10日前(12/17)のまことん氏のXより。
国民民主党が、ついに世論調査で立憲民主党を越え、政党支持率で野党第一党に。「『維新』の例もあるし、一時的さ」と見る向きもあるけど、国民民と立憲は元は同じ政党だし、「連合」という支持母体を共有するから、この風潮が加速し、立憲支持層が国民民に流れ込む可能性も。重く受け止めるべき状況。
— まことん(氷河期労働者・社労士2025年絶対合格。) (@makotonch) 2024年12月16日
立民支持層が流出するというより、無党派層の中で自民党に投票するのを止めて民民に流れた人たちが定着し始めているんじゃないか。
私には、玉木・榛葉一派が従来の民民の人たちや連合を人質にとって、役職停止中の党代表自身が幹事長と組んでクーデタを起こし、それがまんまと成功しつつある状況のように思われる。
国民民主党は、憲法政策はともかく、民進党を受け継いだ社会的公正・再配分を一定重視する綱領路線、現実を見据えた経済政策など、正直嫌いな政党では無かったし、評価もしてました。しかし、現在の玉木代表の「手取りを増やす」減税主義は、同党の綱領からも逸脱するのでは、と感じ、今は批判的です。
— まことん(氷河期労働者・社労士2025年絶対合格。) (@makotonch) 2024年12月17日
玉木の「手取りを増やす」は減税しか意味しないからね。
そもそも今の玉キッズたちの中には、賃上げなんかしても税金に取られるから意味がないなどと言って、賃上げそっちのけで減税ばかり言い募る人たちが少なくない。
ところで、今の民民を後押ししているのはどういう人たちかというと。
まず学者では飯田泰之が熱心に民民を応援している。これは衆院選を受けてではなくその前からだ。
上記の政治塾で飯田は講師を務めた。
また素人に目を転じると、例の菊池誠が民民を推しまくっている。
国民民主党は絶対に財源論に乗らないことです。減税に財源はいらないと言う姿勢を貫くべき。
— あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 (@kikumaco) 2024年12月22日
減税の穴埋めなんて、なんとでもなるのですから。第一は税収の自然増、第二は国債ですろ。
財源論に取り込まれるのは後退です。絶対に後退してはだめ。@tamakiyuichiro @DPFPnews
菊池はもう「ゆるふわ左翼」なんて言わなくなった。
共産党は財務省と同じことを言う緊縮派。
— あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 (@kikumaco) 2024年10月31日
だめですね。だめすぎます。 https://t.co/3IKcKLlDOy
前述の飯田泰之にしても、2009年の政権交代の頃には雨宮処凛と共著を出していた。その本に、財務(旧大蔵)官僚が所得減税をやり過ぎたと嘆いていた話が書いてあったことを私はよく覚えている。当時はまだ東電原発事故が起きる前だったから、kikumacoとやら(なぜか彼は学術論文などでも自らの名前を "Macoto Kikuchi" と表記しているようだ)も「リベラル・左派」に人気があった。
そんな飯田や菊池らが推す玉木雄一郎は「夜警国家」を目指しているようにしか見えない。
ピケティの『資本とイデオロギー』を読んでいると、第一次世界大戦前のフランスは、フランス革命前よりも格差が大きい社会になっていたという。資本主義社会で富の再分配をろくに行わないとそんな社会になってしまうということだ。西洋は、その矛盾を大規模な戦争を起こすことでしか解決できなかった。その歴史を繰り返させまいと日々奮闘しているのがピケティだ。
一方、レバ子氏によるとアメリカではフランス革命以前の社会を目指す「新反動主義」の流れが起きているという。
アメリカで一つの焦点となっているのは、オルタナ右翼ですがその源流はNeoreactionary Movementという運動です。和訳では「新反動主義」美しい日本を取り戻すという事は精々昭和前期の大日本帝国ですが、「新反動主義」が取り戻したい時代は、フランス革命よりも前。絶対王政の時代です。
— レバ子@Labor Struggle (@laborkounion) 2024年12月26日
「新反動主義」が取り戻したい時代は、封建制度です。権力者や軍閥が割拠した力こそ全ての時代。ただ資本主義とテクノロジーは否定しない。それが彼らの力の源泉ですから。アメリカでは「PayPal Mafia」と呼ばれる人達がいます。新反動主義の中核。「自由と民主主義は両立しない」という人たち。
— レバ子@Labor Struggle (@laborkounion) 2024年12月26日
玉木雄一郎も元々は財政規律派だったのに、リバタリアンに転向したのが現在の姿でしょう。かつてもどうかと思いましたが、現在の思想はアナキスト。日本共産党と対立するはずです。共産党もマルクス・レーニン主義という歴史的巨悪に対し総括ができていません。アナキストが逆襲する。
— レバ子@Labor Struggle (@laborkounion) 2024年12月26日
最近、玉木が財政規律派だった頃(2013年)のツイート(当時)が発掘されて、「昔はまともだった」と評する立民支持層が少なからずいる。私はそれを見て、ああ、だから立民はダメなんだと改めて思った。かつての玉木は元大蔵官僚らしい財政規律派で、それはそれで正真正銘の「緊縮派」だったのだ。それが一転して「万人の万人に対する闘争」の社会への回帰を目指すリバタリアンになった。これは、2000年代の自民党内で論戦が行われていた「上げ潮派」対「財政規律派」の対立構造において、与謝野馨に代表される財政規律派から、政治家では中川秀直、学者では高橋洋一と竹中平蔵に代表される「上げ潮派」に転向したに等しい。Wikipedia「上げ潮派」には下記のように書かれている。
2009年の政権交代前には、ネット談義においてでさえ、上げ潮派と財政規律派は、ともに新自由主義陣営内の別々の流派に過ぎないという議論がされていた。私もそれに賛成したし、その意見は今も変わらない。
かつての玉木も今の玉木もともに否定する立場に立たなければ話は始まらないと思う。