborkounion) 2026年2月2日
「民主中道」とは何か。Wikipediaには下記のように書かれている。
経緯
1998年の衆議院本会議にて、同党衆議院議員中野寛成代表代行(当時)は、民主中道とは、自由放任、弱肉強食に通ずる社会を目指す動きとは一線を画すものであり、民主党の経済政策は、市場原理を尊重する事を前提としているが、同時に、適正な富の配分、公正、透明な競争確保、環境との調和、完全雇用実現等に資するシステムの確立に最重点を置いている、と語っている[3]。
民主党は、1998年4月、院内会派「民主友愛太陽国民連合」(民友連)に参加していた旧民主党・民政党・新党友愛・民主改革連合が合流して結成されたが、その際、旧民主党[4]が基本理念として「民主リベラル」を唱え、民政党[5]が「保守中道」を主張し、前者が後者の「保守」に、後者が前者の「リベラル」に、それぞれ反発し、意見が対立した。そこで新党の旗振り役であった細川護熙元首相が「民主リベラル」と「保守中道」との両者を組み合わせて進言した「民主中道」が、基本理念として用いられる事となった[6]。
「民主中道」とは旧民主党、つまり「鳩菅」(鳩山由紀夫と菅直人)と羽田孜一派との妥協の産物に過ぎなかった。まともな理念といえる代物ではない。公明党の「中道」は意味が違うらしいが、少なくとも民主・民進系の「中道」はろくなものではない。
今はまだ選挙中だから、一人でも多く高市自民に対抗する候補者を当選させることが第一だが、実質的には撤退戦である。
選挙後に野田佳彦にお勧めしたいことが一つある。
それは四国遍路だ。それもかつての菅直人と同じような「歩き遍路」が良い。通常国会の時には無理だから、真夏にやるのが一番良いだろう。