kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「蓮舫さんを叩くなと言っている人たちが、塩村あやかさんを叩くのはよくないだろう。政治的なポジションもさほど変わると思えない2人だけに、なぜこうなるのか分からない。」(政治おじいちゃんお化け氏のX)

 政治おじいちゃんお化け氏のXより。

 

 

 そんなことが起きているのか。

 何が原因かはうすうすわかるが。

 誰だかが書いた都知事選についてのrnoteの記事に触発されたと思われる塩村文夏氏が書いた文章に対する反発からだろう。

 私もnoteの有料登録者なので(発信はしていないけれども三春充希氏の記事を有料で閲覧している)当該のnote記事を見たが、取るに足らないちゃもんに過ぎないと思った。あれを取り上げた塩村氏とはスタンスが違うんだろうなとも思った。

 だからって「蓮舫さんを叩くなと言っている人たちが、塩村あやかさんを叩くのはよくない」のは確かだ。

 塩村氏は2019年参院選で当選したが、選挙戦の後半で朝日新聞が出した情勢調査記事が芳しくなかったために多くの立民支持系有権者が「戦略的投票」でもしたのか、はたまた同情票を集めでもしたのか、結構な得票数で当選した。ともに立民公認で立候補した元朝日新聞の山岸一生氏が古巣の当該情勢記事についてぼやいていたことをよく覚えている。私は別の理由の「戦略的投票」によって山岸氏に投票した。別の理由とは維新の候補を落選させるために立民候補に入れるというものだが、リベラル系の山岸氏と元「みんなの党」の塩村氏で塩村氏をとる選択は私にはあり得ないので、当然ながら山岸氏に投票したが落選した。私もまた朝日の情勢記事が余分だったよなあと思った。

 そんなわけで、民民在籍歴も有する塩村氏は立民党内にあっては明らかに新自由主義寄りの保守系だろう。蓮舫氏も野田Gの重鎮だったことからもわかる通り、都知事選に立候補する前までは新自由主義寄りの保守系議員という認識しか私にはなかった。

 従って、「政治的なポジションもさほど変わると思えない2人」というのは実に的確な論評だ。

 

 

 上記Xにも概ね同意するが、新選組云々についてだけは若干異論がある。

 新選組蓮舫氏を推さなかったのは、何も蓮舫氏が「右派的」だからではなく、2020年都知事選をめぐって山本太郎宇都宮健児氏に遺恨を抱いていることが最大の理由だ。元号新選組が極右候補者の擁立も辞さず、実際に安倍晋三支持者の国会議員も抱えていることなどは、政治おじいちゃんお化け氏にとっては「釈迦に説法」のはずだ。山本は4年前の都知事選で宇都宮氏に降りてもらおうと圧力をかけたが拒否され、選挙でも宇都宮氏に負けて3位に沈んだ上、4位で供託金を没収された維新候補にも肉薄された。その経緯があったために山本が宇都宮氏に怨念を抱いていることは確実で、だから宇都宮氏が今回の都知事選で積極的に応援した蓮舫氏に乗れるはずなど全くなかったのだ。

 そんなわけで、新選組(現在同組は、組内で起きたハラスメント案件で大揺れしているようだ)に関する部分にだけは同意できないが、「今の蓮舫さんの選挙を取り巻く言説は、ちょっと捻れている」という論点の核心部には強く同意する。いや、「ちょっと」どころか非常に捻れていると思う。

 また、氏がリポストした下記Xは明らかな事実誤認だと思う。

 

 

  蓮舫が立民に参加した理由は大きく言って2つあるが、そのうちより大きな理由は、2017年衆院選に立民が希望の党を上回る議席を獲得して野党第一党になったからだ。蓮舫は当時参院議員だったために、希望の党を選ぶか立民を選ぶか無所属を選ぶかという選択を迫られずに済んだ。衆院選後に結果を見て決めることができたのだ。

 仮に蓮舫が当時衆院議員だったら、自らが「背中を眩しく見ていた」小池百合子希望の党をとるか、グループの長が排除されたことを重視して無所属で立つか、それとも当時の蓮舫とはかなり肌合いが違ったはずの立民から立つか、非常に難しい選択を迫られたはずだ。同様の厳しい選択を迫られたのが小川淳也であって、彼は心情的には立民入りしたいことが当時から見え見えだったが、人間関係を重視して希望の党入りした。手塚仁雄希望の党に行かなかったのは野田佳彦に近かったからだが、個人人気の高かった蓮舫には手塚ほどの野田への忠誠心はなかったのではないかと思われる。

 余談だが、もう一人成り行きで立民入りしたといえるのが山尾(現菅野)志桜里である。この人の場合は自らのスキャンダルによって17年衆院選民進党公認予定候補から外されていたために、衆院選を無所属で勝ち抜いたあとに、明らかに本人の思想信条や主義主張からはかなり離れた立民に入った。

 2017年の秋だったか、弊ブログは立民は蓮舫山尾志桜里の入党を認めるな、という記事を公開したくらいだ。蓮舫はそのくらい右派イメージの強い政治家だった。

 その蓮舫氏を「旧立憲の象徴」みたいに書いた平河エリ氏と私とは認識がかけ離れているといえる。

 なお2017年の民進党代表時代の蓮舫は、民進党の都議選等の候補者が小池百合子の政治塾入りすることを認めたり、民進党公認で2013年の都議選に敗れた候補が都ファから出馬するのを容認したりしていたから、「2017年の立憲民主党に参加した時点で改革路線から再分配への変化が伺え」るとの認識には全く同意できない。

 私は何も今はやりらしい「蓮舫叩き」に加担するつもりなど全くない。ここまでの文章は蓮舫批判ではあっても多くの批判者による「右からの」批判とは全く異なる。私は歴史修正主義が許せないだけである。誰に対してであっても、過去の誤りは誤りとしてきっちり批判しておかなければならない。

 そうそう、「政治的立場がそう変わらないのに片方が崇拝され、片方はこき下ろされた」例として、極右側に面白い例があったことを思い出した。これを蛇足として書いておこう。

 かつて城内実小泉純一郎によって自民党を追われた頃、ネットの一部の「野党共闘」論者が極右の城内を天まで届かんばかりに持ち上げたことがあった。しかし彼らは城内と寸分変わらない極右発言をしていた稲田朋美に対してはまともに批判していたのだった。なんたるダブルスタンダード、と呆れた私が彼らを批判する記事をブログに書きまくったことはいうまでもない。