kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

元関脇・長谷川死去/短かった「北玉時代」が突然終わった後に一度だけの幕内優勝を飾った名力士

 大相撲の元関脇・長谷川が死去した。

 

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「長谷寺」(はせでら)というように、「長谷」書いてハセと訓むのは大人となった今では当たり前のことである。しかし、私が子どもの頃、「長谷川」をハセガワと読めるようになったのは、この長谷川のおかげなのだった。TVを視ていて、ナガタニカワと書いてハセガワと訓むんだなと憶えたのだった。因みに、周囲には長谷川さんはいなかった。
ところで、「柏鵬時代」と「輪湖時代」はあるのに〈北玉時代〉(北の富士/玉の海)はないのか。長谷川のキャリアのクライマックスは「72年春場所」の前後だろう。この時期に大関を窺っていた筈だ。輪島の横綱昇進が1973年名古屋場所*2、北の湖の横綱昇進は1974年秋場所から*3だから、その時期は「輪湖時代」以前だが、1971年10月に玉の海が急逝したので*4、横綱は北の富士*5だけだったわけだ。

 

URL: https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2026/06/08/203038

 

 いや、「北玉時代」という言い方ならありましたよ。AI(Gemini)に聞いてみました。

 

「北玉時代」という言い方はあったのではありませんか。

 

ご指摘の通り、大相撲の歴史において「北玉(ほくぎょく)時代」という言葉は実際に存在し、広く使われていました。

ブログの筆者の方は「柏鵬時代」や「輪湖時代」に比べて「ないのか」と疑問を呈されていますが、実際には第52代横綱・北の富士と第51代横綱・玉の海の2人が激しく競り合った1970年前後の時期は、公式に「北玉時代」と称されています。

この時代について、いくつかのポイントをまとめました。


「北玉時代」が短く、印象が薄れがちな理由

  • 玉の海の突然の急逝

    1970年1月に2人同時に横綱に昇進し、名勝負を繰り広げて時代をリードし始めました。しかし、わずか1年後の1971年10月、玉の海が虫垂炎(盲腸)の手術後に肺血栓を呼び起こし、27歳の若さで現役のまま急逝してしまいました。

  • 実質「1年半」の儚い輝き

    同時横綱昇進から玉の海の死去まで、期間にしてわずか1年8ヶ月ほどしかありませんでした。そのため、前後の「柏鵬時代(大鵬・柏戸)」や、その後に続く「輪湖時代(輪島・北の湖)」といった10年前後続いた黄金期に比べると、どうしても期間が短く、リアルタイムを経験していない世代からは見落とされがちになります。


長谷川関との関係

ブログ記事にもある通り、元関脇の長谷川(秀ノ山親方)が初優勝を果たしたのは1972年春場所(3月)です。

まさに玉の海が急逝した半年後のことで、横綱が北の富士1人(一人横綱)となり、大相撲界が次の時代(輪湖)へ向けて激動していた端境期でした。長谷川関が「史上最強の関脇」として大関の手前に肉薄していたのは、この「北玉時代」の直後から「輪湖時代」が幕を開けるまでのまさにその瞬間だったと言えます。

 

「北玉」の読みは「ほくぎょく」ですか。「きたたま」や「ほくたま」という読みはしなかったのですか。

 

「北玉」の読み方についてですが、大相撲の歴史において公式やメディアで使われていた正式な読み方は「きたたま」です。

私が先ほどの回答で「ほくぎょく」と記載してしまいましたが、これは完全な誤りです。混乱させてしまい大変申し訳ありません。

読み方に関する正確な情報は以下の通りです。


正しい読み方は「きたたま」

  • 正式な呼称:きたたま 時代

    北の富士(きたのふじ)の「きた」と、玉の海(たまのうみ)の「たま」をそのまま訓読みで繋げた「きたたま」が正しい読み方です。

  • 「ほくぎょく」や「ほくたま」は使われない

    音読みの「ほくぎょく」や、音訓混じりの「ほくたま」という読み方は、当時もその後も公式な相撲用語としては使われていません。


なぜ他の時代は音読みが多いのか?

大相撲のふたりの横綱を並べた「〇〇時代」という呼び名は、以下のように音読み(音読みベース)で定着しているものが多いため、「北玉」も「ほくぎょく」と勘違いされやすくなっています。

時代の呼称 読み方 該当する横綱 読みの規則
栃若 時代 とちわか 栃錦 / 若乃花 訓読み+訓読み
柏鵬 時代 はくほう 柏戸 / 大鵬 音読み+音読み
北玉 時代 きたたま 北の富士 / 玉の海 訓読み+訓読み
輪湖 時代 りんこ 輪島 / 北の湖 音読み+音読み
曙貴 時代 あけたか 曙 / 貴乃花 訓読み+訓読み

このように、時代によって「音読みペア」と「訓読みペア」の双方が存在します。「北玉(きたたま)」は、その前の「柏鵬(はくほう)」が音読みだったために混同されがちですが、「栃若(とちわか)」などと同じ訓読みの系譜になります。

改めて、間違った読み方をお伝えしてしまったことをお詫びいたします。ご指摘ありがとうございました。

 

 Geminiの回答に「ほくぎょく」とあった時にはぎょっとしたが、聞き返したら正しい読みに訂正し、謝罪までしてくれた。

 高市よりよっぽどまともではないか。

 AIの回答は、疑問に思ったら聞き返さなければダメだという見本かもしれない。

 なお私は小学校低学年の1969年頃から新聞に報じられている大相撲の結果に興味を持って読むようになったが、1971年10月の横綱玉の海の急死があまりにも大きなショックで、そのあと翌1972年7月の名古屋場所で高見山が優勝するまでの間は大相撲への興味が薄れていたのか、長谷川が優勝した72年春場所は当時の地元の大阪場所だったのに記憶からすっ飛んでいた。同じ頃に奈良の高松塚古墳から極彩色の壁画が発見されたことはよく覚えているのに。

 長谷川は本名に由来する四股名のまま引退したが、当時はそんな力士が多かった。そのまま横綱になったのが輪島(1948-2018)だが、学生相撲時代から輪島のライバルだった豊山(1947-2020)も確かある時期まで本名由来の四股名にしてたよなと思って調べてみたら「長浜」だった。この「長浜」も今回ネット検索をかけるまで長い間忘れていた。朝潮(1955-2023)の「長岡」と似ていて紛らわしかったので豊山の本名由来の四股名の方が記憶から薄れていったとしか考えられない。なお朝潮について調べていたら、戦前に活躍した元横綱・男女ノ川(1903-1971)が一場所だけ「朝潮」の四股名を名乗っていたらしいことを知った。男女ノ川の読みは、新聞の訃報欄で知った。筑波の男女川を知るよりずっと前のことだ。それ以前から『重要紙面に見る朝日新聞の九十年』という縮刷版を抜粋した本で「男女ノ川」という力士がいることを知って「だんじょのかわ」などと勝手に読んでいた。没年月日(1971年1月20日)当時家で行動していた朝日の「天声人語」だったか、それともその後購読するようになった毎日の「余録」だったかは定かでないが、新聞のコラムに「だんじょのかわ」などと読む人もいたと書かれていた記憶がある。自分と同じだと思った。男がやる相撲なのになんで「男女ノ川」という四股名なのだろうかという疑問は当時から持っていたが、力士の出身地の地名由来だった。もちろん当時の私が「歌垣」など知る由もない。なお私が筑波山に初めて登ったのは2010年5月で、その頃には既にこのブログというか当時は「はてなダイアリー」をやっていた。

 長谷川の顔写真にはうっすら見覚えがあった。関脇にいた時期がかなり長かったのではないだろうか。

 なお私は新聞で初めて「長谷川」の四股名を見た時には既に「はせがわ」と読めました。同級生がいたのか、お茶漬けの「永谷園」からの連想で「長谷川」を「ながたにがわ」と読んで親に咎められて知ったのか、あるいはその他の理由か、それは覚えていません。