kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

国内の新型コロナウイルス感染症の新規陽性者数が、ついに1日で1万人を突破(7/29)

 昨日(7/29)、日本国内の新型コロナウイルス感染症の新規陽性者数が10699人、うち東京都が3865人を数え、いずれも昨日更新したばかりの過去最多の記録を2日連続で更新した(データはNHK*1による)。

 それなのに、首相・菅義偉東京都知事小池百合子の二人が発する、木で鼻を括ったような冷淡なコメントときたらどうだろうか。第4波の時の大阪府知事・吉村洋文や昨年8月までのコロナ対策失敗の元凶だった前首相・安倍晋三と合わせて、昨年来のコロナ禍は安倍・菅・小池・吉村の新型コロナA級戦犯ネオリベ四人組を頂点とした日本や大都市の支配者たちによる人災との側面が強いと、改めて思わされる。だが知事選で小池や吉村を選んだのは東京都民であり大阪府民だ。そして秋には衆議院議員選挙がある。

 東京都のあまりの惨状の影に隠れているが、大阪府でも感染が急拡大しており、首都圏3県と合わせた1府3県に8月2日から緊急事態宣言が出されることになった。期限は8月31日までであり、東京都と沖縄県に出されている緊急事態宣言も、同じ期限にまで延長されることになった。さすがに8月末には第5波も収束に向かっているのではないかと思うが、感染が少し収束しただけですぐに「経済を回」そうとしては、前の感染の波を上回る規模の感染の波を招く悪循環がずっと続いている。このまま菅政権や、仮に首相が交代するとしても自公政権の延命を許すようであれば、今冬には、既にワクチン接種を終えた高齢者の抗体が失われて前の冬を上回る数の死亡者や重症者を出してしまうのではないだろうか。

 なお、NHKのサイトにアクセスする時にいつも思うのだが、NHKは何を「忖度」しているのか「第5波」という言葉を頑として使わない。さすがにニュース番組では五輪より先にコロナのことを言うようにはなったが、それも少しだけで、すぐに五輪情報が延々と垂れ流される。これではまともなジャーナリズムとは全くいえない。

国内の新型コロナウイルス感染症の新規陽性者数が過去最多を更新して9576人。今年7月の死亡者数は昨年7月の10倍で、昨年は8月に前月比7.4倍の死亡者数を記録した。首都圏1都3県の「医療崩壊」はもう目前だ

 昨日(7/28)、日本国内の新型コロナウイルス感染症の新規陽性者数が9576人、うち東京都が3177人を数え、いずれもこれまでの最多を記録した。現在は、過去のどの時期と比較しても新型コロナウイルスの脅威がもっとも大きいといえる。

 陽性者数の増え方は、第3波や第4波よりはるかに激しい。下記に、NHKのデータ*1に基づく新規陽性者数と死亡者数の対数及び線形グラフを示す。

 

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国内のCOVID-19新規陽性者数及び死亡者数 (2020/3-2021/7, 7日間移動平均対数=NHK)

 

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国内のCOVID-19新規陽性者数及び死亡者数 (2020/3-2021/5, 7日間移動平均線形=NHK)

 

 しかし、政府(菅義偉)や東京都(小池百合子)は、陽性者数ではなく重症者数や死亡者数で見るべきだと強弁し、国民や都民に現状を過小評価させようと躍起になっている。やれ、1月と比較して重症者数や死亡者数が何分の1だというのである。

 だが、この論法は間違っている。新規陽性者数で表される感染の波がピークに到達するまでの期間においては、重症者数及び死亡者数は、新規陽性者数に対して常に小さな数値を示すものだからである。

 今年1月は第3波で陽性者数のピークを記録した月だが、第3波は実際には2つに分かれていて、私の大嫌いな宮沢孝幸はそれを第3-1波、第3-2波と呼んでいた。宮沢は嘘ばかりテレビで言い放つ悪印象がきわめて強いが、第3波を2つに分けるのは奴にしては珍しく正しい。そして今年1月は第3-2波の感染初期から中期だったが、第3-1波の感染後期に当たっていたから、第3-1波による死亡者数が多かったのである。

 本当に現状と比較すべきは第2波の感染初期から中期にさしかかっていた昨年7月だ。

 昨年7月の国内新規陽性者数は17651人、死亡者数は39人で、見かけの致死率は0.22%だった。これに対して、今年7月は28日までで国内新規陽性者数は92837人、死亡者数は377人で、見かけの致死率は0.41%を記録している。昨年夏の第2波より今年夏の第5波の方が見かけの致死率が高いのである。

 感染の波の初期には陽性者数と比較して重症者数や死亡者数が少ないのはいつものことであって、大阪で医療崩壊が起きた第4波でも感染初期には「死者数はこんなに少ないではないか」と言い募る人士がいた。弊ブログはその実例を4月11日の記事で記録していた。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 当時、安全理論を唱えていた人間があてにしていたのは「ウイルスの弱毒化」理論だった。これは長期的には正しいが、その前にウイルスの強毒変異株がウイルスへの耐性の低い人々(や他の動物)を殺して、ウイルス自身が生き残れなくなる過程が存在したことを無視している。つまりウイルスが流行した(する)時期には「弱毒化理論」は当てはまらないのである。

 現在、安全理論を唱えている人間があてにしているのはmRNAワクチンであって、これには確かに一定の効果があるが、残念ながらその効果は長続きしない。持続は半年程度ともいわれる。つまり、新型コロナとの戦いはまだまだ続く。

 さらに大問題なのは、感染が初期から中期へと進むにつれ、重症者数や死亡者数が激増することだ。昨年8月の数字を示すと、新規陽性者数が32129人、死亡者数が287人で、死亡者数は昨年7月の7倍以上に達した。来月はそこまでは増えないのではないかと思うが、それでも今月の数倍に達するだろうし、重症者数も増えて東京都や神奈川県、埼玉県、千葉県の首都圏1都3県で医療崩壊が起きることはほぼ確実だろう。

 そして、それを助長したのは東京五輪の開催強行だった。現在の新規陽性者数は2週間前の感染の反映だから、五輪開催による人出とは直接の関係はないが、五輪開催自体が「人の流れを止めなくても大丈夫だ」とのメッセージになっている。

 その結果がこれから表れる。早ければ五輪開催期間中にも。

20世紀のイギリスと21世紀の日本、同じ衰退国にあってもアガサ・クリスティは成長を続け、東野圭吾は退歩を続けた

 読書ブログに下記記事を公開した。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

国内の新型コロナウイルス感染症週間新規陽性者数27,634人、死亡者数86人 (2021/7/17-23)/第5波の感染急拡大が続く

 少し前に突然8月半ばまでの仕事の負荷が激増したことや、その他の事情によって、なかなかブログを更新できなくなっている。非常に遅くなったが、7/17〜23の週の日本国内新型コロナウイルス感染症の週間新規陽性者数と死亡者数のグラフと数値を示しておく。データはNHK*1による。

 

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日本国内のCOVID-19の週間新規陽性者数と週間死亡者数 (2020/10/3-2021/7/23, NHK)

 

 717日(土)から723日(金)までの1週間の新規陽性者数は27,634人(前週比50.0%増)、死亡者数は86人(同4.4%減)だった。週間の新規陽性者数は4週連続で増加した。増加率は先週の44.2%を上回り、ついに50%に達した。一方、死亡者数は10週連続で減少した。感染のステージは、引き続き第5波の初期とみられる。

いじめやホロコーストには対処しても歴史修正主義者・すぎやまこういちの音楽を使い、世界的には無名の松井・長嶋・王の元読売選手を引っ張り出した東京五輪開会式は1936年のベルリン五輪を繰り返す「二度目のみじめな笑劇」だ

 東京五輪開催の前後数日間、ブログの更新をしなかったが、小山田圭吾の開会式音楽担当辞任に続いて、小林賢太郎ホロコーストをお笑いのネタにしたことが発覚して開閉会式演出ショーディレクター担当を解任され、それにもかかわらず開会式の演出は変更されずに強行された、つまり小林の演出が事実上そのまま使われ、それも合意形成のプロセスを経ることなく組織委員会を牛耳る少数の人間の判断がゴリ押しされたという。極めつきは「いじめ」というには悪質すぎる過去の悪行が暴かれた小山田の代わりが、「南京虐殺はなかった」等の発言や、城内実*1松原仁といった極右政治家の応援歌を作ったことなどで悪名高いすぎやまこういちが作曲した「ドラゴンクエスト」(ファミコンなどのロールプレイングゲームRPG)の音楽が使われたことだ。いじめやホロコーストはダメでも「南京虐殺はなかった」歴史修正主義なら良いのかとの批判を自ら招き寄せる愚行だ。私自身はパソコンのRPGはずいぶんやったがドラクエはやったことがない。世界的に見てもドラクエはマイナーなゲームであって、より広く世界で愛好されたのはファイナルファンタジーの方らしい。また開会式に松井秀喜長嶋茂雄王貞治といったプロ野球・読売のかつてのスター選手たちが出てきたそうだが、松井や王は日本以外ではアメリカや、王の場合は台湾くらいでしか知られていないだろうし、長嶋に至ってはアメリカでも誰も知らない。日本の年齢層の高い読売ファンの機嫌をとったり、極右のすぎやまこういちが作った日本でばかり人気のあったコンピュータゲームの音楽を使ったりと、内向きかつ反動的な開会式から思い起こされるのは、マルクスが『ルイ・ボナパルトブリュメール18日』に書いた「歴史は繰り返す。(中略)二度目はみじめな笑劇として」という警句だ。

 

blog.livedoor.jp

 

 上記リンクのブログ記事にある通り、マルクスナポレオン・ボナパルトのクーデターを「一度目の偉大な悲劇」、その52年後にナポレオンの凡庸な甥ルイ・ボナパルトが引き起こしたクーデターを「二度目のみじめな笑劇」と評した。2021年の東京五輪は、小山田・小林・すぎやまのような人たちを起用する一方で、あまりにも内向きな松井・長嶋・王を起用したことから明らかな通り、紛れもない1936年のベルリン五輪の嫡子ではあるが、悪の破壊力はナチス・ドイツとは全く異なり、ナチスホロコーストの大蛮行を引き起こしたのに対し、日本では自滅(急速な国力の衰退)を招くだけだろう。今回の1980年から2020年に至る40年間の日本の構造的な問題を焙り出したといえるが、それは世界的な破局にはたいした寄与はしない。気候変動に見られる通り、世界的な破局に大きく寄与するのはグローバル資本主義などに起因する他の要因だ。日本国内の極右人士(その御輿点に担ぎ上げられているのが前首相・安倍晋三だ)やネトウヨらが主導する民族主義的排外主義などは、せいぜい日本国の自滅を加速させる程度の影響力しかない。今の日本などその程度の存在に過ぎない。

 その間、日本、ことに五輪が開催されている東京を中心とした首都圏で新型コロナウイルス第5波の感染が急拡大した。開会式前日の22日から一昨日の土曜日(24日)までは、これまでにも見られた連休効果に加えて医療関係のリソースが東京五輪向けに大きく割かれてPCR検査数が少なかったために、東京都の新規陽性者数は少なめに推移したが、それもまだ連休が終わってもいない昨日(25日)までは続かず、東京都の新規陽性者数は日曜日では過去最多の1763人を数えた。急速に進んだワクチン接種の効果もあって死亡者数はなお減少を続けているが、東京都を含む首都圏1都3県では第4波の時の大阪府と同様の医療崩壊が起き始めている。さらには、ワクチンの効果が半年程度しか持続しないことが明らかになりつつあり、現在接種したワクチンも半年後の真冬の来年1月に効くかどうかはわからない。つまり新型コロナの時期はまだ当分続くと考えなければならない。

 東京五輪は、開会3日目に日本選手が大量の金メダルを獲ったことでテレビがお祭り騒ぎをしているけれども、日本が金メダルを稼げる柔道や水泳などは大会の前半に集中している。菅義偉が狙った「五輪が始まれば皆夢中になって五輪は支持され、内閣支持率も上がる」との目論見は、あるいは一瞬は当たるかもしれないが、それは長続きはせず、五輪は経済の刺激にすらつながらず、高度成長期の1965年にさえ起きた五輪後の景気低迷が2020年代の日本に大きなダメージを与えるだろう。これは今後政権が仮に自公から「野党共闘」に移行しようが止められるものではない。2012年に安倍政権なんぞを選択して「高度成長期の夢よもう一度」という幻想にしがみつこうとした罰を日本国民が本格的に受ける時代は、東京五輪が空しく閉会したあと、つまりこれから本格化する。この時代には、さしものネトウヨも「日本スゴイ」と言い募る気力も失うに違いない。

*1:もうその名前を目にする機会は少なくなっているが。

町山智浩が小山田圭吾を擁護したツイートが見苦しい

 小山田圭吾の件に関する町山智浩のツイートが見苦しい。

 

 

 それって、自民党に対する怒りから維新を支持するようになった(=維新に回収されてしまった)、特に大阪に多い人たちの心性と何も変わらないのでは?

 自民党は、1980年の衆参同日選挙を境に、それまでの「国民政党」の仮面(それ以前から仮面でしかなかったわけだが)をかなぐり捨てて現在に至るパワハラ政党としてのあり方を露骨に示すようになった。1970年代末の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の虚飾を背にしてパワハラを売り物にするようになったわけだ*1

 それに対して、成り上がり者あるいは叩き上げの人間が権力を握ってパワハラをやるようになったのが橋下徹であり、松井一郎や吉村洋文以下、大阪維新の会の政治家たちだった。橋下が大阪府知事選に初当選したのは2008年だったが、政治の動きは文化のアーリーアダプターよりもずっと遅れる。小山田圭吾や「渋谷系」とやらはサブカルの橋下、サブカルの維新だったのではなかろうか。彼らは橋下や維新を10年以上も先取りした。彼らに対し、自民党に相当するメジャーな芸人としては1980年にブレイクしたビートたけし*2がいたし、フジテレビだの電通だのがたけしを重用していた。メジャーどころだって既に露悪を売り物にしていたわけだ。それで思い出したが、ビートたけしと並んで80年代に私が大嫌いだったのはフジテレビだった。あと松田聖子も嫌いだったな。

 電通やフジテレビも糞なら、小山田圭吾も糞だったんだよとしか私には思えない*3

 

 

 橋下徹松井一郎や吉村洋文や大阪維新の会の支持者あるいは「信者」たちが似たようなことを言ってそうだな。彼らは自らが昔からの大阪の反骨精神を持ち続けていると信じて疑っていないに違いない。

*1:もちろん自民党はそれ以前からずっとパワハラ政党だったわけだが、それでも同党の看板は「国民政党」だった。

*2:ツービートの結成自体は1972年だったようだ。

*3:なお私は小山田の音楽については全く知らないのでそれについては何も言わない。たとえばリヒャルト・ワーグナーなど小山田よりさらにひどい糞人間だったと思うが、それによって彼の音楽の価値が失われるわけではない。あるいは文豪のドストエフスキーもとんでもない糞人間だったが、私は今後も彼の五大長篇を読み返したりまだかなり残っている未読の小説を読んだりすることだろう。

小山田圭吾が「五輪開会式楽曲担当」辞任に思う、1980年代以降の日本の文化・社会・政治が裁かれる日の到来

 東京五輪の開会式の音楽をめぐる小山田圭吾の旧悪が暴かれた一件については、小山田のいじめ体質が東京五輪開催を強行した菅政権や安倍前政権の体質とよく合っているから東京五輪にはむしろ似つかわしいくらいだと思っていたが、小山田と組織委員会に対する批判が怒濤の勢いにまで強まったため、小山田がついていた五輪開会式楽曲担当の役職を辞任し、小山田が作った音楽は演奏されないことになった。

 これまでにも何度か日記に書いたことがあるが、私は1980年代の日本の文化が当時から大嫌いで、ずっとそれに背を向け続けてきた。その嫡子である1990年代の文化に対しても同様だ。だから小山田も「渋谷系」とやらもその名前すら知らなかった。

 日本の文化において、1980年にほとんど不連続的ともいえる急激な変化が起きたと私は考えている。その象徴がツービートの「赤信号、みんなで渡れば怖くない」であって、私はこのフレーズが死ぬほど嫌いだった。その思いは今でも変わらない。現在、菅義偉の新型コロナ対策といえば、ワクチンの他には飲食店いじめ*1しかないが、飲食店いじめの露骨さとか、あるいは安倍政権時代の公文書の隠蔽、改竄、廃棄など悪行のやりたい放題なども、全部この1980年以来の日本文化の悪しき流れに乗っかったものだといえるのではないか。

 そして、「渋谷系」の人間たち、ことに小山田圭吾や彼を持ち上げた雑誌の編集者たちは、弱者差別を売り物にさえしていたようだ。

 今回の件で、2006年に公開された電八郎氏の「孤立無援のブログ」の下記記事が再発掘され、小山田の極悪非道ぶりが広く知られることになった。

 

koritsumuen.hatenablog.com

 

 上記ブログ記事の冒頭部分を以下に引用する。

 

 ミュージシャンのコーネリアスこと、小山田圭吾ですけど。
 雑誌のインタービューによりますと、彼は、和光大学付属の小・中・高校時代に、いじめる側の生徒だったようです。
「ロッキンオン・ジャパン」(1994年1月号。編集長は山崎洋一郎)の小山田圭吾2万字インタビューによると、

「あとやっぱりうちはいじめがほんとすごかったなあ」
でも、いじめた方だって言ったじゃん。
「うん。いじめてた。けっこう今考えるとほんとすっごいヒドイことしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)だって、けっこうほんとキツイことしてたよ」
やっちゃいけないことを。
「うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを食わしたりさ。ウンコ食わした上にバックドロップしたりさ」

 とのこと。
 このインタビューを読んだ村上清というライターが、その後、雑誌『クイック・ジャパン』vol. 3号(19958月・51-72頁)にて、「村上清のいじめ紀行」という記事を書きます。記事によれば、いじめってエンターテイメントということらしく、

いじめた側の人がその後どんな大人になったか、
いじめられた側の人がその後どうやっていじめを切り抜けて生き残ったのか、

 という興味から、いじめた人と、いじめられた人との対談を企画します。しかしこの対談は実現せず、小山田圭吾への個人インタビューとなります。(後略)

 

出典:https://koritsumuen.hatenablog.com/entry/20061115/p1

 

 上記記事は最初他のブログに掲載され、それがはてなダイアリー(当時)に引っ越したあとの2012年夏に一度発掘されたことがあったようだ。「はてなブックマーク」の人気ブクマの多くはこの時期につけられている。2012年夏といえば、第2次安倍内閣発足の数か月前だ。いくつか紹介する。

 

小山田圭吾における人間の研究 - 孤立無援のブログ

私がこのインタビューをかつて読んで驚いたのはその語り口の上手さ。いじめ自体の問題は別にして一種の芸。2ch的なものの走りであり、94年にはまだそうしたネット匿名の巨大世界はなかったのである。

2012/07/23 17:40

b.hatena.ne.jp

 

 「2ch(現5ch)的なものの走りであ」るとともに、1980年にツービートが発した「赤信号」の嫡子でもあるよなあ。80年代・90年代文化の典型例じゃないかと思う。

 

小山田圭吾における人間の研究 - 孤立無援のブログ

小山田がクズなのは全くその通りだがこの露悪と当時の音楽性はそのまま繋がってて裏切るものでもない。 90年代渋谷系の本質の一つは悪童達の露悪だったから。

2012/08/08 12:49

b.hatena.ne.jp

 

 「悪童たちの露悪」というのもビートたけしと同じだ。たけしがテレビ朝日の「TVタックル」などで自民党の御用芸人というか電波芸者的な役割を長年果たしてきたことも忘れてはならないだろう。

 

小山田圭吾における人間の研究 - 孤立無援のブログ

スクールカーストの上位にいる人間にとって、「いじめ」とは本当に娯楽・よい思い出なんだろうね。うんざり

2012/07/23 22:29

b.hatena.ne.jp

 

 階級の上位にある者が下位にある者をいじめることをよしとする、というのが1980年から40年間続いた日本社会の基本的なコンセプトだったのではないか。文化にも自民党政権の政治にも通底するその流れが(おそらくはコロナ禍を機に)今まさに問われようとしている。もしかしたらわれわれは今、数十年の一度の大きな転換期にいるのかもしれない。

 

小山田圭吾における人間の研究 - 孤立無援のブログ

小山田圭吾も無防備すぎるし、ヤな奴だとは思うけど、インタビュアーの品性が記事にはいちばん反映されるんだよね。で、おどろきはないよ。ロックやサブカルなんてこの程度なんですよ。そんだけの話。

2012/07/24 12:52

b.hatena.ne.jp

 

 「ロックやサブカルなんてこの程度」というのは、その前に「1980年代以降の日本における」という限定が必要なんじゃないか。例えば、私がロック雑誌の論客として直ちにその名を思い浮かべる故中村とうよう(2011年没)は、小山田や村上清とは対極にあるような(その実根っこは同じなのかもしれないが)教条的な左翼だったのだから。

 ところで昨日、本件からまず反ユダヤ主義者にして没後ナチスドイツに利用されまくったリヒャルト・ワーグナーを思い出した。彼の音楽は世界中の多くの人に愛好されているが、イスラエル・フィルがワーグナーを演奏するまでには何十年もの歳月を必要とした。

 また、そういえば殺人を犯した作曲家や画家がいたはずだよなあと思ってネット検索をかけ、作曲家カルロ・ジェズアルド(1566-1613)や画家ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610)について書かれた記事を読んでいた。小山田圭吾は殺人こそ犯していないが、ジェズアルドやカラヴァッジョを連想させる人間であることは間違いないだろう。なぜなら、小山田のいじめを苦にして自殺に追い込まれる人が出た可能性だってあるのだから。

 もっともワーグナーはもちろんジェズアルドの音楽やカラヴァッジョの絵は現在でも評価されているが、小山田の「音楽」が後世に残るかどうかは知らない。そもそも私は彼の「音楽」など全く知らないのだから評価のしようがない。

 ただ、1980年代から90年代にかけての日本の文化、ひいては当時から現在に至る日本社会や自民党政権による政治のあり方が裁かれる日々がついに始まりつつあるのだなあと、そのことに対して深い感慨を覚える次第。

*1:菅義偉西村康稔の個人的暴走にしようと躍起になっているが、18日の「サンデーモーニング」で政府関係者のコメントとして指摘されていた通り、この件に菅が関与していないとは考えられない。