kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「健全な権力闘争が行われない組織はどこかで停滞して澱むからね。その上で私は泉健太を支持しますが。」(「ナマステ大臣」氏のXより)

 先日こたつぬこ(木下ちがや)氏と激しいやり取りをしていたmasa氏は、どう見ても立民支持層の中ではリベラル派ではなく、中間派というより保守派に近いようにしか私には見えない。だからmasa氏はこたつぬこ氏とは気が合いそうなものだが、そうはならなかった。

 masa氏が保守派に近いことは、例えば下記Xをリポストしていることからも窺われる。

 

 

 この「東 錦」という人はよくこたつぬこ氏がリポストする、典型的な泉健太支持の立民右派支持層の人だ。この人は野田佳彦Gと小沢一郎Gとの「野合」を激しく警戒している。私は、3年前の立民代表選で果たしてこの人が泉健太Gと小沢Gとの野合を警戒していたんだろうかと思ってしまうのだが。

 しかしながら、同じくmasa氏がリポストした、立民右派支持層の方の意見でも、下記2件のポストには、秋の立民代表選で誰を支持するかという一点を除いて強く共感できる。

 

 

 

 「健全な権力闘争が行われない組織はどこかで停滞して澱む」とは本当にその通りだ。

 ただ、この人はその上で泉健太を支持し、私は泉健太を代表から下ろすべきだと考えている点が大きく異なる。

 何度も書くが、20年以上前の民主党では「健全な権力闘争」が行われていたと私は認識している。

 たとえば2002年9月の民主党代表選で鳩山由紀夫菅直人に勝ったが、再選された直後から鳩山由紀夫が党内からの激しい批判を浴びて引責辞任し、2か月半後にやり直し代表選が行われて菅直人岡田克也に勝った。以下Wikipediaより。

 

2002年12月民主党代表選挙(2002ねん12がつみんしゅとうだいひょうせんきょ)は、統一補欠選挙での惨敗と自由党との統一会派騒動をめぐる党内混乱の責任を取る形で代表を辞任した鳩山由紀夫前代表の後任を決めるため、2002年12月10日両院議員総会において行われた民主党代表を選任する選挙である。この結果、菅直人が新代表として選出された。

 

出典:2002年12月民主党代表選挙 - Wikipedia

 

 

 今の立民は当時の民主党とは全く違い、硬直した体質に変質しているように見える。

 党内の相互批判より団結という名の同調圧力をかける傾向が強すぎるのである。

 たとえば、masa氏の下記Xなど典型的な例だろう。

 

 

 2002年の民主党に「自民党並みの基盤」などなかったけれども、党内のグループ間の論争は活発だった。これももう何度となく書いたことだけれども、党内右派の野田Gの「花斉会」というグループ名は「百家争鳴、百花斉放」からとられている。その文化を変えたのは小沢一郎だ。余談を書くと、2008年の民主党代表選を潰した小沢一郎を、私がかつて運営していた(現在では放置状態にある)FC2ブログで「もっと自由闊達な議論を」と求めたところ、かつて民主党には議論百出の気風があったと自身のブログで指摘したのは、当時はまだ小沢一郎を厳しく批判する論陣を張っていた「世に倦む」御仁だった。あの頃と今とでこの御仁もずいぶん変わったようだが。

 もっとも、上記masa氏のXの前段である下記ポストは、その一部にはいえている面もある。

 

 

 衆院選小選挙区制を中心として行われている現在の制度を無視して「安易に政党の集合離散(離合集散の誤りか?)を語る」ことが論外であることはいうまでもない。だから、たとえば堀新氏の下記Xのうち「新たな左派政党を作る」ことなどは論外なのである。

 

 

 ひとたび大きな党を割ってしまうと無惨な共倒れになる。このことを身をもって示したのが2012年の「日本未来の党」での小沢一郎であって、この政党は東京新聞日刊ゲンダイの紙面を挙げての応援を受けながら、獲得わずか9議席の惨敗を喫した。同じく惨敗して下野した民主党との間で送り合った「刺客」はほとんどが共倒れとなった。たとえば私が住む東京15区でも「オスプレイを絶賛した」東祥三と「森を伐採し損ねた」田中美絵子の超低レベルの順位争いになり、東は田中にすら負けた。

 この点で狡猾だったのは泉健太だ。

 泉は玉木雄一郎のように「希望の党」の後身だった旧民民の枠組にはこだわらず、新立民に入り込んで党内権力を掌握する道を選んだ。

 昨日弊ブログから「プレゼント」した立民党内政局の朝日新聞有料記事の有効期限はもう切れているが、そこには泉が党執行部のポストを人参にぶら下げて党内リベラル派のサンクチュアリに属する議員を釣ろうと工作していることが書かれていた。

 私は、少数政党出身の泉が代表になった裏では、こうした権力工作をやりまくっていたに違いないと前々から確信していたし、そのことを弊ブログには何度も何度も書いてきたので、予想通りであって意外性は何もなかった。

 しかし問題点は、こうした権力闘争の工作が可視化されておらず、ほとんど立民支持者に認識されていないと思われることだ。

 泉は何も悪いことをやっているわけでもなんでもない。権力志向の強い政党人なら誰でもやることを徹底的にやっているだけだ。21年の代表選では、泉ほど徹底した権力工作をやる候補がいなかった。泉と同じ旧希望の小川淳也はそれなりになっていたが、逢坂誠二西村智奈美にはそんな執念はなかったから負けたのだと私は認識している。

 それは支持層も同じで、私には立民リベラル派支持層はあまりにお人好しにすぎるとしか思えない。

 たとえば泉Gの参院議員が独裁しているらしい立民の広島県連では、3人の落選候補が総支部長の座を追われた。

 野田Gの手塚仁雄が独裁しているらしい東京都連はそこまではやらなかったが、都連には下町軽視の傾向が強く、特に15区は維新が金沢結衣を育てようとして力を入れていたために泉執行部が維新にでも譲ろうとしたのか、井戸まさえ氏をいびり出した。

 このように、代表や都道府県連の最高権力者を誰にするかで党運営は大きく変わる。

 ここはまず、公明正大な党内権力争いが「比較的」行われていた、小沢一郎参入以前の民主党の気風を、立民は取り戻す必要があると強く訴えたい。