kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

東京の場合、立憲支持層の右部分にあたる人の相当部分が都民ファースト支持に吸い取られている…という説は、当たっているのかも(堀新氏のXより)

 東京都知事選で蓮舫の足をもっとも激しく引っ張っているのは立民右派支持層だろうと私は確信している。そんな弊ブログの下記記事がせつなりっとく氏のXにリンクされた。

 

 

 あの「駅前は朝の七時」の一連のX、どう見たって伝えられる蓮舫の「苦戦」を「嬉しそうにしてる」よな。

 

 そんな「大和駅前」、つまり神奈川県大和市民と思われる人物が発した呆れたXが下記。

 

 

 上記Xを評してせつなりっとく氏曰く、

 

 

 これには私も同感。2004年参院選で初当選した蓮舫が「ごく古いカイカク路線」で括られても正直言って私には違和感は全くないが、そうは言っても今回の都知事選候補者は他にろくなのがいないから投票先は蓮舫にするしかない。

 それにさしもの蓮舫も今回の立候補ではさすがに過去の「ごく古いカイカク路線」とは距離を置くようになっている。これがたとえば枝野幸男の場合だと、同様の転向をすでに00年代後半には行っていた。

 私の印象に強烈に残っているのは、2021年の衆院選党首討論会で、当時維新の代表だった松井一郎が「まだカイカクが足りない」などと、まるで小泉純一郎のような時代錯誤の言葉を発したことだ。ところがその維新が大躍進したことに二度驚いた。「提案型野党」と銘打った自民党へのすり寄り路線で参院選に惨敗した泉健太がその直後にとったのが「『維新八策』に大部分協調できる」という言葉に象徴される維新へのすり寄り路線だったから、泉こそ蓮舫以上に強い「ごく古いカイカク路線」を取ろうとしていたことは明らかだから、大和駅前の御仁が蓮舫を批判したのが、旧民主党結党時代からかなりの期間続いた民主・民進系の新自由主義路線ではないことは明らかだ。それでは何をもって蓮舫を「オールド民主党」、泉を「ニュー民主党」と言っているのかはさっっぱりわからないが。何しろ泉は年齢こそ蓮舫より若いが、初当選は2003年11月の衆院選だから蓮舫より8か月先輩だ。そして党内では一貫して右派に属していた。

 

 

 そうなんだよな。「持ち上げられる事情」とは、泉が京都選出の民主系・民進系政治家であるが故の「反共の闘志」を持っているためであることは明らかだ。そして、現在の日本の閉塞状況をもたらしたのが長年の自民党政治であることは明らかだから、泉体制は現在の流れに合っていない。だから9月の立民代表選は真面目にやるべきだと私は強く主張し続けている。

 先の衆院東京15区補選で既にその傾向が見られたが、立民支持層内では野田佳彦の支持層と泉健太の支持層とはずいぶん仲が悪いらしいことを最近痛感するようになった。私から見れば両方とも立民右派の政治家だからこれまでは泉と野田を同一視しているようなところがあったが、グループや支持層の性質はずいぶん違う。江東区民である私は、今回の政局のきっかけの一つは、野田Gに属する高野勇斗江東区議が昨年12月の区長選への酒井菜摘区議(当時)の出馬を後押し、彼らが宇都宮健児氏が会長を務める江東市民の会と手を組んだところから始まったとみている。つまり政局を仕掛けたのは立民党内においては野田Gだった。そして都知事選に出てきた蓮舫も野田Gの一員だった。最近悪評がとみに高まりつつあるこたつぬこ氏だったかが、蓮舫はバックに野田佳彦がいるからこそ過去に舌鋒鋭く泉健太を批判することができたと指摘していたが、それは当たっていると思う。

 両陣営にフリクションが起きるのは、私の見るところ2017年衆院選前の「希望の党」騒動における「排除」劇に起因する。あの時、おそらく細野豪志の差し金によって野田佳彦は「排除」される側に回った。なお枝野幸男を排除したのは樽床伸二の差し金だったともいわれる。民進右派だった野田はもちろん、枝野も必ずしもリベラル派とはいえず、私は中間派と見ていたから、あの時「えっ、小池一派は枝野を『排除』してくれるの、それはラッキー」と思ったのだった。だって枝野は敵に回したら手強いことは明らかだから。思えば安倍晋三も2014年衆院選自民党調査では落選する可能性が高いとされていたらしい枝野が当選したことに対して「枝野は落ちないじゃないか」と不服そうにしていた。このように、細野だの樽床だのの助言を受け入れてあっさり野田や枝野を「排除」してしまった例に典型的にみられる「軽さ」が小池百合子の大きな弱点だ。最近では衆院東京15区補選で乙武洋匡を担いでしまったことでも小池は「軽さ」を露呈した。

 衆院東京15区補選では立民候補自身は無色に近かった。でも私の行動範囲にあった候補者の選挙事務所には堂々と「野党と市民の共闘」と銘打ったポスターが貼られるなどしていたから、ネット(特にX)での立民右派支持層による候補者への罵詈雑言はかなりのものだった。私がそれを知ったのは選挙の投開票日の翌日だったけれども。

 それに対し、今回の都知事選では小池百合子に対する対立候補自身が野田Gの中心人物の一人だから、さしものネットでの立民右派支持層も、東京都在住の人間は「鼻を摘んで蓮舫支援」の立場をとらざるを得なくなっているが、肝心の票は蓮舫からずいぶん離反しているようだ(下記三春充希氏のXに貼られた日経の情勢調査参照)。私は蓮舫から離反している中心は立民右派支持層に違いないと確信している。そしてネットでも、前述の神奈川県大和市民と思われる人物などは、露骨に蓮舫の苦戦を喜ぶかのようなXをポストし続けている(呆)。

 

 

 なお同じ立民の長老でも、岡田克也は小池一派に「排除」まではされておらず、2016年都知事選での小池当選、鳥越俊太郎落選の責任を細野や長島昭久馬淵澄夫民進右派に批判された経緯からヘソを曲げただけだから、泉ら旧希望系との距離感は野田Gほど強くない。だから泉体制で幹事長が務まるというか泉の党運営を追認できるのだろう。

 このように、立民の党内には泉G、野田G、それにリベラル派という主要な勢力が3つあるのだから、それぞれが候補を立てて真面目に代表選を行うべきだ。ほぼ同じタイミングで自民でも総裁選が行われるが、現在の自民党政党支持率低下からみて新総裁選出直後の解散総選挙に踏み切るのには一定のハードルがあるとみられる。だから立民も代表選を絶対に真面目に行うべきだ。一番やってはならないのは、ここまで党勢を伸ばした泉をなぜ代えるのか、などと言って同調圧力をかけることだ。これをやったら、現在共産党元号新選組に顕著にみられる執行部あるいは党首(党代表)による独裁的傾向が強まると同時に、それは有権者のニーズに全く合っていないから立民の党勢の伸びは止まり、再び衰勢に向かう可能性が高い。

 最後にこたつぬこ氏のXにいちゃもんをつけておく。

 

 

 ここでいう「本来の立憲支持者」とはどのような層を指すのだろうか。

 「立憲」(弊ブログの略称は「立民」)というと、2017年の「希望の党」騒動で排除された人たちが立ち上げた政党を指すのであって、その旧立民の支持層が「置いてけぼりになって」などいないだろう。こたつぬこ氏自身がリポストしたいくつかのXを含む、立民支持者たちの反応のXが表明している通りだ。

 

 

 

 

 

 

 これは本当にその通りで、衆院東京15区補選なんかは「あれ以外の戦い方があるっていうのかよ」と、立民が焼け野原になって1人の都議も出していない城東地区に含まれる有権者として強く思った。東京都議会がこのような勢力分布になっていることには、かつての「都議会自民のドン」(故人)が剛腕をふるったことが大きな原因になっているらしいことを、先月初めに民民に移った井戸まさえ氏の著書で知ったが、江東区でいえば山崎一輝の亡父・孝明はその「ドン」の直系だった。そしてその「ドン」に挑んでいたはずの小池百合子がいつの間にか「ドン」の人脈につながる萩生田光一と結託したことから現在の政局がおおごとになった。それを呼び込んだのが酒井菜摘の区長選挑戦だったと書くといささか身びいきにすぎるかもしれないが。

 上記政治おじいちゃん氏のXには、少し懐かしい「何郁次郎」さんからの下記の反応があった。

 

 

 新立民は旧立民に加えて旧民民を合併し、旧民民の中には泉健太を含む元「希望の党」が少なからずいるから、衆院の立民支持層右派が都ファ支持層を吸収し、彼らの一部が都知事選では小池百合子に投票するのは当然だろう。で、それをもって「本来の立憲支持者が置いてけぼりに」なっているとは全く言えないはずだ。

 

 

 そりゃそうだよ。「右側が都ファに吸い取られた」というより、もともと民主・民進系の右派には小池百合子にくっつくような体質があったってことだ。4月の目黒区長選に出てきた伊藤悠などその典型例で、この人は手塚仁雄政策秘書だったが右派で、2013年の都議選で初めて落選するや、小池に評価されて2017年の都議選で都ファから立候補してぶっちぎりのトップ当選した。だから4月の目黒区長選でその伊藤と戦ってともに現職区長に敗れた西崎翔現都議(都議補選で当選)は伊藤と、かつての先輩後輩の間で争ったわけだ。これなども、最近の政局で立民においては野田Gばかりが活性化しているように見える一例であって、リベラル系と泉健太系右派はともに存在感が乏しい。現在立民のリベラル系都議の中で突出して目立っている五十嵐衣里都議でさえ、もともとは野田Gの小西洋之の秘書だった。

 

 

 これは本当にその通り。勝ち目が出てくれば立民支持層は自ずと固まるわけで、江東区長選では立民支持層の6割しか固められずに得票率21%で負けた酒井菜摘が衆院東京15区補選では立民支持層の8割を固めて無党派層からも3割の支持を受けて得票率29%で勝った。得票率29%というとかなり低いと思われるかもしれないが、群雄割拠が常態になっている東京15区では前回衆院選に勝った柿沢未途も得票率は32%止まりだった。なおこの選挙結果は立民が維新と選挙区の棲み分けをする必要など全くないことを示している。補選でも維新の金沢結衣(と保守党の飯山陽)が乙武洋匡と保守票を割ってくれたから酒井菜摘が楽勝できたのである。立民は、こと維新に対しては敵対あるのみだ。

 

 

 「京都とならんで東京は」か。立民が共産と共闘するしか選挙に勝ち目がない東京は、歴史的経緯から反共に凝り固まる京都と両極端の特殊事情を抱えていると投稿者は言いたいのだろうし、それは確かにその通りだろうと私は思うけれども、それを言うなら京都や東京よりもっと特殊な自治体もあるだろ、と思った。

 

 

 そう、大阪だ。前述の何郁次郎さんもたぶん大阪にお住まいなのではなかろうかと私は推測している。

 こたつぬこ氏の立論だと、それこそ東京や大阪の住民は「置いてけぼり」を食ってしまうのではないかと思わずにはいられない。

 蛇足だが、「置いてけぼり」と「置いてきぼり」はどちらの表記でも間違いではないとのことだ。ただ、語源は本所(東京都墨田区)にあり、「置いてけぼり」の方が伝統的表示であるらしい。以下、NHK放送文化研究所のサイトより。

 

www.nhk.or.jp

 

 まず、このことばの語源について説明します。かつて「おいてけ堀」という池が江戸本所(現在は東京都墨田区)にあり、ここで釣りをすると水中から「置いてけ、置いてけ」という声がしてきて、魚を全部返すまでやまなかったという話が伝えられています(『日本国語大辞典 第二版』小学館)。この池の名(つまり「固有名詞」)「おいてけぼり」が、その後「おきざりにされる」という現代よく使われる用法で使われるようになったものです。

 

 つまり、「おいてけぼり」のほうが最初にあった形です。のちになって、「おいてきぼり」という言い方も出てきたのです。

 

 その後、伝統的な「おいてけぼり」よりも、あとから生まれた「おいてきぼり」のほうが主流になってきたものと考えられました。1951(昭和26)年のNHKのアクセント辞典では「①オイテキボリ、②オイテケボリ」と示されていたのですが、1965(昭和40)年の放送用語委員会で「○オイテキボリ、×オイテケボリ 〔ただし地名は「オイテケボリ」〕」というように規定が変更されたのです。

 

 さて、現代ではどうなっているでしょうか。ウェブ上で尋ねてみたところ、意外なことに、「おいてけぼり」のほうが若い人を中心に支持されていることがわかりました。50年以上前の「○オイテキボリ、×オイテケボリ」という規定は、もはや見直さなければならないと考えます。

 

URL: https://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/20180201_3.html

 

 このあたりは宮部みゆきあたりが詳しそうな気がする。城東地域在住の人間としては「置いてけぼり」表記の一手だな、と改めて思った。