kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

さかなクンは知らなかったがクニマス絶滅のいきさつは知っていた

昨日(15日)の朝日新聞の一面トップは「諫早、常時開門へ」だったが、そのすぐ下に出ていたのが、絶滅したはずの田沢湖の固有種、クニマス山梨県の西湖で見つかった、という記事だった。


http://www.asahi.com/science/update/1214/TKY201012140527.html

クニマス絶滅してなかった! 生息確認、さかなクン一役

2010年12月15日3時1分


 環境省レッドリストで「絶滅」扱いになっている日本固有の魚クニマスが、山梨県内の湖で生き残っていたことが、京都大学の中坊徹次教授らのグループの調査で分かった。生息の確認は約70年ぶり。国のレッドリストで絶滅種に指定された魚が再発見されたのは初めて。環境省は今後、レッドリストの記述を見直す方針だ。

 クニマスはもともと、秋田県田沢湖にのみ生息する固有種で、成長すると全長30センチほどになる淡水魚。食用魚として漁業の対象にもなっていた。だが、1940年以降、発電などのための導水工事で田沢湖に酸性の水が入り、まもなく死滅。地球上から姿を消したと考えられていた。

 クニマスの生息が確認されたのは富士山に近い山梨県富士五湖の一つ、西湖(さいこ)。今年3月から4月にかけて西湖で地元漁協が捕獲した通称「クロマス」と呼ばれる魚9匹を中坊教授らが分析した。

 全体に黒っぽい体色だけでなく、エラの構造や消化器官の形などがいずれもクニマスと一致した。1〜3月に産卵するという生態も、過去に記録されていたクニマスの生態と同じだった。また、遺伝子解析の結果、西湖に生息するヒメマスと異なり、ヒメマスと交雑したものでないことが裏付けられた。近く、クニマスの生息確認を報告する論文が、学術専門誌に掲載される見通しだ。

 中坊教授が今年2月、研究者としての好奇心もあり、旧知でテレビなどで活躍する東京海洋大学客員准教授のさかなクンに、生き生きとしたクニマスの姿を絵で再現するよう頼んだのがきっかけだった。さかなクンが絵の参考にと近縁種のヒメマスを西湖から取り寄せると、黒一色の魚が届いた。

 田沢湖で絶滅する5年ほど前、放流用にクニマスの卵が10万粒、西湖に運ばれた記録がある。このとき放流されたものが繁殖を繰り返し、命をつないできたとみられる。(後略)


私は、「さかなクン」という人は知らなかったが、田沢湖におけるクニマス絶滅のいきさつは知っていた。1997年夏に田沢湖を訪れたことがあったからだ。上記リンク先のasahi.comの記事の末尾には、下記のように書かれている。

 クニマスの標本は世界に約20点しかない。幻の魚として話題を集め、90年代には当時の田沢湖町観光協会が最高500万円の懸賞金をかけて捜したが、見つからなかった。


1940年、戦時の総動員体制のもと、強酸性の水が流れ込んでいた玉川の水を、田沢湖の水で中和して農業用水を確保し、同時にダム湖にして電力供給するべく、田沢湖に「玉川毒水」が導入された。この蛮行によって、クニマスを初めとする多くの魚類が湖から姿を消したのである。

その後、強酸性の水の中和事業が進められ、魚が棲める水質になったと地元では宣伝していた。田沢湖観光協会によるクニマス探しの懸賞は、そのPRを兼ねていたはずだ。

この懸賞金は、1995年に最初にかけられた時には100万円だったが、1997年4月に500万円にパワーアップされた。その懸賞金のポスターを田沢湖を訪れた時に見た。だから、このニュースを知って最初に思ったことは、「さかなクンという人は、懸賞金を手にすることができるのだろうか」ということだった。しかし、懸賞金の期限は1998年いっぱいだったそうだ。

もう一つ。懸賞金が500万円に増額されて、改めて大々的にPRされた1997年4月に、諫早湾のギロチン(潮受け堤防閉め切り)が執行されたのだった(1997年4月14日)。だから、諫早湾常時開門とクニマス発見の2つのニュースは、私にとっては、ともに13年前を思い出させるものだった。

どちらも、やってはならなかった環境破壊。田沢湖にもはやクニマスは棲めないだろうし、諫早湾の開門は2012年度からとのことで、あまりに長い時間が過ぎ去ってしまった。