kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

対テロの新聞社説

昨日、加藤紘一のテロに対して社説で取り上げたのは、主要紙では朝日新聞だけと書いたが、東京新聞中日新聞)も取り上げていた。失礼。
今日は、毎日新聞日本経済新聞も社説で取り上げていた。読売と産経は今のところ取り上げていない(まあ、産経は予想通りだけど)。
中でもっとも踏み込んだ内容だったのが毎日新聞の社説だ。朝日、東京に一日遅れたのはいただけないが、その分内容では先行の二紙を凌いでいる。
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060818k0000m070132000c.html

以下引用する。

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社説:加藤議員宅放火 言論封じる風潮を憂う

山形県鶴岡市加藤紘一衆院議員の実家が、火災で全焼した。右翼団体構成員の男が現場で割腹自殺を図っており、県警は男による放火との見方を強めている。負傷しているため男からは事情が聴けず、犯行声明文も見つからないため、動機や背後関係などは不明だ。

現時点で確かなのは、事件のせいで、政財界を中心に靖国問題についての発言を控える風潮が一段と強まったことだ。小泉純一郎首相が靖国神社に参拝した当日に、参拝に反対する加藤議員が狙われたので、批判封じのテロと受け止められたからだ。加藤議員の事務所にはカッターの刃が送りつけられたこともあるだけに、不安や不気味さも募っているようだ。

仮に右翼テロならば、もちろん民主主義への卑劣な挑戦として断じて許すわけにいかない。浅沼稲次郎社会党委員長の刺殺事件などを引き合いに出すまでもなく、対立する意見を力ずくでねじ伏せる行為は、言語道断である。

憂うべきは、言論への批判を恐れる人々が、萎縮(いしゅく)して沈黙する現状ではないだろうか。苛烈(かれつ)で容赦のないバッシングが目立つ折、過敏なまでに警戒心を強めているのだろう。孤立するのを避けようと少数派と自覚した人が発言を控えるため、結果的に多数派がことさら幅を利かせる「沈黙のらせん」と呼ばれる現象が進んでいるのかもしれない。いつの間にか言論の自由が狭められており、戦前に逆戻りしかねないようにさえ映る。

この間、加藤議員の発言が際立ったのも、他の参拝批判派の国会議員らが口をつぐんでいたのが一因だ。事件後、右翼陣営から「文化人らが過激な言辞を競い合うため、右翼は体を張るしかないと思い詰めている」といった声が出たことも、尋常ならざるムードの広がりを感じさせる。過失事故の責任者らに一方的な批判を浴びせたり、凶悪犯への厳刑をヒステリックに求める論調と通底するものがあるのかもしれない。一部メディアの報道姿勢や、匿名の無責任な意見をも拡散させるインターネットの影響も見逃せない。

首相参拝の評価についての本社世論調査でも明らかなように、靖国問題は国を二分する重大テーマだ。本来、国論をまとめるべき立場の小泉首相が、テレビカメラに向かって反対勢力の存在を強調し、敵味方に分けて発言したことも危惧(きぐ)せざるを得ない。国会で繰り返し説明すべきを怠り、このまま退陣するのでは言いっぱなしとなる。国のリーダーの言葉の重みが、視聴者に与える影響も考慮してほしかった。

振り返れば、政治家のスキャンダルを暴かれたくないと政府が先導し、個人情報保護法などを通じてメディア規制を画策しだしてから、言論を取り巻く環境が危うくなっている。改めて指摘するまでもなく、少数意見を尊重し、どこまでも話し合いで解決を目指すのが民主主義の要諦(ようてい)だ。原点に立ち返り、自由な言論を封じるかのような風潮は、暴力と同様に、一掃しなければならない。

毎日新聞 2006年8月18日 0時06分