今年は、というより12月はもう終わりなのに朝日新聞デジタルの有料記事プレゼント枠を1本も使っていなかった。
上記記事のコメント欄より。
高井崇志の名前は、suterakusoさんよりは多く新選組のヲチをしているであろう私にはすぐピンとくる。この人が比例復活できなかったら代わりに長谷川羽衣子が衆議院議員になっていた。だから痛し痒し。同様に東京ブロックの伊勢崎賢治も衆院議員になれなかったが、正式に新選組の執行部に入って安全保障政策の責任者になった。だから後者の理由からも新選組を左派政党とみなすことは全くできなくなった。日本社会党再興の必要性がますます高まっていると思う理由の一つだが、今の福島瑞穂党首では本当にどうしようもない。
ところで上記コメントからリンクされた朝日新聞デジタルの記事は下記。その無料部分を以下に引用する。
戦前も吹き荒れた大蔵省批判 蔵相は射殺、その後の日本が進んだ道は
大日向寛文 2024年12月30日 6時00分
デモクラシーと戦争⑤ 失墜する財務省の「権威」
「7兆~8兆円の税収減をどう穴埋めするのか」「富裕層ほど恩恵が大きいのではないか」
年末の税制改正論議をめぐる国民民主党の記者会見。提唱する所得税の課税最低ラインの引き上げに疑問が呈されると、玉木雄一郎代表は、「それ財務省の説明そのままですね」と切り捨てた。
ユーチューブには、会見のやりとりについて、「完全論破」「圧勝」といった投稿が相次いだ。
国民民主党と主張は大きく異なるれいわ新選組も、財務省を敵視する姿勢では一致する。れいわの高井崇志幹事長は、「政権交代したら、真っ先に財務省を解体する」と公言する。
財政均衡主義を掲げる財務省は、「カルト教団化」している。その教義を守る限り、国民生活は困窮化する一方になる――。経済アナリストの森永卓郎氏が昨春出版した「ザイム真理教」は、こうした内容が話題となり、21万部超のベストセラーになっている。
財務省の公式Xあてには、「国民の敵。いつか罰しなければなりません」「あまり勘違いしてるとロクな死に方しないから気を付けた方がいいよ」といった書き込みが相次ぐ。
世界と日本の100年を振り返り、私たちの未来を考えるシリーズ「100年をたどる旅―未来のための近現代史」。今回の「デモクラシーと戦争」編第5回では、戦前の日本を事例として、「財政」とデモクラシーの関係を考えます。
「われ富士山」存在感は過去のこと
2022年末に防衛増税を決めた直後には、主計局長だった新川浩嗣氏の殺害予告電話が財務省にあった。心労がたたってか、新川氏は一時耳が聞こえづらくなった。
省内の士気の低下は否めない。ある中堅幹部は個人のSNSに、「昨日今日は屈辱的なことが多かったです」と書き込んだ。「複雑な気分のときの一曲」に、中島みゆきの「世情」を挙げた。
♪世の中はいつも変わっているから 頑固者だけが悲しい思いをする
財務省の前身の旧大蔵省は、予算編成権を通じて霞が関をコントロールし、政権の政治日程をも描いてきた。だが、「われ富士山、ほかは並びの山」を自認した存在感は、過去のことだ。
1995年を境に生産年齢人口が減少に転じると、日本は低成長が当たり前となった。巨額の経済対策が繰り返されたうえに、高齢化社会の到来で、社会保障の支出が右肩上がりで増えた。
借金が雪だるま式に膨らむのを抑えようと、歳出カットと増税を唱える財務省は、経済低迷の責任を問われ、批判の矢面に立たされた。
戦前も大蔵省は、世論の支持を得られませんでした。当時の批判を振り返ると、いまと酷似する論理がみえてきます。
■「一言にしていえば四面楚歌…
(朝日新聞デジタルより)
URL: https://www.asahi.com/articles/ASSDR0SKKSDRUPQJ006M.html
上記に続く有料部分には、記事の見出しから想像がつく通り高橋是清の暗殺の話が出てくる。財政引き締めを図った高橋が軍部やマスコミ(読売新聞の社説や『維新』なる禍々しい名前の雑誌など)に批判され、上記無料部分の最後に書かれているように「四面楚歌」になったという。
しかし、その直前の時期には高橋是清は積極財政で知られた。高橋が大蔵大臣を務めたのは犬養毅の政友会政権下であり、その前の立憲民政党・濱口雄幸政権の蔵相・井上準之助が進めた緊縮財政政策に起因する不況を克服したことで現在では評価されている。
高橋が財政引き締めに転じたのは景気が回復した後のことだった。
以下、上記リンクから当該部分(高橋が財政引き締めに転じてからの部分)を引用する。
高橋の財政運営は,景気回復が顕著になったころから微妙な変化を示し,34年度予算編成では財政収支の均衡が強く意識されはじめた。赤字公債の発行には限界があり,過剰発行が悪性インフレーションを引き起こすことを高橋は警戒した。財政の健全化が大きな課題となったが,そのためには膨張する軍事費の抑制が不可欠であった。岡田内閣の藤井真信蔵相が病気退任ののち7回目の蔵相就任を受諾した高橋は,36年度予算編成に際して公債漸減方針を掲げ,軍事費の拡大を最小限に抑え込み,財政の生命線を守ろうとした。前期高橋財政が積極主義を特徴とするのに対比して,後期高橋財政は財政健全化の努力に特質を持っていた。しかし軍事費抑制は軍部の強い反発を招き,二・二六事件で高橋老蔵相は惨殺され,以後の日本財政は歯止めを失って膨張の一途をたどる。
管理通貨制のもとに財政金融政策を軸に景気調整政策を展開した高橋財政は,世界史上最初のケインズ主義的経済政策と評価することができるし,原・高橋内閣時代の高橋の財政運営にも,その先駆的あらわれを認めることができる。高橋財政を機に,日本も現代資本主義あるいは国家独占資本主義の時代に入ったといえよう。
執筆者:三和 良一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について
不況期には積極財政を推進したが、景気回復期に転じたから財政引き締めに転じて軍事費の増大を抑えた高橋の財政政策はまことに理にかなっていたとしかいいようがない。
原真人は現在でも朝日新聞にいるようだが、その原や民主・民進党が批判された(弊ブログも彼らを批判した)のは不況期において財政均衡を求めたからだ。玉木雄一郎も2013年にはこの立場に立っていた。だから当時の玉木も現在の玉木とは違った理由で批判されなければならない。
今は違う。物価が上がり始めているが、今なおデフレなのか、もはやインフレ期に入っているのかさえ学者たちの間で意見が割れている。少なくとも、減税よりも富の平準化を進めるべき時期に入っているのではないかと私は思うが、実際に物価が上がって生活が苦しくなったから減税を求めるというのは人間心理としてはわかる。しかし実際に玉木雄一郎らが主張するようなやり方で減税を進めると、玉木が「それ財務省の説明そのままですね」と切り捨てたという「富裕層ほど恩恵が大きい」逆再分配になってしまう。しかも軍事費(防衛費)の大増強には玉木分派も大賛成だろうし、いっぺんに大々的なMMTをやるわけにもいかないだろうから実際にはその他の政府支出に削減圧力が強くかかることは目に見えている。従って玉木分派の影響力が増せば増すほど「強者はますます富み、貧乏人はますます貧しくなる」結果にしかならないことは自明だろうと私は考えている。
そんなことを考えながらこの記事を読み終えた。
続きの第6回はこのあとすぐ、今日(12/30)の正午に公開されるらしい。
以下に、今回の第5回の記事の無料プレゼントをリンクする。リンクの有効期限は31日11時46分。
今しがた朝日を見たのですが、次の記事が目に入りました。
戦前も吹き荒れた大蔵省批判 蔵相は射殺、その後の日本が進んだ道は
https://www.asahi.com/articles/ASSDR0SKKSDRUPQJ006M.html
これには次のブコメをつけました。
>玉木、玉木信者、高井崇志、森永、「ザイム真理教」信者とムカつきながら読み、最後の "借金が雪だるま式に膨らむのを抑えようと、歳出カットと増税を唱える財務省は…" の一文に再分配強化しろとまたムカついた。
高井という人は、誰だよそれ?と思いながら、でも、記事表記の党名を書くのも嫌だし、100字に誰かの説明まで入れられないしでフルネームで書きました。…今思いましたが、後で「山本党」に書き換えようかな…。あと、この今書いているコメントを書こうと思った時に、ふと、あ、でも、まさか原真人の記事じゃないよな?と思い、確認しましたが、大日向寛文という署名でした。
さて、この記事の続きおよびこの連載では、
>100年をたどる旅―未来のための近現代史
世界と日本の100年を振り返り、私たちの未来を考えるシリーズ「100年をたどる旅―未来のための近現代史」。今回の「デモクラシーと戦争」編第5回では、戦前の日本を事例として、「財政」とデモクラシーの関係を考えます。<
とありますが、再分配について触れるのですかね。まんま原真人の連載だと、やれやれ、ですが、そこを強力に押し出すことを期待したいですね。それこそ、戦前の民主化の挫折、戦争への道もそこに原因があるのですから。後は、国際的な資本の力との戦いもですかね。
まあ、朝日なのであまり期待できませんが…。