kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

佐野眞一『東電OL殺人事件』

今さらながら読んだ。


東電OL殺人事件 (新潮文庫)

東電OL殺人事件 (新潮文庫)


私は佐野眞一のノンフィクションをよく読むが、ハードカバーの新刊本を読むほどの熱心なファンではなく、主に文庫化された作品を読む。『カリスマ』や『巨怪伝』のように「佐野ワールド」に引き込まれた本もあれば、途中で退屈してしまって読むのが苦痛になった本もある。本書はその中間くらいに位置するものだった。


「東電OL殺人事件」は1997年に起き、私は当時横浜市に住んでいたから東電の電力を使っていたのだが、それにもかかわらずこの事件の報道の記憶はほとんどない。同じ年に起きた神戸の「酒鬼薔薇」事件の印象ばかりが強い。それは私が少年時代に阪神間に住んでいたせいだろう。そういえば、『カリスマ』を夢中で読んだ理由の一つも、神戸で絶大な勢力を誇っていたダイエー中内功を取り上げた評伝だったからだ。子供の頃、三宮近辺にダイエーの店舗が何軒もあることに感心していたものだった。2001年に『カリスマ』を読んだ頃には岡山県に住んでいたが、当時神戸に出て、三宮駅前のダイエーでビールを飲んでいた時、店員同士が「中内さんが死んだらダイエーも終わりだろうね」と会話を交わしていたのを聞いた記憶が鮮明に残っている。

本書が2003年に文庫化された時に読もうと思わなかったのは、被害者の東電OLのプライバシーを書き立てたとされたこの本が批判を浴びていた影響もあったかもしれない。で、なぜ読もうと思ったかというと、東電原発事故を機に文春文庫が増刷した『巨怪伝』をつい最近読んではまったことと、今年7月21日に事件が冤罪であったことを強く示唆する新事実が報道されたからだ。この報道をきっかけに本書が注目された。原発事故で正力松太郎の評伝が注目され、冤罪を示唆する新事実で本書が注目されるとは、今年は佐野眞一にとって「当たり年」といえるかもしれない。しかも両者は「原発*1を介して「東電」とのつながりもある。『巨怪伝』も読んだことだし、本書も読んでみるかと思った次第だ。

読んでみると、正力松太郎も、「大堕落」したと著者が表現する東電OLも、同じ感情過多の「佐野節」で描いているところが、いかにも佐野眞一らしいなと思った。この「佐野節」と私の波長が合ったのが『巨怪伝』であり『カリスマ』なのだが、本書では必ずしもそうはいかなかった。どんな人物、どんな事件を描いても佐野眞一は思い入れたっぷりの濃厚な物語に仕立て上げるのだが、題材となった事件が、被害者の「大堕落」が話題を集めた事件であるとともに、「冤罪疑惑」の濃厚な事件であることを思うと、佐野の筆致はそれにはややそぐわないのではないかとの違和感を持った。

ただ、本書の刊行当時、著者が被告(当時)の冤罪を信じるあまり事実誤認を犯していると指摘するむきがあったらしいけれども、この事件が「冤罪」であることは最近報道された新事実によってほぼ確実になったといえるだろう。著者は不法に長期滞在していた外国人労働者にかけられた嫌疑についての「冤罪説」を強く打ち出したことで「右翼」から批判され、被害者のプライバシーを暴き立てたことで「左翼」から批判されたそうだが、前者の批判はもちろん論外だし、後者の批判についてもそこまで叩かれるほどのものとは私には思えなかった。むしろ最近は、被害者側に肩入れし過ぎたあげくの強硬な「厳罰論」が「サハッ」の間でも支持された光市母子殺害事件の例もあり*2、その風潮に強い疑問を持つ私にとっては、本書による被害者のプライバシー暴露が問題とされるほどのものだとはあまり思われなかった。それよりも、本のタイトルから「東電」の2文字を外させようと、佐野にあの手この手の懐柔策を弄したという東電の体質の方がよほど問題だ。

新証拠発見の報道によって、絶版になっていた本書の続編『東電OL症候群(シンドローム)』も急遽増刷されて本屋に並んでいたので、本を読み終えた今日買い求めた。引き続き読む予定。

*1:正力松太郎は(日本における)「原子力の父」と呼ばれている。

*2:一般には「左派人気ブログ」とされる『きっこのブログ』と『世に倦む日日』が特に熱心に厳罰論を開陳していた。