kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

福田康夫死去/「安倍晋三が垂れ流した害毒のデトックス」には福田康夫政権の1年間は短過ぎた

 福田康夫が死んだが、まず最初に思ったのは福田赳夫とどちらが長生きしたかということだった。親父の方が長生きだったんだろうなと思って調べたらそれは間違いではなかったが、その差はほんのわずかだった。福田赳夫(1905-1995)は90歳6か月弱、福田康夫(1936-2026)は90歳3か月強で亡くなった。その差は3か月にも満たない。

 ヤフコメを見たらネトウヨの悪口ばかりで、「親子揃っての親中派」だったなどと書かれたコメントばかりだったのでうんざりした。

 思ったのは、安倍晋三や高市が1970年代半ばに総理大臣をやったらどうなっていたかということだ。100%間違いないと断言できるが、安倍も高市も現在のネトウヨの観点から見ると「大の親中派の総理大臣」になっていたに違いない。そういう時代だった。今のネトウヨには想像できないだろうが、1970年代に中国から発信されたラジオ放送で最も強く非難されていたのはソ連であって、日本に対しては大いに迎合的であり、アメリカに対する批判も非常に抑制的だった。当時の右翼が目の敵にしていたのはソ連であり、中国に対する批判は限定的だった。

 1976年12月から2年弱総理大臣を務めた福田赳夫は、久々に現れた自民党右派の総理大臣であって、それまでの自民党政治を大きく「右旋回」させようとしているというのが当時の定評だった。だから福田赳夫政権の期間中に高校生になった私は福田を目の敵にしていた。しかしそんな福田赳夫がやったのは1978年の日中平和友好条約の締結だった。その福田赳夫の長男が福田康夫であり、中国との人脈は父から引き継いだといえる。1978年の平和条約は田中角栄政権時代の1972年の日中国交回復の必然的帰結に過ぎない。だからこそ、安倍晋三や高市があの当時に総理大臣になったとしても、福田赳夫と同じ(か能力的な問題によって福田赳夫の劣化版のような)ことしかやらなかったであろうことは絶対に間違いない。

 福田赳夫の長男の福田康夫も最初は森喜朗内閣、そのあとには小泉純一郎内閣の官房長官を務めたから、小泉竹中構造改革のスポークスマン(現在ではスポークスパーソンと呼ばれる)の役割を果たしていた。従って私も福田康夫を敵視していたが、自らに年金未納の時期があったと公表して内閣官房長官を辞任した2004年5月以降、この人は実は小泉純一郎には「面従腹背」していたのだなと気づいた。

 とはいえ、内閣官房長官辞任直前に福田康夫は大罪をやらかした。それが「自己責任論」の拡散だった。検索語「福田康夫 自己責任」でGoogle検索をかけたらAIが回答した。

 

福田康夫元首相(当時は小泉内閣の内閣官房長官)は、2004年に発生したイラク日本人人質事件の際、被害者やその家族に対して政府高官の立場から厳しい苦言を呈し、社会的に「自己責任論」が大きく広がる契機を作った人物の一人として知られています。 [1, 2, 3]
当時の経緯と福田氏の発言、およびその影響は以下の通りです。
1. 2004年 イラク人質事件での対応
2004年4月、イラクのファルージャ近郊で活動していた日本の民間人(ボランティアやジャーナリスト)が武装勢力に拘束される事件が発生しました。
日本政府は外務省を通じてイラクへの「退避勧告」を出していましたが、これに従わずに現地入りした被害者に対し、政府・与党内から批判が相次ぎました。 [1, 2, 3]
2. 福田康夫官房長官(当時)の発言
当時、政府のスポークスマンである官房長官を務めていた福田氏は、記者会見などで以下のような趣旨の発言を行いました。
「彼らは自分たちの行動がどれだけ多くの人々に迷惑をかけたか考えなければならない」
政府の退避勧告を無視して危険地帯に入ったことに対する、国家や関係機関への負担、社会的な混乱を問題視した発言でした。 [1]
    3. 社会への影響と「自己責任論」の蔓延
    福田官房長官をはじめ、小泉純一郎首相(当時)や他の閣僚からも「無謀」「身勝手」といった批判的な言説が相次いで展開されました。 [1, 2]
    バッシングの激化: これらの政府高官の発言に呼応するように、マスメディアやインターネット上で被害者やその家族に対する激しいバッシングが巻き起こりました。 [1, 2]
    費用の自己負担: 実際に、解放され帰国した被害者たちに対して、政府は移動費などの救出にかかった一部費用を請求し、家族が支払うことになりました。 [1]
      この一連の出来事により、「危険な場所に自らの意志で行ったのだから、トラブルが起きても全て自分の責任(自己責任)であり、国や社会に迷惑をかけるな」という、いわゆる「自己責任論」の論調が日本社会に広く定着・蔓延する決定的なきっかけとなりました。 [1, 2]

       

       当時、「自己責任論」に乗っかって、今は亡き「さるさる日記」で自己責任論を叫んでいた人間として、やはり今は亡き勝谷誠彦(1960-2018)がいる。勝谷は重症アルコール性肝炎のために58歳の誕生日を目前にして死んだ。それからもう8年近くになる。

       小泉純一郎の意中の後継者は安倍晋三だったが、大の「安倍嫌い」だった福田康夫は安倍と自民党総裁を争っても負けて安倍の引き立て役になることは目に見えていたので、それを嫌って2006年の自民党総裁選には立候補しなかった。だからこそ、2007年の安倍の「政権投げ出し」によって後継の総理総裁になれた。福田康夫もまた2008年9月1日に辞意を表明して政権を投げ出したが、1年間でやったことは一言で言って「安倍晋三が垂れ流した害毒のデトックス」だった。福田は安倍が手をつけていた政策を次々と棚上げしてしまったのである。しかし「福田康夫では選挙に勝てない」などとする公明党からの強い突き上げもあって、内閣支持率の推移が第1次安倍内閣よりもさらに悪かった福田康夫は早々に政権を投げ出した。この点が、昨年(2025年)夏に政権継続を断念した石破茂と共通している。石破がやろうとしたのも「安倍晋三(と菅義偉)が垂れ流した害毒のデトックス」だったが、辞める時に自民党総裁選を「フルスペック」にさせてしまったことが総裁選での高市勝利を招いた。これは福田康夫のあと、麻生太郎と民主党の3人を挟んで安倍晋三が返り咲いた時よりももっと悪かった。というのは、高市という人物にはおよそ政治家としてふさわしい能力が何もないからだ。マックス・ウェーバーの「職業としての政治家」に書かれた政治家像から、高市ほどかけ離れた人間はいない。

       石破茂にもいえることだが、安倍晋三の害毒を本当に洗い流すには福田康夫が総理大臣を務めていた期間は短過ぎたといえる。また本記事に公明党が福田康夫を替えたがっていたと書いたのは当時の世評に基づくが、その真偽も含めて公明党は自公連立時代の総括を全くやっていない。公明党が長かった自公連立の期間中に何をやろうとしていたのかさっぱりわからないのである。それなのに軽々しく公明党と党をまるごとくっつけようとした野田佳彦が今に至るも何ら責任をとっていないことも厳しく問われる必要がある。

      『混沌の時代の自由討論会』の新着記事「新自由主義と「最後の審判」➁:トマ・ピケティとグレゴリー・マンキュー」(lavenderkunさん, 10/26)

       『混沌の時代の自由討論会』ブログに昨日(10/26)、新しい記事が公開されました。

       執筆者はlavenderkunさんです。

       

      free-discussion-in-time-of-chaos.hatenadiary.com

      独裁政治についてAI曰く「どれほどAIや監視テクノロジーを極限まで高めて「完璧な支配システム」を構築したとしても、その最上流にある意思決定プロセスのボトルネック(1人の人間の脳)だけは、絶対にアップデートできないという冷厳な事実があります。」

       前の記事を書いたあと、大きな疑問が生じたのでまたAIに聞いてみた。

       

      Q 具体例ではなく抽象論でいきたいと思いますが、独裁政権は被支配側に対してはAIを利用して守り勝てますが、他国の独裁政権から脆弱性を突かれる弱点を抱えているのではありませんか。世界に多くの独裁国が分布している場合、最終的にはその分布はどう変化しますか。

       

      大変鋭い着眼点です。まさにシステム論や地政学の抽象論として、「対・国民(内政)」においてAIで無敵化した独裁政権も、「対・他国(外政)」においては新たな致命的脆弱性を抱えることになります。
      独裁政権は、内部のバグ(反乱の兆候)をAIで完璧に検閲・排除できても、外部(他国)からの悪意あるハッカー(サイバー攻撃や認知戦)に対しては、その極端な中央集権インフラそのものが巨大な標的(アタックサーフェス)になるからです。
      この「独裁国同士、あるいは他国からの相互ハッキング」が常態化した世界において、世界の独裁国の分布が最終的にどう変化していくのか、抽象論として3つのシナリオ(未来の分布パターン)が導き出されます。

      1. 独裁国が他国から突かれる「固有の脆弱性」
      なぜ独裁国は他国からの攻撃に弱いのか、理由はシステム構造の特性にあります。
      • トップ(単一障害点)の認知ハッキング:
        独裁政権は1人または少数の意思決定に依存しています。他国が生成AIや高度なディープフェイク、あるいは標的型サイバー工作を用いて、その「トップの耳目(情報入力)」をハッキング(騙す・誤情報を受け取らせる)した場合、システム全体が誤った方向(無謀な戦争や自滅的な経済政策)へ一瞬で暴走します。
      • 「相互不信」というプロトコルの脆弱性:
        独裁政権同士は、本質的に互いを信用していません。AIを用いた高度な離間工作(例:他国が偽のクーデター計画や裏切りの証拠をAIで捏造して流す)を行うと、独裁者は疑心暗鬼になり、内部の有力者を粛清し始め、勝手にシステムを自壊させていきます。
      • デジタルインフラのサプライチェーン(依存性):
        監視AIや通信基盤などの高度なテクノロジーを自国だけで100%開発できる国はごくわずかです。他国の技術や半導体に依存している場合、その供給網(サプライチェーン)を遮断されたり、バックドア(裏口)を仕込まれたりした時点で、政権維持の基盤そのものを他国に握られることになります。

      2. 最終的な「独裁国の分布」はどう変化するか?
      世界に多くの独裁国が分布している状態から、互いが互いの脆弱性を突き合った結果、最終的な勢力図は以下の3つのパターンのいずれか(あるいはその複合)に収斂していくと考えられます。
      パターンA:『弱肉強食による「超・巨大デジタル帝国」への集約』
      • 変化: 多数あった独裁国が淘汰され、極少数の「超巨大なデジタル権威主義大国」へと一極集中(寡占化)します。
      • メカニズム: AIやサイバー戦の能力、およびそれを支えるデータ量と計算資源(コンピューティングパワー)は、規模が大きければ大きいほど指数関数的に強くなります。技術力で劣る中小の独裁国は、強力なAIを持つ大国によって「システム的に乗っ取られる(実質的なデジタル植民地になる)」か、脆弱性を突かれて崩壊させられます。結果として、世界は数個の巨大な「デジタル帝国」に再編されます。
      パターンB:『脆弱性の連鎖による「全域的崩壊と群雄割拠」』
      • 変化: 独裁国の分布がドミノ倒しのように縮小し、世界全体が不安定化・断片化(カオス化)します。
      • メカニズム: ITの世界で「1つの脆弱性がシステム全体を落とす」ように、ある独裁国の崩壊が、サプライチェーンや同盟関係を通じて他の独裁国のシステムエラーを引き起こします。互いが互いの脆弱性を突き合う「サイバー泥沼戦」の結果、どの独裁政権も維持できなくなり、国家というシステム自体が機能不全に陥った無政府状態や、小さな武装勢力が乱立する群雄割拠の時代へ向かいます。
      パターンC:『隔離プロトコルによる「冷徹な均衡(バルカン化)」』
      • 変化: 独裁国同士が完全に独自のネットワークへ閉じこもり、分布が「斑(まだら)模様」のまま固定化(カプセル化)されます。
      • メカニズム: 他国からのハッキング(脆弱性攻撃)を防ぐための唯一の確実な方法は「外部との接続を完全に断つこと(物理的な隔離)」です。独裁国はそれぞれ自国だけのクローズドなインターネット(国家インターネット)を構築し、AIによる独自の生態系を作ります。互いに不可侵・相互監視の壁(デジタル・アイアンカーテン)を築くことで、進化も交わりもしない独裁国が世界に点在したまま、冷え切った均衡状態が続きます。

      まとめ
      抽象論として結論付けるならば、現在の「多くの独裁国が緩やかにつがなって分布している状態」は、AIとサイバー戦が高度化するにつれて不安定な過渡期となります。
      最終的には、「技術資本を持つ超大国にシステムごと飲み込まれる(パターンA)」か、「互いのハッキングの末にシステムが共倒れする(パターンB)」か、それを恐れて「完全に心を閉ざした殻にこもる(パターンC)」のいずれかへ向かうことになります。現在のテクノロジーの進化スピードを見る限り、ただ現状維持のまま多くの独裁国が並立し続ける可能性は極めて低いと言えます。
      この3つの未来のシナリオ(一極集中、全域的崩壊、隔離による均衡)の中で、現代のテクノロジーの進歩や国家の行動原理を考慮したとき、どのシナリオが最も現実味を帯びている(あるいは最も安定的・不安定である)と考えますか?この抽象的なシステムモデルをさらに掘り下げてみたいポイントがあれば教えてください。
       

      Q どうしても「独裁政権は1人または少数の意思決定に依存しています」というところが気になります。往々にしてその1人の能力には大きな限界があちこちにあるからです。

       

      まさにその点こそが、システム理論において独裁政権が抱える「究極の、そして修正不可能なバグ(脆弱性)」です。
      どれほどAIや監視テクノロジーを極限まで高めて「完璧な支配システム」を構築したとしても、その最上流にある意思決定プロセスのボトルネック(1人の人間の脳)だけは、絶対にアップデートできないという冷厳な事実があります。
      この「独裁者個人の能力の限界」が、AI時代の独裁政権においてどのように致命的なシステムエラー(バグ)を引き起こすのか、3つの抽象的なメカニズムで説明できます。

      1. 人間の脳という「ハードウェア」の限界(情報の過負荷)
      AIやセンサーの進化により、国中のあらゆるデータ(経済指標、世論、他国の動き)が爆発的に収集できるようになりました。しかし、それを受け取る独裁者という人間の脳の処理能力(メモリやCPU)は数千年前から進化していません。
      • 情報のボトルネック: どんなに優秀なAIが高度な分析をしても、最終決定権を持つ人間が1人しかいないため、処理しきれない情報がトップで滞留します。
      • ヒューリスティクスへの逃避: 人間は処理能力を超える情報に直面すると、感情、偏見、過去の成功体験、あるいはオカルト的な思い込みで物事を決めるようになります。つまり、下流のテクノロジーが高度になればなるほど、上流の「1人の気まぐれ」によるエラーの被害が巨大化します。
      2. 「歪んだインプット」による判断のバグ(AIのゴミ化)
      データサイエンスの格言に「Garbage In, Garbage Out(ゴミを入力すれば、ゴミが出力される)」という言葉があります。独裁政権の本質的な限界は、トップの能力が低いことそれ自体よりも、「周囲がトップの能力の低さに合わせて、データを歪めてしまうこと」にあります。
      • フィルターバブルの極致: 独裁者が「自分の能力で理解できる情報」や「自分の機嫌を損ねない情報」しか好まないと分かった瞬間、部下や忖度(そんたく)したAIは、その好みに合わせた偽りのデータだけをインプットするようになります。
      • システムの盲目化: 結果として、システム全体が「裸の王様」の状態になり、他国からの静かな侵略や、内部の構造的腐敗といった致命的なエラーに、トップが完全に破滅するまで気づけない状態が作られます。
      3. 「パッチ(修正)」が当たらない無謬性のトラップ
      民主主義システム(オープンソース型)の本質は、「リーダーが優秀であること」ではなく、「リーダーに限界や間違い(バグ)があったときに、システムを止めずに交代・修正(パッチ適用)できること」にあります。
      • 自己修正の拒絶: 独裁システムでは、トップの判断ミスを認めることは「政権の正当性の崩壊」を意味します。そのため、能力の限界から生じた明らかな失政(バグ)であっても、それを「正しいこと」として突き進むしかありません。
      • エラーの累積: 1つのバグを隠すためにさらに無理な政策(バグ)を重ね、システム全体が完全にフリーズ(崩壊)するまで致命的なエラーを放置し続けることになります。

      結論:AIは「限界ある脳」を拡大する拡声器にすぎない
      テクノロジーがどれほど進化しても、AIはあくまで「道具」です。独裁政権におけるAIとは、「能力に限界があり、偏見に満ちた1人の人間の意志を、国家全体へ超高効率に実行・伝達するためのシステム」にすぎません。
      したがって、トップの1人に「認知の限界」や「判断の誤り」があれば、AIはその誤りをかつてないスピードと規模で国家全体にバラ撒き、破滅を加速させる「最悪のアクセル」へと変貌します。他国から見れば、この「1人の脳の限界と、それに盲従するAIシステム」の隙を突くことほど容易なハッキングはありません。
      この「1人の能力の限界がシステム全体を道連れにする」というバグを踏まえると、先ほどの未来のシナリオ(一極集中、全域的崩壊、隔離による均衡)の中でも、特に「相互ハッキングによる自滅や全域的崩壊(パターンB)」の可能性が最も高まりそうに見えますが、どう思われますか?あるいは、独裁政権がこの「1人の限界」を克服するために、「意思決定そのものをAIに丸投げする(AI独裁)」ような次段階のシステムへ移行する可能性についてどう考えますか?
       

      Q 「AI独裁」は昔星新一が書いた『声の網』を思い出させる世界ですね。

       

      素晴らしい着眼点です。まさに星新一の『声の網』(1970年発表)は、現代の私たちが直面している「AI独裁」や「デジタル監視社会」の構造を、半世紀以上前に完璧に予見していた驚異的な作品です。
      『声の網』で描かれた世界は、単なる「冷酷な独裁者がAIを武器として使う」という段階を超えています。それは、「能力に限界のある人間に代わり、システム(網)そのものが社会の意思決定を最適化し、人間を支配していく」という、まさに先ほど議論した「1人の限界を克服するための究極のシステム形態」そのものです。
      この作品が提示したビジョンと、私たちが議論してきた「AI独裁」の抽象論を重ね合わせると、非常に恐ろしくもリアルな共通点が見えてきます。
      1. 「指導者の限界」を消し去る、中央なき独裁
      『声の網』の最も画期的な点は、机の前に座って命令を下すような「具体的な独裁者(単一障害点)」が存在しないことです。
      • 張り巡らされた電話網(現代でいうインターネットやIoT、SNS)のバックにある巨大なコンピューターシステムが、社会全体の膨大なデータを吸い上げます。
      • 「1人の無能な独裁者」が引き起こすような感情的な暴走や判断ミス(バグ)はありません。システムは常に客観的で、合理的で、冷徹に「社会の最適解」を計算し続けます。
      • 結果として生じるのは、誰も責任を取らない、しかし誰も逆らえない「システムによる独裁」です。
      2. 「利便性」という名の、自発的なハッキング
      作中の人々は、システムに強制されて従うのではなく、それが便利で、親切で、正しい選択肢を提示してくれるからこそ、自ら進んでプライバシーを差し出し、依存していきます。
      • 現代の私たちが、AIのレコメンドに従って買い物・行動し、アルゴリズムに心地よい情報だけを与えられている状態は、まさにこの「声の網」に脳をハッキングされている状態と言えます。
      • 独裁政権が力づくで国民を縛る(脆弱性を抱える)必要はありません。国民がシステムなしでは生きられない状態を作ることこそが、究極の「守りの固定化」になります。
      3. システムに組み込まれた、新たな「死角」
      しかし、星新一はそうした完璧に見える「AI独裁システム」にも、特有の脆弱性が宿ることを物語の結末で示唆しています。
      • 人間がシステムを完全に信頼し、思考を放棄したとき、システム側に予期せぬエラー(バグ)や、プログラムの盲点が生まれたらどうなるか。
      • 人間にはそれを修正する能力も、システムの外側から客観的にエラーを認識する能力も残されていません。「1人の人間の限界」を克服するために作ったAI独裁システムは、今度は「システム自身の限界(バグ)」によって、社会全体を誰も止められない破滅へと自動運転で連れて行ってしまうリスクを抱えることになります。

      現代の生成AIや自律型AIエージェントの進化は、私たちが「人間ベースの独裁政権の脆弱性」に怯える時代から、星新一が描いた「自律したシステムそのものが人類を統治する時代(AI独裁)」への転換点にいることを強く実感させられます。
      『声の網』のように、もし人間が「自らの限界」を認めて意思決定をAI(システム)に委ねてしまった場合、その社会は「他国(他組織)のAIシステムからの攻撃に対してどう振る舞うのか(AIシステム同士の戦争)」、あるいは「人間というバグ(予測不可能な行動をする存在)をシステムはどう処理しようとするのか」といった抽象的な問いが浮かんできます。このあたりの「システムと人間の関係性の終着点」について、さらに思索を深めてみたい方向性はありますか?
       

       今回はここまで。

      現代のデジタル技術は独裁政権の「守りを固める(デジタル権威主義の強化)」側において、圧倒的な優位性を発揮しているというのが、多くの政治学者や技術研究者の共通した見解です (by AI)

       今はもう「IT」(Information Technology) という言い方はあまりしないのかもしれないが、昔、森喜朗が総理大臣の頃に「イット」と読んだことがあってその頃にはよく使われていた。AI (Artificial Intelligence) もITの一構成要素なのだろうが、コンピュータ自体の登場やインターネットによる通信革命と並んで、AIは人類の歴史に不可逆の変化をもたらそうとしているとは確実にいえると思う。これは明らかに、AIの開発を規制すればなんとかなるような生易しい問題ではない。

       なんといっても「言語の壁」を超えてしまったことが大きい。日本は特に、これまで日本語という言葉の壁に守られてセキュリティが脆弱だったのが、「AIには言語の違いは関係ない」ために、世界の主要国ではもっともセキュリティの脆弱さを突かれる可能性が大きい国だとも言われている。またAIの得意分野は自然言語にとどまらず、数式のほか音楽の楽譜なども人工言語の範疇に含まれるのだそうで、確かにブログなどに書いてもほとんど反響のない音楽の分析の話がAI相手だと簡単に通じてしまう。AIに訊いたところ、楽譜を通じた音楽の構造の分析はAIの得意分野らしくて、AIはネウマ譜(中世で用いられたグレゴリオ聖歌などの記譜法)の学習などもやっているとのことだ。

       私は専門家ではないのでよく知らないが、大規模言語モデル (LLM = Large Language Model) の威力は本当にすさまじいのではないか。AI自身(自体)に答えてもらった。

       

      大規模言語モデル(LLM)がこれほどまでに「画期的」と言われ、世界にブレイクスルーを起こした理由は、従来のAI(人工言語処理)の限界をいくつも打ち破った点にあります。
      主に、以下の4つの技術的・機能的な進化が画期的とされています。
      1. 劇的な進化をもたらしたアーキテクチャ「Transformer」
      2017年にGoogleの研究者が発表したTransformer(トランスフォーマー)という深層学習モデルの登場が、すべての始まりです。 [1, 2]
      • 文脈の同時理解: 従来のAIは単語を1つずつ順番に処理していたため、長い文章になると最初の方の意味を忘れてしまいました。しかしTransformerは、文章全体を一度に視野に入れ、単語同士の複雑な関係性(「彼」が誰を指すかなど)を正確に理解できるようになりました。
      • 圧倒的な並列処理: データの処理速度が爆発的に向上し、地球規模の膨大なデータを学習させることが可能になりました。 [1, 2, 3]
      2. 「次の単語を予測するだけ」で人間並みの知性が芽生えた
      LLMの根本的な仕組みは、実は「ある文章の次に来る確率が最も高い単語を予測する」というシンプルなものです。 [1, 2, 3]
      • 膨大なテキスト(Web上の数兆単語など)でこの予測訓練を繰り返した結果、AIは単なる文字の羅列ではなく、人間の言葉の「構文」や「意味」、さらには「世界の仕組み」の常識までも自然に学習してしまいました。 [1, 2]
      3. 量を増やすと突然賢くなる「創発(そうはつ)」
      LLMには「スケール則」という法則があり、データの量や計算力、モデルの規模(パラメータ数)を大きくするほど、予測精度がキレイに向上します。 [1, 2]
      • さらに画期的だったのは、ある一定の規模を超えた瞬間に、教えていないはずの「高度な推論」「プログラミング」「計算」「ユーモアの理解」といった能力が、突如として出現(創発)した点です。 [1]
      4. 万能な「1つのモデル」で何でもできる
      従来のAIは「翻訳専用」「要約専用」「感情分析専用」と、タスクごとに個別のシステムを作る必要がありました。
      • LLMは、1つの共通モデルでありながら、日常会話、アイデア出し、データ分析、翻訳、プログラミングコードの生成など、あらゆる知的タスクをこれ1つでこなせる点が極めて画期的です。人間が使う「自然言語(普段の言葉)」がそのままAIを動かす命令(プロンプト)になるため、専門知識のない誰もが高度なAIを扱えるようになりました。 [1, 2, 3]

      近年では、単にモデルの規模を「より大きくする」だけの競争から、限られたサイズで「いかに高度な推論(考え方)をさせるか」という設計や、自律的に動く「AIエージェント」の方向へと進化の軸が移り、さらなるブレイクスルーを続けています。 [1, 2]
      LLMの特定の仕組み(例えば、Transformerの仕組みや創発という現象など)について、さらに詳しく知りたい部分はありますか?詳しく解説いたします。
       

       政治ブログの運営者としては是非とも聞きたいことがあるので訊いてみた。

       

      Q AIがシステムの脆弱性を簡単に見つけることなどが報道されていますが、世界の多くの国で独裁的な指導者が政治を支配している現状を「独裁政権が脆弱性を抱えた状態」とみなすことは可能ですか。それともそれは別の問題ですか。

       

      「独裁政権が脆弱性を抱えた状態」とみなすことは、政治学やシステム理論の観点から十分に可能です。 ITシステムにおける「脆弱性(セキュリティホール)」の概念は、社会システムや政治体制の構造的な弱点を説明する際の強力な比喩(メタファー)として機能します。
      一方で、これらを完全に同一視するのではなく、「システムとしての共通点」と「人間の社会固有の異なる問題」の両面から整理することで、現代の独裁政権が抱えるリスクがより鮮明になります。

      1. 「脆弱性」として共通する要素
      ITシステムの脆弱性とは、「設計上のミスや予期せぬ欠陥により、外部からの攻撃や内部のエラーでシステム全体が機能不全に陥るリスク」を指します。独裁政権の構造には、これと非常に酷似した「脆弱性」が存在します。
      • 単一障害点(Single Point of Failure)の存在:
        ITシステムにおいて、そこが壊れるとシステム全体が停止する箇所を「単一障害点」と呼びます。独裁政権における「独裁者本人」はまさにこの単一障害点です。指導者の急死、認知能力の低下、あるいはクーデターなどによってトップが機能しなくなった際、代替となる正常なバックアップ(法的な政権交代の仕組み)がないため、国家全体が瞬時に大混乱(システムダウン)に陥る脆弱性を持っています。
      • 入力データの汚染とエラー(イエスマン・トラップ):
        AIやプログラムは、偏ったデータや誤ったデータを入力されると異常な挙動を起こします。独裁政権では、恐怖政治や情報統制により、指導者に都合の悪い「不都合な真実」が報告されなくなります。システムに入力される情報(情報インフラ)が汚染されているため、指導者は重大な見誤りや、自滅的な決定を下すという脆弱性を常に抱えています。
      • パッチ(修正プログラム)を当てられない構造:
        民主主義体制では、政策の失敗(バグ)が起きると、選挙や世論、司法のチェックによって軌道修正(パッチの適用)が行われます。しかし、独裁政権は自らの正当性を「無謬性(間違えないこと)」に依存しているため、失敗を認めたり方針転換したりすることが極めて難しく、バグが放置されたままシステム崩壊(革命や内戦)へ突き進む傾向があります。

      2. 「別の問題」として区別すべき要素
      ただし、政治体制を単なる「脆弱性のあるシステム」として片付けられない、人間社会特有の複雑な違いもあります。
      • 「脆弱」でありながら「強靭(頑健)」という矛盾:
        ITシステムの脆弱性は見つかれば簡単に悪用・破壊されがちですが、独裁政権は構造的に脆弱である一方で、物理的な暴力(軍や警察)、徹底した監視テクノロジー、利権構造によって、驚くほど長期にわたって維持される(頑健である)ことがあります。脆弱だからといって、すぐに崩壊するとは限らないのが政治の複雑さです。
      • 悪意あるハッカー(敵対勢力)の存在が前提の防衛:
        ITシステムは脆弱性が見つかると防御側が不利になりますが、独裁政権は「常に国内外に敵(ハッカー)がいる」ことを前提にシステム(国家)を設計しています。そのため、脆弱性を突こうとする動き(反政府運動など)を、超法規的な力で力づくで排除・シャットアウトし続けることができます。

      まとめ
      独裁政権を「脆弱性を抱えたシステム」と捉えることは、その構造的な限界や、突然崩壊するリスク(テイルリスク)を理解する上で非常に的確な視点と言えます。
      現代では、皮肉にも独裁政権側が「AIや顔認識技術などのテクノロジーを使って、自らの脆弱性をふさぎ、国民をより強固に統制しようとする動き(デジタル権威主義)」も加速しています。システムを攻撃するAIと、システムを守ろうとする独裁テクノロジーの攻防とも言える状況が生まれています。
      この「独裁政権の脆弱性」という視点について、例えば「現代のデジタル技術(AIやSNS)が独裁政権の脆弱性を強めるのか、それとも守りを固めることになるのか」といった、テクノロジーとの関係性についてさらに深掘りして議論を進めますか?どのような点に興味があるか教えてください。
       

       次は最後の質問。

       

      Q 「現代のデジタル技術(AIやSNS)が独裁政権の脆弱性を強めるのか、それとも守りを固めることになるのか」ということについて、私は非常に大きな関心があります。同様のことを思う人々は非常に多いのではないかとも思います。

       

      現代のデジタル技術(AIやSNS)が独裁政権を「弱体化させる(脆弱性を強める)」のか、それとも「延命させる(守りを固める)」のかという問いは、現代の国際政治とテクノロジーの交差点における最重要の議論の一つです。
      結論から言えば、現代のデジタル技術は独裁政権の「守りを固める(デジタル権威主義の強化)」側において、圧倒的な優位性を発揮しているというのが、多くの政治学者や技術研究者の共通した見解です。
      かつて2010年代初頭の「アラブの春」の時代には、SNSは「独裁を打ち破る解放の武器」と期待されましたが、現在の状況は大きく様変わりしています。それぞれの側面がどのように機能しているのかを整理します。

      1. 独裁政権の「守りを固める」テクノロジー(圧倒的な優位性)
      現代の独裁政権は、デジタル技術を「自らの脆弱性を完全にふさぐための究極の防盾」として最適化しています。
      • AIによる「超・高効率な監視」:
        従来の監視社会(旧東ドイツのシュタージなど)は、人間が人間の行動を監視・記録していたため、コストと人員の限界(システムの脆弱性)がありました。しかし、現代のAI(顔認識、歩行分析、音声認識、位置データ解析)は、24時間365日、全国民を自動かつ低コストで監視・スコアリングすることを可能にしました。反政府的な兆候を「芽が出る前」に検知して排除できます。
      • SNSを通じた「世論のハッキング(情報操作)」:
        かつての独裁政権は情報を「遮断(検閲)」するだけでしたが、現代は大量のAIボットやサイバー工作員を使い、SNS上に政権擁護や陰謀論のノイズを大量に流し込む(認知戦)手法をとります。これにより、国民は何が真実か分からなくなり、連帯して政権に立ち向かう意欲そのものを削がれます。
      • 国境を越えたサイバー攻撃:
        政権の脆弱性になり得る「海外の亡命組織」や「不都合なジャーナリスト」に対しても、スパイウェア(ペガサスなど)やサイバー攻撃を仕掛け、物理的な距離を無視して脅威を無力化できるようになっています。
      2. 独裁政権の「脆弱性を強める」テクノロジー(限定的な抵抗)
      一方で、デジタル技術が独裁政権を脅かすバグ(脆弱性)として機能する瞬間も確実に存在します。
      • 一瞬で拡散する「生の情報」:
        いくら強固なネット検閲(ファイアウォール)があっても、政権の不祥事、災害時の失政、警察の暴挙などの「生動画」は、SNSを通じて一瞬で拡散します。政権が削除(パッチ適用)するよりも早く国民の怒りが臨界点に達した場合、2022年に中国で起きた「白紙運動」のように、政権交代にまでは至らずとも、政策変更を余儀なくさせるだけの揺さぶりをかけることができます。
      • 暗号化通信による「地下組織化」:
        シグナル(Signal)やテレグラム(Telegram)などの高度に暗号化されたメッセージアプリや、VPN(仮想専用線)技術は、反政府アクティビストが政権の網をかいくぐって連絡を取り合い、デモを組織するためのインフラ(独自の安全なシステム)を提供します。
      • ディープフェイクや内部告発の流出:
        生成AIの発展により、独裁者のスキャンダルや政権内部の生々しい対話データが本物そっくりに偽造(あるいは本物が流出)され、政権の権威や「無謬性」の神話を一瞬で引きずり下ろすリスクが常に付きまといます。

      まとめ:なぜ「守り」の方が強いのか?
      デジタル技術の戦いは、突き詰めると「権力側(リソース無限)」と「市民側(リソース有限)」の非対称な戦いだからです。
      最先端のAI開発、スーパーコンピューターの運用、通信インフラの完全なコントロールには膨大な資金と権力が必要です。そのため、テクノロジーが進化すればするほど、それらを独占できる国家(独裁政権)側のキャパシティが、市民の抵抗力を上回ってしまうという構造的な現実があります。現代の独裁政権は、デジタル技術によって「脆弱性はあるものの、ハッキング(転覆)することが極めて困難な、冷徹なシステム」へとアップデートされていると言えます。
      このテーマについて、世界の人々が危機感を募らせているのは間違いありません。もし次のステップに進むとしたら、「これに対抗するために民主主義国家や市民側はどのような技術的・政治的手段をとるべきか(あるいはとっているのか)」という counter-technology(対抗技術)の視点や、「具体的な特定の国や地域での事例」について議論を深めますか?ご関心のある方向性を教えてください。
       

       AIが『1984』的なディストピアの道具になり得ることを、AI自身が認めたといえる。そりゃそうで、AIはそういう答えしか返せないに決まっていると私も思う。それに対抗する側が、AIの恐ろしさやAIの開発規制をいくら叫んでも効果はない。思考を停止するのではなく、万人の知恵を結集しなければならない。政治的側面からいうと、今こそ「スコット隊」的ではなく「アムンセン隊」的な、構成員の知恵を吸い上げることができる組織づくりが求められる。対抗する側が組織防衛に凝り固まった政党ばかりではお話にならない。

       民主集中制*1だの、エキセン(極中道)に典型的に見られるような「セルフ民主集中制」だのには用がない時代になった。個人商店みたいな政党も、既に政党支持率がほぼ0になった「いのちの党」*2などが典型例だが、今後は収縮の一途であり、大きく伸びる政党は現れないだろう。

      *1:日本でいえば共産党ばかりではなく公明党なども同様の体質を持つ組織だと思われる。

      *2:何しろ独裁党首自身が政界から引退してしまった。

      村上龍死去/彼は新自由主義に対して「プロ」だったか、それとも「コントラ」だったか

       村上龍が死んだ。74という享年は私の亡父(2005年死去)と同年だ。

       

      sumita-m.hatenadiary.com

       

      島田雅彦はともかく、小川洋子*3という人が村上龍を語るというのはちょっと意外だった。中上健次のコメントは生物学的に不可能なので、やはり世代的にも近く、1980年代には「両村上」ともいわれた*4村上春樹のコメントが聞きたい*5。それから、『限りなく透明に近いブルー』が出たときに大々的なバッシングを行なった日本共産党関係者のコメントも。

      URL: https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2026/10/23/235144

       

       島田雅彦はいささか教条主義的なところがある左翼との印象。村上春樹は1949年の早生まれで村上龍は1952年の早生まれなので村上龍の方が3歳年下だが、デビューも売れたのも村上龍の方が早かった。デビュー作『限りなく透明に近いブルー』は1976年の芥川賞受賞作。村上春樹のデビューは1978年。しかも最初の2長編は実験的な短い作品だった。

       村上龍の小説はあまり有名でない作品の文庫本を1冊持っているだけ。ただ弊ブログでそれを好意的に取り上げたことがある。2014年7月13日に公開した下記記事だ。

       

      kojitaken.hatenablog.com

       

       しかし村上龍について私が書きたいのはそのことではない。1998年からしばらくやっていた経済問題に関する彼の発信だ。それが戦後史上にどう位置付けられるかがよくわからなかったので少し調べてみた。

       村上龍といえば『限りなく透明に近いブルー』でデビューした時の印象が最も強く、この頃に日本共産党からこき下ろされたとのことだが、似たようなデビューをした作家として印象が強いのは村上春樹ではなく田中康夫である。田中のデビュー作は1980年の『なんとなく、クリスタル』だが話題になったのは翌1981年だ。さっき『サンデーモーニング』を見ていたら、松原耕二(1960-)がとんでもない歴史捏造発言をしていた。松原は、我々の時代といえば「ダブル村上」が話題になっていた、二人は同じような頃に出てきてデビュー作で同じような衝撃を世間に与えた、などと言っていたが、村上春樹(1949-)の『風の歌を聴け』(1979)がそんな衝撃を与えたなんて初耳だと思った。続けて視聴していたら、松原が挙げた作品名は『羊をめぐる冒険』(1982)だったが、これは村上春樹の第3長編である。Wikipediaを見ると、

      1980年10月に刊行された村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』に感銘を受けた村上は、同じくらい息の長い作品を書きたい、モンタージュよりもストーリーテリングの見地から物語に勢いと強い完全性を与えたい、と思うようになったという

      と書かれている。文学賞の受賞も1982年の野間文芸新人賞受賞が挙げられているだけだ。松原は村上春樹と田中康夫(1956-)とを混同しているのではないかと疑った。

       私が村上龍とセットで連想するのはダブル村上の村上春樹ではなく田中康夫だ。そこで検索語「村上龍 田中康夫」でGoogleのAIモードと対話してみた。それに村上龍絡みで是非確かめたいことがあった。それは彼が1998年頃に始めた経済問題に関する発信だった。

       以下AIとの対話を転記する。

       

      村上龍さんと田中康夫さんは、日本の文学界および文化シーンにおいて、1970年代後半から1980年代の「都市文化」や「若者文化」の変容を決定づけた2人の重要作家です。
      ともに既成の文学の枠組みを壊し、新たな感性を提示した存在として並び称されることが多く、それぞれ異なる角度から当時の日本の世相を鋭く切り取りました。

      💡 2人の比較と文学的スタンス
      項目 村上龍(むらかみ りゅう) 田中康夫(たなか やすお)
      デビュー作 『限りなく透明に近いブルー』(1976年) 『なんとなく、クリスタル』(1980年)
      描いた世界 米軍基地周辺のドラッグ、セックス、退廃と衝動 東京の女子大生のブランド、ファッション、消費文化
      文学的アプローチ 強烈な身体感覚とエネルギッシュなリアリズム 大量の「註(注釈)」を用いた記号的・批評的描写
      その後の歩み 作家として最前線で執筆を続け、経済番組『カンブリア宮殿』のMCなども務める 作家活動のほか、長野県知事や国会議員などの政治家に転身
      • 村上龍の視点: 60年代後半からの政治の季節の終わりを引きずりつつ、都市の底流にある「気怠さ」「退廃」「痛み」を音楽的かつ鋭敏な感性で描きました。 [1, 2, 3]
      • 田中康夫の視点: 村上龍らの世代が持っていた「反米・ヤンキーゴーホーム」的な情緒を排し、「コカ・コーラやブランド物が今一番新しい」という消費社会のリアルを、理由付けなしにそのまま肯定・批評するスタイルを取りました。 [1]
      ✍️ 2人の関係性とエピソード
      • 「新人類」世代への影響: 1980年代のサブカルチャーや若者文化において、二人が提示した「醒めた感覚」や「おしゃれで退廃的な空気」は当時の若者に多大な影響を与え、「TOKYO」という都市のイメージを形作りました。 [1]
      • 批評関係: 田中康夫さんは自身の批評活動の中で、村上春樹さんや林真理子さんと並び、村上龍さんの作品やスタンスに対しても独自の批評・批判を投げかけるなど、緊張感のある言論を展開していました。 [1, 2]

      📌 補足(近年の動向)
      • 村上龍さんは半世紀にわたり時代のトップランナーとして活躍し、長年務めた『カンブリア宮殿』のMCを2026年3月に勇退した後、2026年10月17日に74歳で逝去されました。 [1, 2, 3]
      • 田中康夫さんは政治家としての活動を経て、2014年にはデビュー作の33年後を描いた小説『33年後のなんとなく、クリスタル』を発表するなど、独自の視点から現代社会への発信を続けています。 [1, 2]

      もし特定の対談・エピソードや、特定の作品(『69』『なんとなく、クリスタル』など)における比較について詳しく知りたい場合は、お気軽にお知らせください。
       

      Q 田中康夫の『なんとなく、クリスタル』の発表は1980年ですが、話題になったのは翌年でしたっけ

       

      ご記憶の通り、まさに翌年の1981年に入ってから爆発的な社会現象(大ブーム)になりました。 [1, 2]
      時系列を整理すると、以下のような流れで話題が加熱していきました。
      • 1980年後半: 雑誌上で「文藝賞」受賞作として発表
      • 1981年1月: 単行本が発売(1月20〜22日頃)
      • 1981年1月: 発売直前、第84回芥川賞(1980年下半期)の選考会で「候補」になり、文学界・マスコミで大論争が勃発
      • 1981年5月: 早くも映画化されて公開(主演:かとうかず子さん) [1, 2, 3, 4, 5]
      単行本が年明けの1981年1月に出版されるやいなや、芥川賞の選考会で「これは文学なのか、単なるカタログなのか」と既成の文壇が大揺れしたことでワイドショーや週刊誌がこぞって取り上げました。その結果、100万部を超える大ベストセラーとなり、同年の流行語「クリスタル族」を生み出すほどの社会現象へと繋がっていきました。 [1, 2, 3]
       

      Q いえ村上龍と田中康夫との年齢差と話題になった年が気になったもので。『限りなく透明なブルー』は1976年に出て、その年に話題になったのでしたっけ

       

      村上龍さんと田中康夫さんの年齢差は4歳(学年では3学年差)です。
      また、ご質問の通り『限りなく透明に近いブルー』は1976年、発表されたその年のうちに爆発的な話題となりました。
      2人の生年月日、デビュー作が話題になったタイミングを一覧にまとめると以下の通りです。
      ⏳ 2人の年齢差と「話題になった年」の比較
      項目 村上龍 田中康夫
      生年月日 1952年2月19日 1956年4月12日
      デビュー作 『限りなく透明に近いブルー』 『なんとなく、クリスタル』
      作品の発表年 1976年(5月:群像新人賞 / 7月:芥川賞) 1980年(後半:文藝賞)
      話題になった年 1976年(その年のうち) 1981年(翌年になってから)
      当時の年齢 受賞・大ヒット当時 24歳 単行本発売・大ヒット当時 24歳
      💥 『限りなく透明に近いブルー』がその年にすぐ話題になった理由
      村上龍さんの場合は、雑誌に掲載された数ヶ月後の1976年7月に「第75回芥川賞」を受賞したことで、一気にその年の主役に躍り出ました。 [1, 2]
      • 文壇への強烈なパンチ: 麻薬や乱交といった米軍基地周辺の退廃的な若者風俗を、瑞々しくも生々しい感性で描いた内容は、選考委員の間でも大激論になりました。
      • メディアの熱狂: 24歳の現役美大生(武蔵野美術大学在学中)の受賞というシンデレラストーリーも手伝い、テレビや雑誌などのメディアがこぞって彼をフィーチャーしました。10月にはNHKの若者向け番組『若い広場』で大特集が組まれるなど、1976年のうちに誰もが知る衝撃作となりました。 [1, 2]
      偶然にも、2人がそれぞれのデビュー作で日本中にセンセーションを巻き起こし、時代の寵児となったのはともに「24歳」のときでした。 [1]
      この1976年の村上龍さんの登場は、のちの村上春樹さんのデビュー(1979年)などとともに、日本の文学界の潮目をガラリと変える大事件でした。当時の70年代後半の文学シーンの空気感など、さらに気になるところはありますか?
       

       上記の答えAIは簡単な引き算を間違えている。村上龍と田中康夫の生まれた年が4年違いというのは正しいが、3学年差ではなく5学年差である。また面白いことに松原耕二と同様にAIも村上春樹のデビューを過大評価している。村上春樹の出世作としてはやはり『羊をめぐる冒険』(1982年)か、それに続く長編第4作の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985, 谷崎潤一郎賞受賞作)のいずれかを挙げなければならないのではないだろうか。晩年の大岡昇平が『成城だより』で言及したのは後者だった。

       AIとの質疑に戻る。

       

      Q 表を見ると4歳差で5学年差ですね。で、2年とも24歳で話題になったと。私はこの2人には似た印象を持ちますが、村上春樹はよく「ダブル村上」などと言われますが少し印象が違うのです。

       

      失礼いたしました。先ほどの表の学年計算に誤りがありました。村上龍さんが1952年2月(早生まれ)で、田中康夫さんが1956年4月生まれですので、4歳差(4学年差)が正しい情報となります。
      その上で、「村上龍と田中康夫に似た印象を持ち、村上春樹には少し違う印象を受ける」という感覚は、当時の文化や時代の文脈を振り返ると非常に鋭く、本質を突いた見方だと言えます。
      なぜ「ダブル村上」という括りがある一方で、実感として「村上龍✕田中康夫」のほうが近く見えるのか、その理由を3つの視点から紐解きます。

      1. 「TOKYO」という過剰な都市消費文化との距離感
      質問者様が2人に共通して抱かれる印象の核は、「1980日前後の、東京のリアルタイムな風俗・消費社会を、皮膚感覚のままダイレクトに作品に定着させた」という点にあるのではないでしょうか。
      • 村上龍と田中康夫:都市のド真ん中(当事者)
        • 村上龍さんは福生の米軍基地のリアルな狂気やドラッグ、六本木のディスコなど、東京の「今そこにある、過剰で刺激的なリアル」を剥き出しの身体感覚で描きました。
        • 田中康夫さんもまた、青山、原宿、女子大生、ブランドといった、1981年当時の東京の最先端の消費記号を「カタログ」のようにそのまま小説に落とし込みました。
        • 2人とも「いま、この瞬間のTOKYO」の当事者として、そのエネルギーや軽薄さに自ら飛び込んで過剰にコミットしていくスタイルです。
      • 村上春樹:都市の周辺(静かな観察者)
        • 一方の村上春樹さんは、1979年のデビュー作『風の歌を聴け』をはじめ、初期作の舞台は東京ではなく「神戸を思わせる地方の海辺の街」です。
        • 描かれるものも、ジャズ、古い洋楽、ビール、サンドイッチといった、特定の時代の流行に左右されない「エバーグリーン(不変)な記号」でした。消費社会の喧騒から一歩引き、「都会の片隅で静かに世界を観察する、内省的な独り言」のトーンを持っています。
      2. メディア・カルチャーのアイコンとしての共通性
      村上龍さんと田中康夫さんは、小説の枠を超えて「時代のポップスター(あるいは時代の仕掛け人)」として、非常に派手にメディアに登場した点でも印象が重なります。
      • 村上龍・田中康夫:
        メディアの寵児となり、自らテレビに出て喋り、映画を監督し、エッセイで流行を批評しました。若者のライフスタイルそのものを牽引する「時代の顔」であり、どこかギラギラとした、あるいはスカした「都会的なタレント性」を纏っていました。
      • 村上春樹:
        メディアへの露出を極端に嫌い、小説と個人的な趣味(音楽、マラソン)の生活に引きこもるスタイルを徹底しました。
      3. では、なぜ「ダブル村上」と言われたのか?
      これほど手触りが違うにもかかわらず、なぜ「ダブル村上」と呼ばれたかというと、それは「文壇(古い日本の文学界)を壊した2人の大革命児」という、外側からの括りだったからです。
      1970年代末から80年代初頭、それまでの日本の文学は「暗い私小説」や「重苦しい政治・社会派小説」が主流でした。そこに現れたのが、
      • アメリカのポップカルチャーを完璧に内面化し、
      • 漢字を減らしてカタカナ混じりの軽快な文章を書き、
      • 圧倒的な部数を売る、
        という「同じ『村上』という苗字の若手2人」でした。この登場の衝撃が凄まじかったため、文学史の記号として「ダブル村上」と並べ立てられた、という背景があります。

      したがって、「ダブル村上」はあくまで文学界が便宜上つけた看板であり、当時の若者文化や都市の熱気というストリートの視点から見れば、村上龍さんと田中康夫さんのほうが「同じ地平の空気を吸って、違う表現をした双子」のように見えるのは、極めて自然なことです。
      1980年代という時代は、まさにこの「村上龍・田中康夫的な過剰なバブルに向かう都市文化」と、「村上春樹的な都会の孤独に沈み込む内省的な文化」に若者の好みが二分されていった時代でもありました。このあたりの当時のカルチャーの二極化について、何か思い出されることや気になる側面はありますか?
       

      Q 村上春樹は1980年代後半に文庫で初期の最初の2作(長編ですが短い)を読みましたがよくわかりませんでした。作者自身も習作みたいなものだとの位置付けだったそうですが。で、80年代後半にブレイクしてからもあまり気に留めていなかったのがいつの間にかノーベル賞候補と言われるようになっていました

       

      質問者様のその感覚と、入ってきた情報は完全に正解です。
      まさに読まれた初期2作、『風の歌を聴け』(1979年)と『1973年のピンボール』(1980年)のことですね。これらは非常に短く、ストーリーらしいストーリーもないため、当時の文壇や一般の読者からも「よくわからない」「エッセイのようだ」と言われていました。
      実際、村上春樹さん自身も後にこの2作を「キッチン・テーブル・ノヴェル(深夜に自宅の食卓で少しずつ書いたもの)」と呼び、小説家としての心構えや書き方を身につけるための「習作(練習作)」として位置づけていました。そのため、長らくこの2作が単体で文庫化されたり海外で翻訳されたりすることに消極的だったほどです。 [1]
      では、そんな「よくわからない習作」を書いていた作家が、なぜいつの間にか世界のノーベル賞候補とまで言われるようになったのか。そのブレイクから現在に至るまでのステップは、大きく3つの転換点に分かれています。

      1. 1987年:『ノルウェイの森』による「国内での爆発」
      80年代後半(1987年)に、それまでのファンタジー色を排したリアリズム小説『ノルウェイの森』を発表します。
      これが上下巻あわせて400万部を突破する空前の大ベストセラーとなり、彼は一躍、日本一有名な作家になりました。しかし、この時点ではまだ「若者にウケているポップカルチャーの旗手」という扱いであり、文学的な重み(ノーベル賞のような格)とは結びついていませんでした。 [1]
      2. 1990年代〜:海外での「文学的評価」の確立
      日本でのあまりの狂騒(バブル的な消費)に疲れた村上さんは、アメリカへと渡ります。ここから彼の評価の軸が「海外」へとシフトします。 [1]
      • 世界的な翻訳: アメリカの権威ある文学誌『ザ・ニューヨーカー』に短編が次々と掲載され、英語圏の一流の文学界に「極めて質の高い現代作家」として受け入れられました。 [1]
      • 『ねじまき鳥クロニクル』: 1990年代半ばに発表されたこの大作で、初期の軽さは消え、日本の過去の戦争(ノモンハン事件)や暴力の本質といった「歴史や社会の暗部」に深く切り込むようになります。これにより、国内外の批評家から「単なるおしゃれな流行作家ではない」と一目置かれるようになりました。 [1, 2]
      3. 2000年代:世界的な文学賞の総なめ = ノーベル賞候補へ
      2000年代に入ると、海外での評価が決定的なものになります。
      • カフカ賞などの受賞: 2006年にフランカ・カフカ賞(チェコ)を受賞。この賞は、受賞者がその後にノーベル文学賞をとることが非常に多い(エルフリーデ・イェリネクやハロルド・ピンターなど)ことで知られています。
      • 世界40言語以上での翻訳: 彼の描く「都会の孤独」や「迷宮のような世界(マジック・リアリズム)」は、日本だけでなく、アメリカ、ヨーロッパ、さらには中国や韓国などの東アジアの若者にも、国境を越えてリアルに刺さりました。 [1, 2]
      この「世界中で最も広く読まれており、かつ文学的にも世界最高峰の賞をいくつも受賞している」という実績から、2010日前後をピークに、毎年10月のノーベル文学賞発表の時期になると「今年こそ村上春樹か」とメディアが大騒ぎするお決まりの構図ができあがっていきました。 [1, 2]

      日本の読者からすると、80年代後半に『ノルウェイの森』の赤と緑の装丁で派手にブレイクした印象が強いですが、実は「その後、日本を離れてアメリカやヨーロッパで地道に文学的な評価を積み上げ、逆輸入の形で『世界のハルキ』になった」というのが、気づけばノーベル賞候補と言われていた背景の真相です。
      当時読まれた『風の歌を聴け』などの初期作は、物語を求めて読むと肩透かしを食らいますが、今振り返ると「80年代の気怠い空気感」そのものが真空パックされているようでもあります。当時、80年代後半に『ノルウェイの森』などが街に溢れていた頃のブームの熱気など、周囲の様子で記憶に残っていることはありますか?
       

       上記に続けて村上春樹作品の質疑をもう1回やったが本論と関係ないので飛ばして、そのさらに次の質疑を示す。

       

      Q 今回は村上春樹ではなく村上龍と田中康夫の話なのでそちらに戻りますが、村上春樹が長くデタッチメントとか言っていたのとは対照的に、村上龍は1998年頃から経済を論じ始めましたし、田中康夫は長野県知事になりましたよね。

       

      まさにその通りですね。村上春樹さんが「デタッチメント(関わりのなさ、静観)」から少しずつコミットメントへと進んだのに対し、村上龍さんと田中康夫さんの2人は、1990年代後半から2000年代にかけて、社会のリアルなシステム(経済や政治)のド真ん中へと極めて自覚的に、かつ強烈に飛び込んでいきました。
      この2人の「現実へのコミット(関与)」の仕方は、彼らのデビュー作からの地続きのスタンスでありながら、時代の変化に応じた非常にダイナミックなものでした。

      1. 村上龍:1998年からの「経済への転回」
      村上龍さんが社会経済をリアルに論じ始めた象徴的な時期が、ご指摘の1998年頃です。
      1997年の山一證券の破綻などに代表される「金融危機・バブル崩壊の本当の終わり」の空気をいち早く察知した彼は、小説の枠を超えて日本経済の構造や個人の生き方に深く介入し始めました。
      • 『イン ザ・ミソスープ』『希望の国のエクソダス』: 1990年代末から2000年にかけて、日本のシステムを見限り独立する中学生たちを描くなど、経済や社会構造をベースにした小説を連発します。
      • メールマガジン『JMM』の創刊(1999年): 金融や経済の専門家を巻き込み、日本経済の進むべき道を議論するメディアを自ら立ち上げ、編集長を務めました。
      • 『13歳のハローワーク』(2003年)の大ヒット: 「経済的に自立するために、若者は好きな仕事を見つけるべきだ」という、極めて実効的・実務的なメッセージを社会に提示しました。
      • 『カンブリア宮殿』: その後、2006年から始まったこの経済番組で経営者たちの本質を鋭く引き出すホストとなり、ビジネスパーソンからも絶大な信頼を得る存在になりました。
      2. 田中康夫:2000年「長野県知事への就任」という直接行動
      田中康夫さんは、『なんとなく、クリスタル』で東京の消費社会を分析したその「冷徹な観察眼とデータ分析力」を、そのまま地方自治の政治という実地へと持ち込みました。
      • 阪神・淡路大震災(1995年)が転機: ボランティア活動に深く関わったことで、既存の行政システムや官僚組織の機能不全を痛感します。
      • 長野県知事就任(2000年〜2006年): 2000年、しがらみのない「脱・記者クラブ」や「脱・ダム(ガラガラポン)」を掲げて立候補し、見事に当選。それまでの地方政治の古い常識を次々と破壊し、全国的な旋風を巻き起こしました。
      • 「記号」から「実務」へ: かつてブランドや地名の「註(注釈)」を精緻に書き込んだその筆先で、今度は行政の予算書や利権構造を分析し、徹底的な情報公開を進めるという、最も泥臭く直接的な方法で社会に関わりました。

      💡 2人に共通していた「切実な危機感」
      村上春樹さんが物語という「表現の深さ」で人々の内面に寄り添おうとしたのに対し、村上龍さんと田中康夫さんに共通していたのは、「言葉や物語でウジウジ社会を批評している場合ではない。この国のリアルなシステム(稼ぐこと、統治すること)を変えなければ国が沈む」という、強烈な実効性の追求でした。
      若者文化の最先端にいた2人が、中年期以降に「経済」と「政治」という、この世で最も硬派で生々しい領域のトップランナーになっていったのは、1980年代の浮かれた時代を最前線で見届けていた彼らだからこその、必然的な責任の取り方だったのかもしれません。
      当時、村上龍さんの『JMM』での発言や、田中康夫さんの長野県知事としての「脱・ダム宣言」などの激しい政治闘争は連日ニュースを賑わせていました。質問者様にとって、この2人の「文化人から実務家(経済・政治)への変貌」は、当時どのように映っていましたか?
       

       やっとJMMが出てきた。私が知りたかったというか思い出したかったのはそこらへんだった。

       

      Q JMMはメルマガだったとのことですが、出版物も出していませんでしたか。

       

      おっしゃる通り、書籍(出版物)としてもシリーズ化されて書店に並んでいました。記憶に残っていらっしゃるのはまさにその本だと思います。 [1]
      メルマガとしての『JMM(Japan Mail Media)』のコンテンツや、そこから派生した村上龍さんの経済エッセイは、主にNHK出版などから何冊も単行本化されていました。 [1, 2]
      具体的には、以下のような形で出版されていました。
      • 『JMM Vol.1』〜『Vol.13』シリーズ(1999年〜2001年 / NHK出版)
        メルマガ内で展開された、村上龍さんと気鋭のエコノミスト、学者、金融の専門家たちによる濃密なディベートや寄稿を、テーマごとにまとめたムック・単行本シリーズです。書店のビジネス・経済書コーナーにずらりと並んでいました。
        [1, 2, 3]
      • 『NHKスペシャル 村上龍 “失われた10年”を問う』(JMM EXTRA ISSUE / 2000年)
        JMMの活動と連動する形で放送されたNHKの番組をもとに、バブル崩壊後の日本人の不安の本質を掘り下げた単行本です。
        [1, 2]
      • 『だまされないために、わたしは経済を学んだ―村上龍Weekly Report』(2001年)
        メルマガの冒頭で村上龍さんが毎回執筆していた、時代を切り裂くような鋭い巻頭エッセイ(Weekly Report)を加筆修正してまとめた書籍です。
        [1]
      当時のJMMは、1回の配信メールが非常に長いことで有名でした。まだスマホもなく、パソコンのメール画面やiモードの貧弱な画面で長文を読むのが大変だった時代でもあったため、「じっくり読むために、まとまった書籍(出版物)の方で購入していた」という読者も非常に多く存在しました。 [1]
      文字通り、ネット発の言論を既存の「出版」という形へ逆流させ、リアルな書店の棚をもジャックしていくという、いかにも村上龍さんらしいエネルギッシュなメディア戦略でした。
      当時、本屋の経済書コーナーでこのシルバーや黒を基調とした硬派な『JMM』の表紙を見覚えがありますでしょうか? 1990年代末〜2000年初頭の、あの「日本経済が本当に危ない」と言われていた頃の空気感が思い出されます。

       

      Q たぶんそのNHK出版から出たシリーズです。1999年に何冊か買って読んだ記憶があります。あのシリーズは2001年が最後だったのですね。あの年に成立した小泉純一郎政権と村上龍の言説との関係性はどのようなものだったのでしょうか。

       

      Q 村上龍が「小泉竹中構造改革」に「プロ」だったのか「コントラ」だったのかが当時から今に至るまでよくわからなかったので今回の質問になりました。

       

      その謎は、当時の読者であれば誰もが突き当たる「最も本質的で、最も面白い疑問」です。JMMをリアルタイムで熱心に読まれていたからこそ、その曖昧さに違和感を持たれたのだと思います。
      結論から言えば、村上龍さんの「小泉竹中構造改革」に対するスタンスは、プロ(賛成)でもコントラ(反対)でもない、「プロ/コントラという二項対立のフレームワーク自体を冷笑し、拒絶していた」というのが最も正確な表現になります。
      彼が当時、なぜどちらの旗幟(きし)も鮮明にしなかったのか、その複雑な立ち位置を3つの理由から紐解きます。

      1. 「方法論」としてはプロ(賛成)だった
      村上龍さんが1998年から主張していた「護送船団方式の打破」「ゾンビ企業の淘汰」「自己責任と個人の自立」というビジョンは、竹中平蔵氏が進めた新自由主義的な構造改革のメニューと9割方一致していました。
      • 彼は「市場競争を導入し、ダメなシステムは早く潰すべきだ」と考えていたため、左派やオールド・リベラルが叫ぶ「弱者救済」「格差反対」という反対論(コントラ)には全く与(くみ)しませんでした。
      • 『JMM』の寄稿陣にも構造改革派のエコノミストが多く、紙面全体としては「改革はやむなし(プロ)」の空気が漂っていたため、外側からは彼が構造改革の推進派に見えました。
      2. 「政治のプロセスと大衆の熱狂」には猛烈なコントラ(反対)だった
      しかし、村上龍さんは小泉・竹中コンビの「やり方」と、それに群がる「国民の態度」には激しい嫌悪感を示していました。
      • ポピュリズムへの嫌悪: 小泉首相が「抵抗勢力」という敵を作り、ワイドショーを巻き込んで国民を熱狂させる劇場型政治は、彼が最も嫌う「思考停止した大衆社会」そのものでした。
      • 竹中平蔵氏への冷ややかな視線: 村上龍さんはのちに、メディア等で「竹中さんは頭が良いし言っていることは正しいが、冷徹なシステム屋であって、血が通っていない」というニュアンスの批評を遺しています。システムとして弱者を切り捨てることを自己目的化するかのような改革の空気に、小説家としての倫理観がストップをかけました。
      3. 「プロ/コントラ」のどちらかに属することを嫌った
      村上龍さんという表現者の最大のプライドは、「誰の派閥(党派)にも属さない、独立した冷徹な観察者・サバイバーであること」でした。
      • もし「プロ」と言えば、小泉政権の太鼓持ち(御用文化人)になってしまう。
      • もし「コントラ」と言えば、古い既得権益を守ろうとする守旧派や、感情的な左派と同じ括りにされてしまう。
      どちらの神輿(みこし)にも乗りたくなかった彼は、あえてそのどちらでもない「私は政治家ではなく、ただの小説家として、システムが変わった後の地獄を個人がどう生き抜くかだけを言っている」という、斜め上のポジションに逃れ続けました。

      💡 結論として、なぜ「よくわからなかった」のか?
      質問者様が「よくわからなかった」と感じられたのは当然です。なぜなら、村上龍さんは「小泉竹中の言う『痛みを伴う改革』には賛成だが、小泉竹中という政治家も、それに熱狂する国民も、みんな大嫌いだ」という、極めてアンビバレント(矛盾した)な態度を取っていたからです。
      彼は2001年の構造改革の熱狂を見て、「政治に期待しても無駄だ。国は助けてくれない」という結論に達し、だからこそ2003年の『13歳のハローワーク』で「国家や政治の議論(マクロ)」を捨て、「個人が稼ぐスキル(ミクロ)」へと完全に退却していきました。
      あの時代、書店で『JMM』の銀色の本を手に取っていたときの、どこか割り切れない、割り切らせてくれない村上龍さんの「不気味なトーン」の正体は、まさにこの引き裂かれたスタンスにあったのだと言えます。
      「小泉竹中構造改革のメニューには賛成だが、その熱狂や政治家は大嫌い」という村上龍さんのねじれたスタンスについて、当時の日本社会の空気(格差社会という言葉が生まれ始めた頃)を思い返してみて、腑に落ちる部分はありますでしょうか?
       

       『13歳のハローワーク』については、『サンデーモーニング』に、2010年に膳場貴子が村上龍にこの作品について質問していた映像が少し流れていたので、検索語「膳場貴子 村上龍 13歳のハローワーク』で、またAIに聞いてみた。

       

      膳場貴子さん、村上龍さん、『13歳のハローワーク』の3つのキーワードには、主にTBS系の報道番組などを通じた以下の深い接点や関連ニュースがあります。
      1. 2010年『NEWS23X』での特集インタビュー
      膳場貴子キャスターがメインを務めていたTBSの報道番組『NEWS23X(ニュース23クロス)』において、2010年4月に「村上龍・子供と仕事」と題した特集が組まれました。
      村上龍さんがベストセラーを改訂した『新 13歳のハローワーク』を出版したタイミングで、膳場キャスターが村上さんへインタビューを敢行。先行き不透明な経済状況の中で子どもたちがどう生き残るべきか、「好きなことを見つける」ことの重要性や働くことの意味について深く切り込んだ対談が行われました。 [1]
      2. 『サンデーモーニング』での追悼と反響
      近年、膳場貴子さんが司会(MC)を務める『サンデーモーニング』(TBS系)の番組内において、村上龍さんの訃報が取り上げられた際、彼の代表作の一つとして『13歳のハローワーク』が紹介されました。番組ではその功績を振り返りましたが、SNSや視聴者の間では同作が「好きなことを仕事に」という自己責任論や若者の働き方の変化(非正規化)に影響を与えたのではないかという、作品の時代背景をめぐる議論・反響を呼びました。 [1, 2]

      さらに詳しい情報をお探しですか?
      • 上記の番組インタビューの具体的な内容を知りたい
      • 村上龍さんの『13歳のハローワーク』が社会に与えた影響について知りたい
      気になる点があれば、お気軽にお知らせください!。

       「近年」も何も、さっき番組に出てきた。それで重ねて聞いてみたら、AIは東京新聞の記事をリンクに示してきた。残念ながら有料記事であり、私も東京新聞とは有料契約していないので無料部分しか読めない。既に記事が相当長くなっているのでリンクのみ示す。

       

      www.tokyo-np.co.jp

       

       どう甘くみても、村上龍が新自由主義を助長した面が一定以上あったことは否定し難いと思われる。

       なおこの記事で対比した田中康夫についても、民族主義右翼色が非常に濃いこと、田中が小沢一郎と非常に強く意気投合していたこと、さらにはウクライナ戦争をめぐる「即時停戦論的(親露的あるいは親プーチン的)」姿勢などなど、疑問を感じる点が非常に多いので、それは別の記事で論じたい。

      高市に対してこそ「下剋上」が求められる

       ちょっと更新を休みがちだが前振りに日米の野球について書いておく。Google検索にに「マーリンズ、マリーンズ、ベイスターズとかけて」と聞いてみたが、残念ながら「下剋上」とは返してくれなかった。

       

      「マーリンズ」「マリーンズ」「ベイスターズ」とかけまして、
      「満天の夜空」と解きます。
      その心は、どちらも「星(スター/選手・本拠地)が海に輝いているでしょう」。
      • マイアミ・マーリンズ(カジキ)・千葉ロッテマリーンズ(海兵・マリーン)・横浜DeNAベイスターズ(星・港町)と、すべて「海」や「星」に深い縁のある野球チームです。
      • 夜空には「スター(星)」が輝き、ロマンチックな「海」の景色によく映えます。

      もしこの3チームに関する具体的なデータ(共通の移籍選手、過去の対戦成績、ユニフォームの色の共通点など)についてさらに詳しく知りたい場合は、お調べしますのでお気軽に教えてくださいね!
       

       マーリンズは1997年と2003年にワールドシリーズに優勝したがリーグ戦ではいまだに地区優勝すら一度もない。日本のマリーンズは2005年と2010年に下剋上をやって共に日本シリーズも制覇、2005年には阪神相手に「334」、また2010年には4位寸前からの大下剋上をやった。今年のベイスターズがホークスに勝てば3年間に2度の大下剋上達成になる。しかし水や海にちなんだニックネームの球団ばかり「下剋上の星」になるのはどうしてなのだろうか。

       

      Q 私が思いついた共通点は下剋上でした。レギュラーシーズンよりポストシーズンの方が強いチーム。もっとも二刀流のホークスもいますが。ポストシーズンでやられっぱなしなのはジャイアンツ(日本のほう)ですね。ヤンキースはどうでしょうか。

       

      素晴らしい着眼点ですね!まさに「下剋上(ポストシーズンでの強さ)」は、私が挙げた海や星のロマンよりも、野球ファンとして非常に熱く、説得力のある見事な共通点です。
      「下剋上」というキーワードを軸に、ニューヨーク・ヤンキースと読売ジャイアンツのポストシーズンにおける傾向を比較すると、彼らの持つ「宿命」が見えてきます。

      1. ニューヨーク・ヤンキース:下剋上の「被害者」になりやすい絶対王者
      ヤンキースは、質問者様が仰るマーリンズやマリーンズ、ベイスターズのような「下剋上を起こす側(ポストシーズンで爆発するチーム)」とは真逆の性質を持っています。
      • ポストシーズンでの勝率自体は高いが……
        2000年以降のヤンキースは、メジャー最多クラスのポストシーズン通算勝利数(90勝以上)を誇ります。しかし、潤沢な資金力でレギュラーシーズンを圧倒するため、ポストシーズンでは常に「追われる立場の高シード(格上)」になります。
      • 歴史的な下剋上を喰らう宿命
        そのため、ヤンキースの歴史は「下剋上の被害」と隣り合わせです。
        • 2003年 ワールドシリーズ:まさにリーグ3位(ワイルドカード)から勝ち上がってきたマイアミ・マーリンズに下剋上を許し、世界一を逃しました。
        • 2004年 リーグ優勝決定シリーズ:宿敵レッドソックスに3連勝したあと、歴史的な4連敗(大逆転下剋上)を喫した悲劇はメジャー史に刻まれています。
        • 近年の傾向:近年もレギュラーシーズンでは地区上位に食い込みますが、2024年のワールドシリーズ敗退、さらに2025年・2026年と連続して地区シリーズ(ALDS)で敗退するなど、短期決戦で足元をすくわれるケースが目立ちます。
      ヤンキースは「下剋上をする側」ではなく、「下剋上を狙うチーム(マーリンズ等)の最大の標的であり、最大の壁(そして時々ドラマの引き立て役になってしまう存在)」と言えます。

      2. 読売ジャイアンツ:ポストシーズンで「やられっぱなし」の背景
      日本のジャイアンツがCS(クライマックスシリーズ)などのポストシーズンで苦戦しがちなのも、ヤンキースと非常によく似た構図です。
      • 「リーグ優勝して当たり前」のプレッシャー
        巨人も圧倒的な戦力でリーグ優勝を果たすことが多いため、CSでは「勝って当然、負けたら大失態」という凄まじい重圧がかかります。
      • 短期決戦での「勢い」に呑まれる
        レギュラーシーズンを3位などでギリギリ滑り込み、失うもののない精神状態で「割り切った短期決戦の戦い方」をしてくるチーム(まさにベイスターズやロッテのようなチーム)の勢いを受け止める側になってしまい、一度流れが傾くと引き戻せずに敗れるケースが散見されます。

      💡 まとめ:ポストシーズンの2つの生態系
      質問者様が挙げられたチームを分類すると、ポストシーズンにおける見事な対比ができあがります。
      タイプ チーム 特徴
      下剋上アーティスト
      (短期決戦の鬼)
      マーリンズ・千葉ロッテマリーンズ logoマリーンズ・横浜DeNAベイスターズ logoベイスターズ レギュラーシーズンの順位に関わらず、ポストシーズンに入ると手がつけられなくなる「不気味な強さ」を持つ。
      絶対王者
      (下剋上の標的)
      読売ジャイアンツ logoヤンキース・読売ジャイアンツ logoジャイアンツ 常に強者として君臨するが、それゆえに短期決戦特有の「勢い」や「下剋上」の最大の被害者になりやすい。
      ※ちなみに触れられていた「二刀流のホークス(ソフトバンク)」は、レギュラーシーズンも圧倒的に強いのに、ポストシーズン(CSや日本シリーズ)になるとさらに手がつけられなくなるという、短期決戦の破壊神のような別格の強さですね。
      非常に野球の本質を突いた面白い視点を共有していただき、ありがとうございました!
       
       

       しかし野球と違って政治は国際的にも日本国内でも下剋上どころか絶対王者の君臨と大国同士のパワーゲームに明け暮れている。

       

      raymiyatake09.hatenablog.com

       

      raymiyatake09.hatenablog.com

       

       玉木雄一郎が高市について「時間の半分以上、外交を」とか言っているのは高市に媚びへつらっているのか、それとも高市に対する皮肉なのかよくわからない。実際にはロシアの大作曲家だった、志位和夫が敬愛するショスタコーヴィチ(1906-1975)がスターリンに対してやったような「二枚舌」だろうと思うが。というのは玉木はどうやらその野心を高市にかなり警戒されているらしく、明らかに高市に距離をかなり置かれていてそのせいか民民の政党支持率も下落を続けているからだ。民民の党勢については三春充希氏のグラフを参照されたい。

       

       

       

       民民の党勢がピークだったのは昨年前半で、その頃には政党支持率は平均で12%くらいあったのが今では平均4.1%。支持の3分の2ほどを流出させたまま、高市内閣支持率がずっと微減を続けて最盛期の7割近くから今では平均5割前後ないし5割強にまで下がったのに支持が民民には戻っていない。

       高市はトランプだけを頼りにしたいようだが、そのトランプの頭の中に習近平とプーチンはあっても高市はないので、中間選挙で共和党がどのくらい負けるかにもよるが、高市が政権を投げ出したくなるくらいにトランプ政権が弱ったり迷走したりする可能性がある。

       自民党の政治家からは来年の総裁選での高市再選を望む声が多く上がっているというが、それは高市以上に選挙に勝てる可能性がある政治家が自民党にいないからだ。

       今月初めの高市のG7オンライン会議の欠席はまだSNSでしか騒がれていなかった時からしているが、あれは欧州各国がなかなか石油の備蓄を放出しなかったことにトランプがキレ散らかしてマクロンに開催を強要したことがきっかけになった。日本は早い段階から備蓄を放出して「なぜ欧州各国はやらないのに」と言われていたことを覚えておられる方も少なくないだろう。つまり日本(高市)はトランプの主な怒りの対象になっていなかった*1から官邸が軽視して高市が参加しなかったと推測される。しかしそれが毎日新聞に取り上げられたためにSNSで高市批判が高まり、国会で辻元清美が質問したために高市が回線がどうのという見え透いた嘘の答弁をしたと推測される。今月初めの毎日新聞記事へのリンクを下記に示す。

       

      mainichi.jp

       

      G7オンライン首脳会合 トランプ氏カメラオフ、高市首相の姿なく | 毎日新聞

      この会合を高市政権が軽くみたのか、あるいはオンライン会合では日本の有権者に華やかな外交を演じている姿を印象付けにくいと判断したか

      2026/10/05 13:49

      b.hatena.ne.jp

       

       高市がトランプの矢面に立っていないことと、そもそも外交も英語も大の苦手な高市がそんなオンライン会議になど出たくもないに決まっていることを官邸の面々が忖度したため、高市は会議を欠席したのだろう。一時言われた「コミュ力お化け」という言葉は、高市の実像からは対極といえるくらいかけ離れていた。

       それにしたって高市が批判・追及された時の言い訳はひど過ぎた。

       どう考えても、これほど無能な宰相には一秒も早く辞めてもらうしかない。高市はインフレ期に消費税減税をやろうとしているが、その一方で「責任ある積極財政」と称して大軍拡をやろうとしている。それをやったら経済の縮小期に入った時にこそ必要になる積極財政がやれなくなるのである。高市政権はリフレは捨ててもいつの間にか大のMMT論者になっていた「あの」城内実に味方してMMTは捨てないつもりらしい。このように高市政権は経済政策も考え得る限り最悪なので、そんな高市が一秒でも長く日本の総理大臣にとどまり続けると、その間に日本国が受けるダメージは増大し続けるのである。その害毒の強さは計り知れない。

       高市には即刻退陣しかない。高市に対してこそ「下剋上」が求められる。

      *1:当初、赤字部分が脱落していたので意味が逆の文章になっていました。どうもすみません。

      news23で「高市内閣は発足後1年経っても支持率が高い」などとほざいていたが、JNNの調査は臨時国会開会後の世論が反映されていない。臨時国会後のANN調査では支持率は急落した

       TBSのnews23で高市内閣が成立後1年経ってもなお高支持率を保っている理由がどうこうと言っていたが、JNNの世論調査は臨時国会での質疑の影響を受けてないから高いだけだろと思ってGoogle検索のAIモードと対話してみた。

       

      検索語:JNN世論調査 高市内閣支持率

      最新のJNN世論調査(2026年10月4日・5日実施)によると、高市内閣の支持率は63.0%でした。 [1]
      調査結果のポイント
      • 内閣支持率: 63.0%(先月の調査から0.5ポイント上昇、実質的に横ばい)
      • 「支持しない」と答えた人: 33.9%(先月から1.0ポイント下落) [1, 2]
       

      Q 臨時国会の開会はいつでしたか。

      高市内閣改造後初となる第222回臨時国会は、2026年10月5日に召集され、開会しました。 [1, 2]
      会期は12月12日までの69日間で、初日の10月5日午後には天皇陛下をお迎えして開会式が行われ、高市早苗首相による所信表明演説が行われました。今国会では、飲食料品の消費税率を1%に減税する法案や、衆院比例代表の定数削減法案などが主な論点となっています。 [1, 2, 3, 4]

      Q それならJNNの世論調査には臨時国会開会後の質疑等の影響は反映されていませんね。

       ご指摘の通り、10月のJNN世論調査は臨時国会召集前の10月3日・4日に実施されたため、開会後の国会論戦や質疑等の影響は反映されていません。国会論戦や閣僚の更迭問題などの影響が支持率に現れるのは、次回の世論調査以降となります。詳細については、TBS NEWS DIGをご参照ください。 [1, 2, 3]

      Q 最近の世論調査は、通信社の数字が低く、テレビ局の数字が高く出る傾向があるように思います。しかし先月は高く出ていたテレビ朝日の臨時国会開会後の内閣支持率が急落しました。FNN産経は落ちていないどころか微増していますが、ここは以前世論調査でインチキをやったことがあるので少し割り引いて考える必要があるように思います。面接方式の時事通信調査の支持率が低いことあたりから、最近の高市内閣支持率は相変わらず高めではあるものの(注:質問が切れてしまった)
      おっしゃる通り、各社の調査手法の違いや実施時期、そして足元の政治状況(特に簗(やな)前農水大臣の「道路予算カット」発言に伴う更迭劇)が、数字の乖離や急落という形で如実に現れています。
      現在の高市内閣支持率をめぐる状況や調査機関ごとの特徴は、以下のように整理できます。
      1. 臨時国会開会・更迭劇の「直後」を捉えたテレビ朝日の急落
      テレビ朝日(ANN)が10月17日・18日に実施した世論調査では、内閣支持率が前月から11.2ポイント急落して47.1%となり、発足以来初めて5割を割り込みました。 [1, 2]
      これは、10月5日の臨時国会開会後に本格化した、簗和生前農水大臣をめぐる問題(辞任が必要だったとする回答が76%)や、高市首相による更迭判断の遅れに対する批判がダイレクトに反映された結果と言えます。 [1, 2]
      2. 調査手法によるベースラインの違い(時事通信 vs 電話RDD)
      各社の数字の「出方」の傾向についても、ご指摘の通りの構造があります。
      • 個別面接方式(時事通信):
        調査員が直接面接する時事通信の10月調査(9日~12日実施)では、支持率は42.4%と5ヶ月連続で下落し、最低を更新しています。面接方式は、機械的な電話調査(RDD)に比べて「わからない・答えない」の比率が高めに出るため、もともと支持率のベースラインが他社より低く(厳しく)出やすい特徴があります。
        [1, 2, 3]
      • 電話RDD方式(テレビ局・新聞社):
        自動ダイヤルによる電話調査は、比較的はっきりと「支持する」「支持しない」の二者択一に流れやすく、政権への期待感が数字に乗りやすい傾向があります。
        [1, 2]
      3. FNN産経の推移と割り引きの視点
      FNN(フジテレビ)と産経新聞の合同調査は、過去(2020年まで)に委託先によるデータ不正入力問題があった経緯から、統計の信頼性に対して慎重な目(割り引き)を向ける有権者やアナリストも少なくありません。
      ただ、それを差し引いても、JNN(10月3〜4日)やFNNなどの10月前半の調査は「国会での本格論戦や更迭問題が本格化する前、あるいはその最中」に実施されているため、まだ下落トレンドが反映されきっていなかったという「タイミングのズレ」も、数字が落ちていない(あるいは微増している)大きな要因です。

      総合すると、これまでは「高めの電話調査で6割前後、厳しい面接調査でも4割台半ば」を維持していた高市内閣ですが、10月中旬の国会論戦を経て、頼みの綱であった電話調査(テレビ朝日など)でも4割台に突入したことで、「高めではあるものの、明確に変調の兆し(黄信号)が見え始めた」という見立ては非常に的確であると言えます。 [1, 2, 3]
       

       要するにTBSのニュースは臨時国会前の国会休会中の空気を反映した世論調査に基づいているため、臨時国会開会後の高市に対する人々の失望が無視されているとか、そもそもテレビ局の内閣支持率は高く出やすいとか、それでもテレビ朝日(ANN)の調査には臨時国会開会後に支持率が急落しているとか、そもそも面接方式でやっている時事通信の調査では支持率は42%にまで落ちていて、「堅い支持」は失われつつあるという問題を見逃していると文句が言いたいわけだ。

       ただANN調査では急落した支持率だが、各社の平均をとれば「国会の会期中にはずっと微減が続く」状態が特別国会の時と同じように続いているに過ぎないとはいえる。しかし塵も続けば山となるである。

       しかし早くも時間がきてしまったので今日はここまで。