kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「村神様」の言い出しっぺは誰か?

 このところ急に「村神様」なる文字列にお目にかかることが多くなった。プロ野球ヤクルトスワローズの村上宗隆が、まるで去年の今頃の大谷翔平みたいに本塁打を量産しているからだ。一昨日に広島・床田から放った逆転3ランは、先週同じ投手にやられたタイガースファンを「佐藤輝明ではあのようには打てない」と言わしめた。1985年のランディ・バースを思わせる打棒といえようか。「村神様」というあだ名は、1958年の「神様、仏様、稲尾様」をもじったものでもあるかもしれない。

 でも誰が言い出したんだろうか。ネット検索をかけてもわからなかったが、5月上旬に読売ファンが言っていたことは確かなようだ。

 

news.yahoo.co.jp

 

 以下引用する。

 

面白い!G党「村神様にふれるべからず」-「#プロ野球申し送り事項」カード替わりにSNSでファン交流

5/9(月) 20:19配信

 

 プロ野球の対戦カードが替わるごとに、ツイッター上では「#プロ野球申し送り事項」として各球団のファンが対戦チームの特徴を次カードのファンに伝える現象が起こっている。

 

 ユーモアを交えながら、8日までの3連戦でヤクルト・村上に満塁弾2発を浴びるなど3タテを食らった巨人ファンは「村神様にふれるべからず」「村上様をほかほかにしました」「敬遠すれば1点で済みます」とつぶやき、中日ファンへヤクルトの特徴を伝えている。

 

 一方の中日ファンは10日から阪神と対戦する広島ファンへ「中継ぎチャンスありません」「先発打てなかったらあきらめましょう」と5月に入り7試合無失点の阪神救援陣を示す情報を送っている。逆にDeNAファンは阪神ファンへ「ありとあらゆる打者を起こしてしまいました申し訳ございません」と8日の試合で今季最多となる21安打17得点のカープ打線を目覚めさせてしまい“謝罪”した。(後略)

 

出典:https://news.yahoo.co.jp/articles/c7afa5eb283bec85d6b7978f746cfb77c9807226

 

 上記引用文中にある5月10日からの神宮での中日3連戦は、1戦目が1対0、2戦目が2対0で負けて1勝2敗だった。村上は3試合でシングルヒット1本を打っただけだった。ヤクルトの13カード連続勝ち越しは、その次のマツダスタジアムの広島戦を1勝1引き分けとしたところから始まった。11球団を総ナメしたが、広島以外とは1回ずつの対戦なのに広島とだけは3回当たって昨日までで計6勝1引き分けだ。カード通算でも3回戦から1引き分けを挟んで8連勝中。しかしその広島は阪神DeNA相手には計20勝1敗2引き分けと鬼のように強い。ところが交流戦では最下位で、中でもオリックスには2018年から4季続けて3タテを食い(2020年は交流戦の開催なし)、計12連敗を記録している。対戦相手別の成績がこんなに極端なチームも珍しいだろう。秋山翔吾の加入で流れが変わるかどうか。

 まあこういうお調子者的な成績はベンチに問題がある。シーズン終了後の佐々岡監督の更迭は不可避だろう。阪神の「予祝」矢野監督も同様だ。また、現役選手時代にはほとんどのシーズンでAクラスだった中日の立浪監督は、逆境で戦った経験の乏しさが不成績につながっているのではないか。この人には良からぬ噂があるために好感を持っていないので同情はしないけれども。それどころかヤクルトが中日に負け越しているのが癪の種だ。広島や阪神は監督が代わればヤクルトにとって大きな脅威になると思うが、2011年に落合監督を辞めさせた経緯に問題がある中日は、当分沈んだままなのではないだろうか。

NHKの参院選候補者アンケートによれば、ロシアに対する経済制裁に関する意見が両極端に位置するのは共産党と×××新選組

 NHK参院選候補者アンケートによれば、ロシアに対する経済制裁に関する意見が両極端に位置するのは共産党と×××新選組という話。

 

 

 ロシアに対してもっとも厳しく批判するスタンスにいるのが共産党で、もっとも甘いのが新選組だというのは、私なんかから見ればあまりにも当たり前だが、世間一般でも常識になった方が良い。経済制裁の有効性その他の議論はいろいろあろうけれども。

 普通に考えれば、ネットで一部の人たちが言ってる「共産と新選組が手を携えて」云々なんてあり得ない話だと思うけどねえ。なぜそう考えたがる人たちが少なくないんだろうか。

 

 そういや、某暴犬なんかは「共産趣味者」の中でも異端なんだろうねえ。

 ああいうのを正しく「反共分子」と認定するんじゃないかな、普通の人は。

 まああれは単なる権威主義者の成れの果てだけどね。

生稲晃子は当選しても自民党安倍派のワンオブゼム。ファシズムへの傾斜を強く持つ山本太郎の方がよほど危険だ

 下記のツイッター政治おじいちゃんお化け氏のツイートは、私とは立場が違う。

 

 

 生稲晃子は当選したら安倍派に入る極右人士らしいのでどうしようもないが、そうなったところで所詮は安倍晋三一派のワンオブゼムであり、「悪いポピュリズム*1」の人士かつファシズムへの傾斜を強く持つと私が認定する山本太郎に対する批判を緩める気には全くならない。生稲と山本のどちらかを落とせるのであれば、山本を落とす方を選ぶ。悪名は無名に勝るの言葉通り、山本を批判し続けることは彼の知名度をいっそう高めて当選可能性を増す要因になるだけかもしれないが、それでも山本の危険性を知っていただく方を選ぶ。

 私は、下記石田昌隆氏のツイートに共感する。

 

 

 

 最近では山本は本音を剥き出しにするようになった。

 

 

 山本は上記ツイートに書かれた問題発言をする前に、議員定数を減らすのではなく増やすべきであって、議員定数を減らしたら固定票を持つ自民、公明、共産ばかりが増えると言った。議員定数は減らすのではなく増やすべきだという山本の意見自体には私も賛成だ。

 しかし、そのあとに山本はうっかり口を滑らせて本音を言ってしまったわけだ。

 

 

 無邪気も無邪気、大無邪気ですな。山本のバックには(勝手に応援しているだけのいわゆる「勝手連」かもしれないけれども)かつて共産党から分派認定された「日本共産党(左派)」の事実上の機関紙・長周新聞もいる。

 下記ツイートの指摘通りだろう。

 

 

 

 いまどきの(ではなく半世紀以上前からいるが)新左翼は事実上の機関紙の一面トップで現元号を大々的に宣伝するのか。開いた口が塞がらない。

*1:ポピュリズムは一概に「悪」とは決めつけられないが、山本太郎は明らかに「悪いポピュリスト」だ。

1943年に後藤新平の「大亜細亜主義」を賛美する本を出して共産党に「筆誅」を加えられた『長周新聞』の「死んでも編集主幹」福田正義

 山本太郎と×××新選組を全力で応援している『長周新聞』は、今なお2001年に亡くなった福田正義を「編集主幹」としているらしい。その福田正義について、Wikipediaに面白い記述があるのをみつけた。

 

生涯[編集]

山口県下関市出身。1928年昭和3年)3月、下関商業実践学校を卒業。 1939年昭和14年)頃から満鉄社員会で左翼活動。1943年昭和18年)、日本の植民地政策を賛美した本『後藤新平』を上梓。同書を上梓した過去を隠し通したことから、のちに日本共産党から筆誅を加えられた[1]1945年(昭和20年)、日本人民主連盟在華共産主義者同盟に参加。 1947年(昭和22年)1月、帰国し、全駐留軍労働組合で活動。

1947年、日本共産党に入党し、党山口県西部地区委員長。 1948年(昭和23年)、党山口県委員。

1949年(昭和24年)、党山口県常任委員、党中国地方常任委員。被爆まもない占領下の広島で原水爆禁止運動を開始。当時共産党中央はアメリカ占領軍を解放軍と規定していたためこの運動を非難した。

1950年(昭和25年)8月、戦後初の原水爆禁止の集会を決行(当時非合法であったこの集会の模様は詩人・峠三吉の詩『1950年8月6日』に記されている)。翌年からは合法的に原水爆禁止広島集会が開催され、数年後には世界大会が開催されるようになる。

1950年、いわゆる「50年問題」の際、日本共産党臨時指導部より除名される。1951年、『平和と独立』編集部に在籍。 1952年(昭和27年)、『アカハタ』中国総局長に就任。

1952年、福田の指導により劇団はぐるま座結成。1955年(昭和30年)、『長周新聞』を創刊。 この間、毛沢東思想に傾倒する。1966年(昭和41年)9月、日本共産党から分裂し、日本共産党山口県委員会(左派)を結成。 1969年(昭和44年)11月、同じく親中国派である寺尾五郎らとともに日本共産党(左派)を結成し、中央委員会議長に就任。

1970年代に中国とアメリカの関係が改善し始めると、中国を批判するエンヴェル・ホッジャに傾倒。その影響で、共産党左派もアルバニア派となった。ホッジャ死去後は再び毛沢東主義に戻った。

2001年(平成13年)12月、心不全により死去。90歳。福田の営為は長男である福田槐治が継承した[2]。福田槐治は、北京空港事件の下手人とされている。

 

出典:福田正義 - Wikipedia

 

 ここで私が注目したのは、

日本の植民地政策を賛美した本『後藤新平』を上梓。同書を上梓した過去を隠し通したことから、のちに日本共産党から筆誅を加えられた[1]

というくだりだ。Wikipediaから張られたリンクは下記。

 

 タイトルは毛沢東盲従集団―福田一派の虚像と実像』[日本共産党中央委員会出版局発行(1972/03/25)]となっている。

 下記引用文が戦前に福田がやらかした悪行に共産党が「筆誅」を加えた箇所だ。

 

4.福田正義という男――中国侵略共犯者の前歴かくす


干渉者にもいえない顔

 

 時は昨年の九月二十日夜、ところは北京の迎賓館。福田正義は日本の反党盲従集団の代表団長として周恩来らと会見、「日本の真の革命政党の代表」「不屈の革命戦士」などともちあげられ、「わが生涯の最良の日」とばかり得意満面でした。

 福田正義。一九一一年(明治四十四年)一月一日、山口県下関市の商人の家の生まれ、六十一歳。一九六六年九月、日本共産党山口県委員会常任委員だったかれは、中国の干渉者たちのさし図にしたがって公然と反党活動を開始し、祖国の人民と党を売った最悪の裏切り者として日本共産党を追放されました。その後、党転覆の策動をつづけ、一九六九年には「日本共産党(左派)」などという荒唐無けいで許すことのできない看板をかかげ、その「中央委員会議長」の座におさまっています。ここには、外国に魂を売って、五十年の日本の革命的伝統を裏切り、その転覆をはかる反党分子の醜い顔があります。

 そしてこの顔は、中国の干渉者にもいえないもう一つの福田の顔と深いところでつながっています。

 

「大亜細亜主義」を賛美

 ここに『後藤新平』という一冊の本があります。「満州日日新聞東京支社出版部」、昭和十八年発行、B6判三百八十九ぺ-ジのこの本の著者が福田正義です。

 後藤新平といえば、「満州」の植民地支配にらつ腕をふるった初代「南満州鉄道」総裁。福田は若いころ山口県でプロレタリア文化運動に関係していましたが、やがて逃亡するように「満州」に渡り、御用新聞満州日日新聞」(のち「満州日報」と改称)の記者になりました。そしてみずから後藤新平を礼賛する伝記を書き、日本帝国主義の中国侵略戦争、中国東北地方の植民地支配に積極的に協力しました。

 福田はこの伝記の目的を、「彼(後藤新平)が熱情をこめて主張した大亜細亜主義」「日本の大陸雄飛の先覚としての後藤新平」を描きあげることだとのべています(「まえがき」)。ことばのとおり、その内容も、「王道の旗をもって覇術を行なう」という後藤の主張を「高邁にして毅然たる精神」ともちあげ、日本帝国主義の侵略政策の推進者後藤を徹頭徹尾賛美したものです。しかも福田は、「後藤新平は、いまも、満州に生きている」「彼を正当に評価し、讃えるものは、彼の『屍を乗り越えて』すすまねばならぬのである」と、後藤につづいて残虐な侵略拡大の道へすすむことを国民にもとめていました。これは福田が最悪の転向者であり、中国人民への凶暴な支配と侵略の積極的な共犯者であることをしめしています。

 福田は、かつて党に提出した文書のなかでも「敵に屈服したことはなかった」と侵略協力の前歴をかくしつづけ、ごく親しいものにもこの「満州時代」については口をとざして語りませんでした。そしていま、かつて中国侵略のお先棒をかついだ福田は、 "不屈の革命戦士 "として中国側に売りこみながら、その黒い前歴があればこそ、一転して盲従とへつらいにつきすすんでいったのです。

 党の戦列に属しながら、ついに福田は、中国侵略戦争に一貫して反対し、日中両国人民の連帯のために不屈にたたかった日本共産党の誇りをともにすることができませんでした。そして福田のこの二つの顔は、党にたいしてもおもてむきの忠実と裏切りのニつの顔をつかいわけさせることとなりました。そうした "本領 "がいちばん発揮されたのが、一九六五年から六六年の時期に、中国の干渉者に賭けてわが党にたいする裏切り行為を公然化させつつあったときです。

「王道の旗」から「盲従の旗」へ

 当時、すでに対外追随の教条主義極左日和見主義の芽をふきださせていた福田らは、一九六四年の第九回党大会でこの点を全党から批判されました。これにたいして福田は、対中盲従の誤りを認め、「自己批判」をしてみせました。

 たとえぱ、六五年二月十六日、福田は、「国際共産主義運動の中の意見の相違が表面化するにしたがい、……次第に私自身、わが党がこの問題で中国共産党のような方法で闘争すぺきだと考えるようになった。このことはわが党の路線に反しており、他国の党の路線をうけ入れるという現代教条主義の誤りである」と誠実そうに反省してみせました。

 しかし、これが全党をだまし、その同志的批判をそらす口先だけのものであったことは、わずか一年後にかれが公然と反党策動に走った事実がしめしています。

 かつては中国侵略の「王道の旗」に賭け、いまは「盲従の旗」に賭けて反党策動にあけくれる卑劣な野心家――それが二心者福田正義の一つの素顔にほかなりません。

 

出典:http://maoist.web.fc2.com/jcp/jcf004.htm

 

 この文書が発表されてから既に50年が経過しているが、今も日本共産党による福田正義及び「日本共産党(左派)」に対する分派認定が変わっているとは思えない。

 その福田の没後20年以上も経つ今も「編集主幹」として崇め奉っている『長周新聞』が全力で応援し、かつ2019年当時に毛沢東主義系の新左翼・斎藤まさしがバックにいるとの説が有力だった×××新選組山本太郎が独裁党首を務めている)と共産党が連合政権協力合意を結んだことの当否は、現在問い直されて然るべきなのではないか。

 なにしろ党執行部が「分派」とつながりのある可能性のある政党と連合政権の協力合意をしたのだから、その意味合いは決して小さくないはずだ。

 蛇足だが、引用した共産党の福田正義批判を読んで、創価学会日蓮正宗批判を思い出した。いずれも不倶戴天の敵を攻撃する文章の典型だ。

弊ブログの民主集中制批判に小田原人さんから反批判のコメントをいただいた

 下記記事に小田原民さんからコメントをいただいた。民主集中制の正当性を主張する内容だ。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 小田原人

民主集中制について一言

凡そどんな団体・組織でも、意思決定を行なった当初からその決定が誤りだとするものはありません。機関意思の決定は、当該意思決定を行ない得る機関や役職者が正当・妥当と判断したからこそなされるものです。
民主主義的中央集権制を採用する政党であろうがなかろうが、意思決定の時点で「問題はない」とする判断が多数でない限り機関意思にはなりえません。

kojitaken氏は、「民主集中制は……間違った決定を修正できない原因」と述べています。しかし、日本共産党において、党員多数が「間違った決定」と判断しているものが修正さないという事実は確認できません。
また、「間違った決定に党員が従わざるを得ないあり方」が存在するとすれば、これは問題です。

しかし、政党において何が正しく、何が間違っているかを判断するのは党の構成員です。そして日本共産党のような構成員の権利平等に基づく組織政党では、その判断は一人一人の党員が行ないます。

従って、kojitaken氏は、日本共産党の党員の多数が「間違った決定」と認識している決定が存在し、それに従わざるを得ない(=修正できない)状況に置かれていると主張していることになります。しかし、その主張を支えるに足る根拠は示されていません。

民主集中制は……間違った決定を修正できない原因」と、kojitaken氏は主張します。しかし、社会民主主義の立場からすれば「間違った決定」となる場合でも、科学的社会主義の立場からすれば「正しい決定」となる場合は多々あります。
kojitaken氏の民主集中制への批判は、この点の理解を欠いているために生じているように思われます。


なお、政治は、自然科学のような実験を行ないその正当性を証明できる性格のものではありません。人々の実践の中でその歴史的正当性・妥当性が証明されるものです。
従ってある一時期においては、歴史的正当性・妥当性を持ちえない政治的主張が、社会的多数派を占める、あるいは一定の支持を持って存在することがありえます。

例えば、1937年総選挙では、日本無産党を除くすべての政党が親ファシズム的傾向を有し、日本の中国侵略を肯定・容認する立場に立っていました。
だからと言って、政友会や民政党の党員が、間違った決定に従わざるを得なかったわけではありません。歴史的に見れば正当性を有しなかった日本の中国侵略を、当時の政友会や民政党の党員たちは、正しいもの判断し支持していたのです。
また、反ファシズムを掲げ、侵略戦争に反対していた日本無産党は当選者1人に止まり、前回18人から37人へと躍進した社会大衆党と比較すれば不振だったと言えます。
だからと言って、日本無産党が選挙で躍進しなかったから反ファシズム・戦争反対の主張が「誤り」となるわけではありません。当時の国民の支持を受けなかったからと言って、反ファシズム反戦の主張を取り下げる必要性は、当然ありませんでした。

社会民主主義を是とする立場からすれば、社会主義実現を目指すという日本共産党の綱領的立場そのものが「間違った決定」になります。
しかし、日本共産党社会主義共産主義の実現を目指す科学的社会主義政党です。民主集中制を採用しようがしまいが、社会民主主義者からすれば「間違った決定」(=科学的社会主義者からすれば正しい決定)に「党員が従わざるを得ない(=修正できない)」のは当然と言えます。

日本には結社の自由が存在します。
社会主義共産主義に反対する人は、科学的社会主義政党に所属する必要はありません。
また、社会主義共産主義には賛成だが民主集中制に反対の人は、民主集中制を組織原則とする政党に所属する必要はありません。
社会主義共産主義の実現を目標とし、組織原則として民主集中制を採用しない政党を結成すればよいだけのことです。

ある政党の振る舞いが問題になる場合、決定された機関意思とそれに基づく行動によってもたらされた結果が、当該政党員以外にとっては問題となります。
当該政党の機関意思形成の手続きを問題にすることは、勿論、政党選択の判断材料となります。

しかし、日本の政党において民主集中制を採用している日本共産党が、他の政党と比較して政党の機関意思決定にあたり著しく合理性・民主性を欠いているとは言えません。
例えば、旧立憲民主党、旧国民民主党は2020年に解党し、新たに立憲民主党を結成しました。この際、党員の意思は問われたのでしょうか。少なくとも日本共産党においては党の解散や合同を決定する際に、党員の意思が問われない、党大会が開催されないなどと言うことは規約上認められません。

以上のことから、kojitaken氏の民主集中制に対する批判は妥当ではないと考えます。

長文ご容赦ください。

 

 科学的社会主義の立場からの社会民主主義に対する批判として承りました。

 歴史の審判に耐えて日本共産党を現在まで生き延びさせた「宮本路線」の生みの親である宮本顕治は、その反面、宮本顕治不破哲三らは党の誤りの責任を袴田里見野坂参三らに押しつけたともいえるわけで、「宮本路線」を高く評価する中北浩爾『日本共産党』にもそのような記述が何箇所かあります。中北本によれば野坂参三が山本懸蔵をソ連に密告した(そのために山本がスターリンに処刑された)とする説は「現在では否定されている」*1とのこと*2ですし、宮本が最高権力者になる前の事例である伊藤律についても、伊藤が特高のスパイだったとする共産党の認定(尾崎秀樹松本清張らによって流布された俗説がそれを補強した)も「現在では否定されている」*3し、戦前に宮本らに査問されて死亡した小畑達夫についても「スパイであったか否かについて論争がある」*4とのことで、彼らに対する党の認定が現在のままで良いかどうかは私には大いに疑問です。また、そのような過去の事例ばかりではなく、宮本顕治亡きあとに共産党が「悪しきポピュリズム」に迎合し始め(たように私には見えます)、ことに2019年に共産党がれいわ新選組との野党連合政権の協力に合意したことなどは大きな誤り*5だったのではないかと考えていますが、その当否は今後の歴史的検証を待つしかないでしょう。

 本記事ではこれ以上の冗句を書き連ねることは止めておきます。こちらとしても批判を受けなければ前進はありませんから、今回コメントをいただいたことには大いに感謝します。どうもありがとうございました。

*1:中北本122頁、参照文献は和田春樹の論考。

*2:この件は中北本を読むまで私は認識していなかった。

*3:中北本127頁、参照文献は渡辺富哉の著書『偽りの烙印』。

*4:中北本116頁、参照文献は立花隆日本共産党の研究』及び袴田里見の著作。

*5:もちろん新選組への迎合は立民や社民にも見られたことで、共産党と同様にこれらの政党も誤りを犯したと考えている。

新選組・水道橋博士の街宣に吐き気を催した

 ×××新選組比例区2議席目が有力視されているらしい候補の街宣があまりにもひどい。

 

 

 水道橋博士というこの候補者に対しては、某暴犬(bogus-simotukare)に対するのと同じくらい激しい嫌悪感というか吐き気を催す。

 こんな候補者は絶対に落選させたい。新選組の他の候補者や維新の候補者ともども。

×××新選組における山本太郎独裁制のルーツは民主党小沢一郎G(のち「生活の党と山本太郎となかまたち」等)だ

 そういえば、はてなでは "kechack" と名乗っていた下記ツイート主の御仁に、kojitakenは共産党批判だけはしない*1から共産党支持者だと思っていた、とどっかで書かれたのを目撃したことがあったのだった*2。もう相当前の話だ。それよりさらに前に、御仁が活発に「はてなダイアリー」を更新していた頃には結構交流があった。御仁は現在も立民リベラル系のシンパと見受けられる。

 しかしその御仁こと "Oricquen" 氏の下記ツイートはいえている。氏がアンチ小沢一郎だったかまでは覚えていないが、どうやらそうだったようだ。下記の呟きを目にした*3

 

 

 小沢一郎のグループ(その後「国民の生活が第一」、「生活の党」、「生活の党と山本太郎となかまたち」、「自由党」などと改称したあと、立民に吸収された)には強烈な組織内統制があった。小沢一郎は「イラ菅」こと菅直人とは対照的に、面を向かって自らと異なる意見を述べる人に対しても愛想良く接するが、分かれた後に掌を返して遠ざけるという習癖があった。電話に出なくなるというのが典型的な小沢の手口であり、毎日新聞の故岸井成格もそのようにして遠ざけられたと語っていた。

 

 その小沢グループ内(民主党から分かれたあとは党内)にはお目付役がいた。山岡賢次である。もともとは山岡荘八(本名・藤野庄蔵)の秘書で、その婿養子になったため藤野姓となり、政界入りに際して山岡荘八の虎の威を借りて「山岡」を名乗った。当初所属した政党は当然ながら自民党であり、それも清和会に属していた。典型的なタカ派の政治家である。小沢一郎田中角栄系ながら、その主義主張は田中派らしからぬネオコンネオリベ系だったため、山岡賢次とは波長が合ったのだろう。新生党新進党、旧自由党(1998年結成)と、山岡は小沢と行動を共にした。1998年結成の旧自由党が「自民党より右」の政党と目されていたことなど、今覚えている人は少ないだろう。

 この山岡賢次が「小沢ガールズ」たちを締めつけていたのである。「小沢ガールズ」など、この呼称が普通に通用していた2012年までから10年経った現在では、差別的であって到底許されない呼称だが、10年前には普通に通用していた。

 この事例から連想したのが、戦前の共産党で行われていた「ハウスキーパー」制度だった。この制度について、今年出版された中北浩爾の『日本共産党』(中公新書)で批判的に記述されているといって佐藤優が鬼の首を取ったようにはしゃいでいるらしいが、ハウスキーパー制度など1970年代に立花隆が書いた『日本共産党の研究』(講談社文庫)に詳述されている。軍畑先輩が下記ツイートで指摘する通りだ。

 

 

 しかし立花隆の本にはハウスキーパー制度の差別性に関する批判的な視座はなかった。それどころか正当化さえしてたっぽいことは上記軍畑先輩のツイートが示唆する通りだ。このあたりが1930年代の日本共産党及び1970年代の立花隆の歴史的限界だ。立花についていえば、彼はその後もマッチョ的な問題発言を結構していたらしい。「知の××」という私の全く好まない立花の形容において、「××」は「キョ」に強勢を置いて発音される固有名詞(弊ブログのNGワードの一つ)だったのかもしれない。

 また話が逸れた。この記事で論点の中心は、山本太郎の政党(組)である×××新選組の独裁的党運営のルーツは小沢一郎にあるということだ。

 その小沢は、いまや立憲民主党の「一兵卒」である。こんな小沢を抱え込んでいること自体が立民の限界をよく表しているように、私には思われる。

*1:そういう時期があったかも知れないが、それは「社民(主義)の人間は科学的社会主義の政党(共産党)を批判するな」と言われたから、ああ、議論ができない相手ということかなと考えて、あえて共産党に触れなかっただけのことだ。しかし2015年に共産党が「野党共闘」に積極的な路線に転換したので、それ以降は共産党論を解禁することにした経緯がある。

*2:それが今では「某暴犬」ことbogus-simotukare(たまにはこの人のHNも書いておかないとあまりにも読者に不親切かもしれないと思い、今回は例外的に明記することにした)のブログのコメント常連氏(赤字部分はコメント欄で指摘を受けて追記したもの。某自身が書いたものではなかった)に「あいつは立民の批判だけはしない」と言われている。何のことはない。Oricquen氏にせよ某暴犬にせよ、その人自身の立場によって見る目にバイアスがかかっているだけの話だ。私は基本的に無党派の一社民主義者である。

*3:落語に関する無知に起因する誤りをコメント欄で指摘されたので、当該箇所を削除していたところ、うっかりリンクを消してしまい、元ツイートのURLがわからなくなってしまいました。リンクがおわかりの方がおられたらご教示いただければ幸いです。