kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

虚偽に基づいて読売新聞を誹謗中傷する悪質ブログ 「博士の独り言」

いやはや、呆れた。
「博士の独り言」というネットウヨのブログの記事である。
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-545.html

記事の初めの方を見てほしい。

731部隊元衛生兵が証言「泣く子どもの前で慰安婦を解剖」

 第2次大戦当時、生体実験で悪名をとどろかせた旧日本軍の「731部隊」が、「従軍慰安婦」の女性を、泣いている子どもの前で解剖することもあったという衝撃的な証言が出てきた。 読売新聞は、「731部隊」の衛生兵だった大川福松氏(88)が、今月8日に大阪で開かれた国際シンポジウム「戦争と医療倫理」に出席し、「子どもを持つ慰安婦を解剖したこともある。子どもが泣いている前で母親が死に、子どもは凍傷を負わせる実験に使われた」と証言した、と9日付で報じた。 小川氏は「間違っていたことを社会にきちんと知らしめようという思いから、証言することを決めた」と話した。 早稲田大で細菌学を専攻した小川氏は、1941年に旧日本軍に召集された後、44年8月に満州(現・中国東北部)にあった関東軍防疫給水部本部731部隊)で衛生兵として勤務した。ペストやコレラ、梅毒などの病原体を人体に注射して感染の実態を調べたり、人為的に凍傷状態を作り出したりする任務を行っていた。 小川氏は「最初のころは本当に大変なところに来てしまったと思ったが、次第に感覚がマヒし、毎日2、3人を解剖しなければ任務が終わらないという考えにとらわれた。多い時は1日に5人を解剖した」と証言した。朝鮮日報 4月11日 ソースとなった読売新聞記事 4月11日付

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「大川福松」氏なのか、「小川」氏なのか?!

 有志ブログであつかわれている事項と思う。真実言及に敬意を捧げ、また、読者よりいただく協力に感謝し、小ブログからも小稿を呈する。

 表題は不審な記事に映る。先ず、「「従軍慰安婦」の女性を、泣いている子どもの前で解剖」と証言したとされる「大川福松氏」が、記事の途中から「小川氏」に変わっている。ここぞとばかりに同記事(読売新聞)を引用した朝鮮日報の記事でも同様である。十分な確認もせずに、「使えそうなネタ」を転写した。その愚かしい焦りが観られる。

これを読むと、あたかも読売新聞の記事が、途中から証言者の名前が変わっているかのように読める。
しかし、これは朝鮮日報が誤記したものに過ぎない。読売新聞の記事には「大川福松さん」「大川さん」という記述しかなく、「小川氏」などと書かれた箇所はないのだ。
Yomiuri OnlineのURLを下記に示す。
http://chubu.yomiuri.co.jp/news_top/070409_5.htm

以下再掲する。今回の引用では、読売新聞本紙にあってオンライン記事にはない部分は、復活させていない。

「病原体の生体実験 毎日2〜3人解剖」
731部隊元隊員証言

 戦時中に中国大陸で、捕虜などに人体実験を重ねた旧日本陸軍731部隊の衛生兵だった三重県尾鷲市大川福松さん(88)が8日、大阪市で開かれた国際シンポジウム「戦争と医の倫理」に出席、「毎日2〜3体、生きた人を解剖した」と証言した。当時の体験を人前で明かしたのは初めてで、「不正なことは、社会に、はっきり示さなあかんと思うようになったから」と語った。

 大川さんは早稲田大で細菌学を学び、1941年に召集。44年8月から旧満州(現中国東北部)にあった関東軍防疫給水部本部(通称731部隊)の「ロ号棟」で、衛生伍長をしていたという。所属した班は、ペストやコレラ、梅毒などの病原体を人体に注射して感染の状態を調べたり、人為的に凍傷を作ったりしていた。最初は「大変な所に来た」と思ったが、次第に感覚がまひし、「そのうち、毎日2〜3体解剖しないと仕事が終わらん気になっていった。多い時は1日5体を解剖した」と証言した。

 子持ちの慰安婦を解剖したこともあった。「子どもが泣いている前で、母親が死んでいった。子どもは凍傷の実験台になった」と語った。
(2007年4月9日 読売新聞, "Yomiuri Online" より)

私は、早い段階でこの記事をネットで紹介した人間だから、決して読売新聞が途中で訂正したものなどではないことは断言できる。疑うなら、読売新聞中部支社か読売新聞大阪本社に問い合わせるなり、読売新聞の現物(4月9日付紙面)を中部・近畿・中国・四国地方などの図書館で調べてみればすぐにわかる話だ。

この「博士の独り言」というブログは、悪質なデマブログであるとして、ここに非難、告発したいと思う。