kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

高橋哲哉「靖国問題」を読み始める

このところ、余暇に仕事にと交通機関を使う機会が多く、移動中半分くらいは寝ているのだが、残り半分で食事をしたり本を読んだりしている。
美爾依さんの「カナダde日本語」で推薦された高橋哲哉氏の「靖国問題」(ちくま新書、2005年)だが、立花隆氏が企画した「8月15日と南原繁を語る会」で、高橋氏が講師として講演されたという。その講演において、戦争中の靖国神社を記録した映像が用いられ、そこでは、戦意高揚のために、兵士たちが、熱気あふれるパフォーマンスを繰り広げていたそうだ。
これを見て、あの立花隆氏でさえ、「我々戦後の靖国しか知らない人間は、あの神社がそもそもどのような神社であったかを何も知らなかったのだと思い知らされた」と書かれている(立花隆の「メディア ソシア-ポリティクス」第83回)。弊ブログにも、8月17日付の記事に、「映像の力」さんからコメントをいただいた。
いずれ読もうとは思っていた本だったが、これは至急読み始めなければならないと思い立ち、日曜日(20日)に買って、今日から読み始めた。第1章の「感情の問題−追悼と顕彰のあいだ」からして、目を見張らせる論考であって、これまで接してきた靖国神社論とは一線を画するものだ。いや、最近は「右」の側からも、靖国神社は「戦争」の神社なのだ、と開き直って、その位置づけから靖国神社の存在意義を肯定する論考が見られるのだが、そこには、高橋氏の著書の影響があるのかもしれない。
まだ第2章の途中までしか読んでいないが、これを読んでみると、弊ブログの17日の記事「靖国批判の三本の柱」など、陳腐もいいところだとわかる(苦笑)。読み終えたら、また記事にしてみたい(FC2の本家に載せるかこっちにするかはわからないが)。