kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

辛坊治郎が参院選に出馬との観測

 下記のツイートに目を剥いた。

 

 

 辛坊治郎といえば、10年ほど前の私のブログライフ初期の時代には、城内実や故勝谷誠彦と並ぶブログの悪役だった*1。毎週土曜日朝には辛坊が司会を務める読売テレビ日本テレビ系。当時在住していた香川では西日本放送)の番組を見ては悪口を書き連ねていたものだ。その後歳をとり、さすがに辛抱たまらなくなって辛坊の監視は止めてしまった。

 上記のツイートを見て、てっきり辛坊が読売テレビ日曜午後の、かつて(やしき)たかじん冠番組だったあの極右番組の司会を降りるのかと思ったがそうではなかった。以下サンケイスポーツより。

 

https://www.sanspo.com/geino/news/20190320/geo19032005010007-n1.html

辛坊治郎す・またん!』卒業「10年一区切り」

 

 読売テレビは19日、大阪市内の同局で春の改編説明会を行い、10周年を迎える情報番組「朝生ワイド す・またん!」(月~金曜前5・20)の辛坊治郎キャスター(62)が番組を卒業すると発表した。

 辛坊氏は2010年3月29日の放送開始当初から同局の森たけしアナウンサー(59)とメインMCを担当。18年4月の改編で木、金曜のみの出演になっていた。「10年一区切り」との辛坊氏の決断を、同局は「10年間、番組を支えていただき、感謝の思いしかない」と送り出す。

 最後の出演は29日。昨年から月~水曜を担当する野村明大アナウンサー(46)が木、金曜も引き継ぐ。

 また、辛坊氏がMCを務める「そこまで言って委員会NP」(日曜後1・30)に「副委員長」として出演してきたフリーアナウンサー渡辺真理(51)が3月いっぱいで降板。同局の黒木千晶アナウンサー(25)が「秘書」として出演する。

 

サンケイスポーツ 2019.3.20 05:01)

 

 あの極右番組を降りないのであれば、辛坊の参院選出馬の観測に説得力があるとはいえない。しかし、参院選は7月なので、4月や10月の大改編期ではないがプチ改編期ではある。だから参院選出馬がないとも断言できない。実際、前記ツイートに反応したが2つのツイートも指摘している。

 

 

 

 参院選に出馬する場合は維新からというのも確かにあり得る。いずれにせよぞっとしない話だ。辛坊は関西の出身ではないが*2、こいつが大阪(関西)にもたらした害毒には計り知れないものがある。

*1:ラスボスが安倍晋三であることは昔も今も変わりないが。

*2:辛坊は静岡出身かとずっと思い込んでいたがそうではなく、鳥取県生まれだったがすぐに引っ越して、大学を卒業するまではずっと埼玉県に住んでいたらしい。つまりほぼ生粋の首都圏の人間だ。

人災の日

 下記記事を読んで思い出した。

 

hiroseto.exblog.jp

 

 今日、3月20日は1995年に地下鉄サリン事件が起き、2003年にはイラク戦争が開戦した日なんだね。それぞれ故麻原彰晃とブッシュのドラ息子が引き起こした人災だった。だから今日は「人災の日」だな。その意味で1.17(阪神淡路大震災)のような天災とは対照をなす。なお3.11(東日本大震災)には東電原発事故、9.1(関東大震災)には朝鮮人大虐殺という人災がそれぞれ付随して起きた。

 もっとも今の日本も安倍晋三による災厄に苦しめられている。習近平を最高指導者に戴く中国も同じかもしれない。

 

hiroseto.exblog.jp

 以下全文を引用する。

習近平は終身総書記に道を開いた。
昨年、その習近平にゴマをすった安倍晋三は「総裁4選」を幹事長の二階に言わせた。
しかし、ミスったかも知れない。
現時点では「まあ、安倍(習)でいいかあ」という層も「永久に安倍(習)かよ?!」と思い出すと、潮目が変ることがある。両者は判断をミスったと思う。中国共産党も日本の自民党も強固ではあるが、じわじわとボディーブローのようにそうした効果が効いてくると思う。
3月17日の東京都台東区議選では自民党候補が5人も落選し、1議席減少となった。自民党に黄色信号がともりはじめた。
 (『広島瀬戸内新聞ニュース』2019年3月20日

 

 そういえば、辺見庸安倍晋三は日本の人民にとっての災厄だし、習近平は中国の人民にとっての災厄だという意味のことを書いていたのを読んだ記憶がある。

 安倍や習にとどまらず、プーチン金正恩、それにトランプなどなど、世界は悪質な独裁者だらけだ。まさに世界的な「人民受難の時代」。あまりにも闇が長く続くので、これはもしかしたら明けない夜なのではなかろうかと時々思うようになった。

新元号を国文学から採る欺瞞を嗤う。日本語から採るなら平仮名の元号にしろよ

 2週間後にはもう新元号の話題で持ち切りになっているだろうと思うと気が重いが、新元号が国文学からとられるだろうことは疑う余地がない。もちろん右翼たちは大喜びするだろうが、その方が新元号に「安」の字が含まれるか云々よりよほどたちが悪いと思う。ちなみに前々から書いている通り、新元号には「安」の字は含まれないだろうと予想している。

 なぜたちが悪いかというと、国文学からとったところで元号が漢字2文字であろうことに変わりはあるまいし、漢字とはその名のごとく中国の文字だからだ。いくら国文学から採ろうが、その国文学の出典となるであろう漢字2文字から中国の影響を排除できるはずがない。どうしても日本語から採りたいというのなら、元号を平仮名か片仮名にするしかあるまい。韓国(朝鮮)のハングルがそうであるように、平仮名や片仮名こそ日本の文字だ。そう、「あほ元年」か「あへ元年」にすれば良いんだよ。漢字2文字の国文学の「出典」など欺瞞もいいところだ。

 こう書いて思い出したのが、かつて2005年に朝日新聞の日曜版(当時。現在は土曜版)が「天皇をアホと書いた」と鬼の首を取ったようにはしゃいでいた故勝谷誠彦のことだ。朝日の日曜版が「阿保親王」を「阿保天皇」と誤記してしまったのを勝谷があげつらったものだが、いうまでもなく「阿保」はあほではなくあぼと読む。勝谷の出身地である尼崎市の隣の隣の芦屋市には「阿保親王塚」があり、親王は「あぼみこ」として親しまれていて阿保親王塚は近隣の人たちの観光スポットにもなっている(と言いながら阪神間で子ども時代を過ごした私は行ったことがないのだが)。地元の名所も知らない勝谷こそアホの活き作りだったのだ。その勝谷も改元を待たずに死んでしまった。

 そんな勝谷を追悼(追討*1?)する意味でも、新元号を「あほ」ならぬ「あぼ」にしてはいかがかと思う今日この頃。

*1:用例:https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/03/03/231147 より "高須克弥という人格に全く共感することはなく、死んだとしても追討はあっても追悼はあり得ないだろうとは思う。" 引用しながら気づいたが、この人も「かつや」なんだね。

チャウシェスク夫妻の再来?

 うーん。

 

hiroseto.exblog.jp

ピエール瀧被疑者関連作品を排除する動きが加熱している。
粛清された人が写真や絵から消されたスターリン時代のソビエトを思い出した。
レーニンの演説から消されたトロツキー、などが有名だ。
日本が急速に旧ソ連に似てきていると思う今日この頃である。
そして、日本は今度は戦前の日本と言うよりは、旧ソ連や東欧の
ような壊れ方をするのではないか、と思える次第である。

 

(『広島瀬戸内新聞ニュース』2019年3月17日)

 

 やはりなんですか、安倍晋三・昭恵夫妻の終焉はチャウシェスク夫妻みたいになりますかねえ。

 それはともかく、私はピエール瀧という人を全然知らないのだけれど、昨日も『アナと雪の女王』のDVD生産中止とかいう話を小耳に挟んだ。それはピエール瀧が吹き替えをやっていたからだとか。そういう風潮が蔓延しているのかもしれない。

 先日、1966年の日本共産党がジャズを「退廃」と批判していた話を書いたけど、薬物をやった人を「いなかったこと」にしてしまったら、それこそジャズやロックは成り立たないんじゃない?

 安倍晋三なんかもちょっとでも刃向かった者を排除するのが大好きで、自民党内でも石破茂の一派だけを会合に呼ばないなどということを露骨にやるらしい。まあ戦中の日本でも、東条英機が気に食わない記事を書いた新聞記者に赤紙を出すなんてことをやってたから、安倍は東条に似てるとも思うけど。まあチャウシェスクも東条も最後は死刑だったけど、安倍には死刑は必要ない。政治的に死んでもらえば十分だ。

 一方で薬物をやった人を過剰に擁護するのもどうかとは思うけど、「いなかったことにする」のはやめてほしい。自民党だけじゃなくて共産党なんかも伊藤律の件でいまだに誤りを認めていないけれども、あれなんかも民主集中制の弊害だろう。こういう一切合切に対する厳しい批判が求められると思う。

堤未果、自身への批判を完全黙殺か。過去には「ブーメラン」のツイートも

 堤未果Twitterサイトを覗いてみると、まず「こちらもおすすめです」の欄の筆頭に孫崎享の名前が目に入る。そこで調べてみたら、2012年に孫崎が発信した下記のツイートがみつかった。案の定というか類友というか、堤未果はラジオ番組で孫崎と対談して『戦後史の正体』を絶賛していたようだ。

 

 

 堤のTwitterサイトの「こちらもおすすめです」の3番目には石平太郎の名前もある。2番目に表示されている津田大介も、自身の言動を反省した方が良いかもしれない。

 

 その堤のツイートは、自身が最近受けている「排外主義」との批判を完全に黙殺している。もちろん知らないはずはないのだが。

 ところが、2週間前には堤自身が下記のツイートを発信していたのだった。

 

 

 「ブーメラン」あるいは「お前が言うな」の見本みたいなツイートだが、ここでリンクを張られた記事に出てくる「隆祥館書店」では、現在批判されている堤の『日本が売られる』(幻冬舎新書)が平積みにされているとのツイートを見かけたこともあった。

 リンクされた記事にはもっともなことが書かれており、多数の「はてなブックマーク」もついているのだが……。

 

www.businessinsider.jp

 

 以下上記リンク先の記事から後半部分を引用する。

 

2年前のムックシリーズがいきなり

そして後者の見計らい本制度。これは出版流通業界の慣行なのですが、書籍の問屋にあたる取次店が、書店が注文していない本を勝手に見計らって送ってくるシステムです。かつて出版業界がビジネスとして好調だった頃は、書店は自分で本を選ばなくても良いのでこのシステムを評価する人もいました。

しかし、一方的に送られてくる本の中には、隆祥館としては売りたくない差別を扇動するヘイト本やお客様から見てニーズの低い5年も前に出た本などが多く含まれています。そういう本も送られて来た以上、書店は即代金を請求され、入金をしないといけないのです。

2019年1月に取次店から『月刊Hanadaセレクション』のバックナンバーが見計い本でいきなり配本されて来たときは驚きました。奥付を見ると2017年12月24日発刊が3冊、2018年4月18日発刊が3冊、8月21日が4冊。過去、さすがに2年前のムックが送られてくるということはこれまでなかったと思います。販売実績を少しでも見てくれれば、うちはこの『月刊Hanada』はほとんど売れていないのです。それなのになぜ? という思いはぬぐえませんでした。

売れていないのに送られてくる仕組み

出版界では昨年から、本の出版のあり方について考えさせられることがしばしば起こっています。

LGBTの人たちを差別して雑誌を完売させる炎上商法、組織が大量に大手書店から購入して人為的にランキング1位を作るというやり方など。これらは本が売れなくなったことが要因だと思うのですが、長い目で見れば本自身の価値を貶めてしまうことになりかねないと思うのです。

父は生前、小さな書店も大型書店と同様の返品したら翌日に電子決済で翌日に返金されるように公正取引委員会に働きかけて6年がかりでこれを実現しました。そして、「次は見計らいの問題をやらなあかん」と言っていました。

父は例えば、注文なしでの見計らい本は即請求ではなく3カ月後に支払うという形にすべきだと考えていました。私も即代金を請求するのであれば、見計らい本も事前に書店に中身を伝え、書店側に断る権利を確保させて欲しいと思います。

この本は事実誤認が多く売りたくないので送らないで下さいと断っても現状は配本されてしまうのです。書店の意思を抜きに本を十把一絡げに、見計らいで配本するということ自体、おかしなことです。

例えばドイツは発売される前の企画本の内覧会を催し、それぞれが、自店にあった品揃えをしています。うちのお客さんの欲しい本はうちが分かっているという書店の矜持があり、それを版元も尊重してくれるのです。

出版社が作ったものを一方的な配本という流れで売るだけでなく、読者に一番近い地域の書店が、お客様の要望を聞いて出版社に伝えるということもありだと思います。

そうすれば、ヘイト本を配本されることもなく、返品作業も少なくなり取次や版元も返品で泣かされることも減少するはずです。また、金太郎飴のような没個性ではない、それぞれの書店の個性が出てくると思います。

先述したように実はこの見計い本やランク配本については長い間、おかしいと思いながら、公の場では話せませんでした。話せば取次さんからますます欲しい本を入れてもらえないのではないか、そしてお客様も小さい書店には本が来ないと考えて足が遠のかられるのではないか、と心配していたからです。

しかし、勇気を出して発信したところ、読者の方たちから望外の大きな応援を頂きました。

これは大きな励みになりました。黙っていては何も変わりません。書店としてお薦めしたい本を自信を持って仕入れて、責任を持ってお客様にご紹介していきたいのです。

今後も地域のお客様にとってかけがえの無い書店になるべく努力していきたいと思っています。

(文・写真、二村知子)

 

(『Business Insider Japan』2019年3月3日)

 

 堤未果自身についていえば、自身に寄せられた批判を完全黙殺している現在の姿勢は強く批判されて当然だ。何らかのコメントをする必要がある。