kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

有馬哲夫『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』を読む

もしドラ』を読んだ前々日から前日にかけて下記の本を読んだ。


児玉誉士夫 巨魁の昭和史 (文春新書)

児玉誉士夫 巨魁の昭和史 (文春新書)


この本については、著者の有馬哲夫氏による自著紹介がとてもよく腑に落ちるので、以下全文を引用する。


http://hon.bunshun.jp/articles/-/1424

 NHKのテレビ番組『その時歴史が動いた』によれば、白洲次郎は「マッカーサーを叱った男」だという。最近の『負けて、勝つ――戦後を創った男・吉田茂』では、吉田茂は「マッカーサーと対等に渡りあった男」だそうだ。

 筆者はこの10数年間、アメリカの公文書館や大統領図書館に通いつめて占領軍文書など第1次資料を読んできたが、そこから浮かびあがる彼らの姿は、NHKの番組が作り上げたものとは全く異なっている。

 白洲は興味深い人物ではあるが、基本的にメッセンジャーボーイだった。吉田は日本人に対してはワンマンぶりを発揮するが、政権を永らえさせるために、チャールズ・ウィロビー(マッカーサーですらない)にひたすら媚を売っていた。

 占領軍やアメリカに逆らったヒーローがどうしても欲しいというなら、なぜ児玉誉士夫を取り上げないのだろうか。NHK的にいうなら、彼は「占領軍を手玉にとった男」であり「CIAと渡りあった男」だった。

 拙著『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』で筆者がしたかったことは、そういった彼の姿を浮かびあがらせることだ。ただし、脚色や潤色を交えて歴史を歪めるのではなく、公開資料に基づき、検証を重ね、できるだけ主観を交えずにわかっていることのありのままを示そうと努めた。歴史的事実は、作り話よりも複雑だが、はるかに劇的で面白い。

 もう1つしたかったのは、児玉を日本の政治史の中に正当に位置づけることだ。アメリカ側に残る膨大な第1次資料は、それができるというより、そうすべきだということを示している。

 戦後の日本で、政治上の大きな出来事が起こると、CIAがそれについての報告書や記録を作成するのだが、そこに彼の名前が頻繁に登場してくる。

 児玉は、筆者いうところの「政治プロデューサー」だったからだ。つまり、政治家や政党に資金や便宜を与え、さまざまな人物や組織と結びつけることで、日本の政治を一定の方向に動かそうとする人間のことだ。フィクサーと違うのは、総合的で長期的視野を持っていることだ。

 児玉と同じカテゴリーに入る人間としては、総理大臣を辞めたあとの岸信介が挙げられる。組織としては、アメリカのCIAおよび国務省がそれにあたる。だから児玉や岸はCIAや国務省と関わることになったのだ。

 児玉は、岸などとともに「CIAのエージェントだった」とよくいわれる。彼らが「CIAの工作に協力して日本を売った」という意味なら、これは歴史的事実に反している。

 本当のところは、児玉とCIAは、目的が同じ場合は、相手を利用しあったということだ。だが、彼らは互いに自分たちの最終目的が相手とは違っていることを意識していた。

 児玉とCIAは、日本を共産主義に対する防波堤にする、再軍備させ、軍備を強化する、というところまでは共通点が多かった。だが、児玉の最終目的が日本を独立国とし、アジアの盟主として復活させることだったのに対し、アメリカの目的は、日本を自らに従属させ、対抗勢力にならないようにすることだった。

 戦後史上最大のスキャンダルであるロッキード事件の背景にあったものは、このような日本の戦後政治をめぐる日本側の「政治プロデューサー」とアメリカ側のそれの間の暗闘だった。だが、巷間いわれてきたこととは違って、この事件はCIAが仕組んだものではなく、ましてやCIAが直接手を下したものでもなかった。歴史的事実は、いつも見かけより複雑で、意外性に満ちている。

 歴史を知る意味は、現在をよく知ることにある。現在をよく知らないものに、未来は見えてこない。

 日本が現在置かれている現実をよりよく知るために拙著が役に立てば幸いだ。


私はこの本を読みながらずっと思い浮かべていたのは、あの孫崎享トンデモ本『戦後史の正体』だった。反米の自主独立を「正義」、対米追従(隷属)を「悪」と明快に二分する「孫崎史観」に基づけば、児玉誉士夫こそ、岸信介をはるかに上回る、「マガジン9条」の愛読者や「小沢信者」たちを含む一部リベラル・左派諸賢にとって最大級の英雄であってしかるべきだ。本書を読んでいる間中、ずっとそう思っていた。

本書によると、児玉誉士夫岸信介のファンであり、岸に一目置いていたものの、児玉が実際に担いだのは鳩山一郎であり、河野一郎だった。なぜなら児玉は岸をコントロールできなかったからだ。児玉はCIAを資金源としていたが、岸にもまた資金源があり、それは児玉と同じくCIAだった。

だからといって児玉や岸を「CIAのエージェント」として「対米隷従派」とみなして「反米・自主独立」の観点から批判するのは著者も指摘する通り間違っている。別に何も孫崎享が言い出したわけでも何でもなく、日本の右翼の思想信条は伝統的に「自主独立」だったのである。それは「自主憲法制定」が自民党の党是であることからも明らかだ*1

ただ、児玉誉士夫もCIAを手玉に取るつもりが、最後には相手の掌中に落ちてしまったことも、著者は指摘している。

ところで、ロッキード事件について著者が孫崎享田原総一朗が主張するような「アメリカの陰謀」論に立たないことは引用文に書かれている通りだが、それは何も捜査が公正中立であったことを意味しない。時の総理大臣・三木武夫による政敵・田中角栄追い落としの意向が捜査に反映されたことは明らかだし、中曽根康弘アメリカに事件を "momikesu" ことを要求し、現に自らの嫌疑を逃れた。これに関して、単に児玉誉士夫の口が堅かったことのみに原因を求めるのは、あまりにもナイーブな見方であろう。著書は中曽根が嫌疑を逃れたことを、よく言われる「国策捜査」(権力が意図的に特定の人物を罪に問おうとすること)と対比すべき「逆国策捜査」(権力が意図的に特定の人物を罪に問うまいとすること)という言葉を用いて表現している。中曽根が三木武夫と組んで自民党主流派にいて、法務大臣は中曽根派の稲葉修だったことなどは誰でも知っているが、衆議院予算委員会委員長として証人喚問を取り仕切った荒船清十郎が「コーチャン証言はデタラメだった」と放言していたことは本書を読んで初めて知った。当時荒船は竹下景子を「息子の嫁にしたい」と言ったりして大衆ウケを狙うことで知られた政治屋だった。

私は昔から中曽根康弘が大嫌いなので、「逆国策捜査」のくだりではその嫌悪感が思いっきり刺戟されてしまった。しかし、中曽根の目の黒いうちにロッキード事件の全容が明らかにされる可能性は残念ながら全くない。

なお、上記の自著紹介の文章からも明らかなように、著者は基本的には「自主独立」を指向する「保守」の立場に立つと推測されるが、著者と同じような立場に立っているはずなのに立論がめちゃくちゃな孫崎享の『戦後史の正体』に感じ入ってしまったとおぼしき「小沢信者」系の「リベラル・左派」諸賢には是非とも一読をおすすめしたい。

*1:この点で、孫崎享に「岸信介は実は『自主独立派』だった」と言われて、「目からうろこが落ちた」などと感激している小沢信者系「リベラル・左派」諸賢たちの底知れない優秀さには恐れ入るばかりだ。