kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

産経新聞総帥・鹿内信隆が語っていた日本軍の慰安所作り

面白い記事が話題になっている(笑)。

「女の耐久度」チェックも! 産経新聞の総帥が語っていた軍の慰安所作り|LITERA/リテラ

「女の耐久度」チェックも! 産経新聞の総帥が語っていた軍の慰安所作り
2014.09.07


 朝日新聞慰安婦報道の失態で勢いづいている右派・保守陣営だが、中でも、一番大はしゃぎしているのが産経新聞だろう。産経は慰安婦が政治問題化した1990年初頭から、慰安婦の強制連行はなかったと否定し、河野談話村山談話を批判、慰安婦を記述した教科書を糾弾するキャンペーンを展開してきた。

 さらに同紙の社説にあたる「主張」や月刊オピニオン誌「正論」では、強制連行の否定だけでなく、慰安婦は「民間業者が行っていた商行為」で、「自ら志願した娼婦」。日本軍は従軍慰安婦に「性病予防対策などで関与していた」だけ、「公衆衛生面で関与していた」にすぎないという主張を繰り広げてきた。

 そして今回、朝日が「吉田証言」の間違いを認めた事で、こうした自分たちの主張がすべて正しかったと勝ちどきをあげているのだ。

 97年に結論が出ていた「吉田証言」の虚偽を朝日が今になって認めたというだけで、どうしてそういう結論になるのかさっぱりわからないが、とにかく産経は自信満々で、日本軍に慰安婦の責任はまったくないかのような論調を繰り広げている。

 だが、彼らは自分たちの会社で中興の祖とあおがれている人物が、その「軍は公衆衛生面で関与していただけ」という主張をくつがえすような衝撃的発言をしていたことを知っているのだろうか。

 その人物とは元産経新聞社長で、フジサンケイグループ会議議長だった故・鹿内信隆鹿内は日経連専務理事からニッポン放送、フジテレビを開局して社長を歴任した後、産経新聞の経営権を握り社長に就任。現在、フジサンケイグループの原形を築き上げた人物だ。その権力と政治力は絶大なものがあり、1990年になくなるまで、事実上のオーナーとして同グループを独裁支配。経営方針だけでなく、現在の同グループのタカ派的な姿勢もすべて鹿内がつくりあげたものだ。

「鹿内さんは産経新聞社長に就任時するや同紙を反共タカ派の拠点にする方針を掲げ、自分にさからうリベラルなスタンスの社員のクビを片っ端から切っていった。800人に及ぶそのリストラの凄まじさは当時、マスコミ界でも“産経残酷物語”といわれたほどです。こういうことがあって、産経は今のゴリゴリの右派一色に染まった訳です。この鹿内さんのDNAはもちろん、現在の経営陣、編集幹部にも引き継がれています」(産経新聞OB)

 その鹿内は戦中、陸軍経理部に招集されていたのだが、産経新聞社長就任後に桜田武・元日経連会長との対談集『いま明かす戦後秘史』(サンケイ出版/絶版)を出版。陸軍時代の思い出話をこんなふうに語っている。

「鹿内 (前略)軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地に行きますとピー屋が……。
 桜田  そう、慰安所の開設。
 鹿内  そうなんです。そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要綱」というんで、これも経理学校で教わった」


 鹿内は召集後、1939年4月から9月にかけて陸軍経理学校で軍の後方支援のノウハウを学んでいたのだが、そのときに、慰安所の作り方も叩き込まれたというのだ。しかも、その内容は今、右派メディアがしきりに喧伝している「公衆衛生の管理だけ」というようなレベルではない。鹿内の発言に「調弁する女」という表現が出てくるが、「調弁」というのは軍隊用語で兵馬の糧食などを現地で調達するという意味。つまり、これは陸軍が慰安婦の調達に関与していたということではないのか。

 さらに衝撃的なのが「女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか(中略)といったことまで決めなければならない」という発言だ。当時の日本軍が現地の女性を完全にモノ扱いし、どんな女がいいのかを品定めする作業までをも士官に命じていたことを証明するものだ。

 断っておくが、この鹿内発言は老人の妄想でも記憶違いでもない。靖国神社の一角に靖国偕行文庫という図書館があるのだが、そこにこの鹿内発言を裏付ける一冊の本が所蔵されている。

 300ページ以上はあろうかという分厚いその本のタイトルは『初級作戦給養百題』。昭和16年に陸軍主計団記事発行部が発行した、いわば経理将校のための教科書だ。
 
 表紙はハードカバーで、「日本将校ノ外閲覧ヲ禁ス」という文字。その9ページ目、第一章総説に、師団規模の部隊が作戦する際に経理将校が担当する15項目の「作戦給養業務」が解説されているのだが、その最後の項目「其他」の解説に以下の任務が列挙されていたのだ。

  1. 酒保ノ開設
  2. 慰安所ノ設置、慰問団ノ招致、演藝會ノ開催
  3. 恤兵品ノ補給及分配
  4. 商人ノ監視

 ようするに、陸軍の経理将校向け教科書に任務として「慰安所ノ設置」が掲載されていたのである。軍が関与したのは衛生面の管理だけという保守派の主張が、明らかな嘘だということがよくわかるだろう。

 もちろん、こうした事実を産経新聞をはじめとする右派、保守派が知らなかったわけはない。少し前に中曽根康弘元首相が「土人女を集め慰安所開設」していたという戦時記録を紹介したが、今回は自分たちが中興の祖とあおいでいる人物が自社の単行本で軍の組織的な関与を認めていたのだ。

 しかも、中曽根元首相の証言でも明らかになったように、軍は現地で娼婦でない女性たちも徴収している。これでほんとうに、従軍慰安婦のことを「自ら志願した高級娼婦」などと信じているとしたら、どこかおかしいとしか思えない。

 ようするに、保守系メディアはこうした事実を知っていながらそれをネグり、あらかじめ強制連行の定義を「軍が銃剣を慰安婦に直接突きつけて連行した」という非常に狭いものに限定し、それを否定することで、巧妙に情報を誘導してきたのである。朝日が歴史を捏造したというなら、産経をはじめとする保守メディアもまったく同罪なのだ。

 しかも、中曽根首相、今回の鹿内信隆フジサンケイグループ元議長の発言でもうひとつはっきりしたことがある。それは、彼らが従軍慰安婦に対していささかも自責の念を抱いていない事だ。それどころか、まるで笑い話のように、「慰安所をつくってやった」「女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとかまで決めなきゃならない」と語っている。

 狂気のるつぼだった戦中ならともかく、戦後20年以上たってもこんな発言を嬉々としてできるというのは、そのベースに「女性はセックスのための使い捨ての道具」という差別意識が横たわっているという事に他ならない。そして、このメンタリティは、従軍慰安婦像に紙袋をかぶせるような性差別ギャグを嬉々としてほめたたえる今の右派メディアや嫌韓本、百田尚樹などの右派言論人にもしっかりと引き継がれている。
 
 彼らの姿が今の日本人を代表するものだと思われているとしたら、それこそが「日本の恥」ではないか。
(エンジョウトオル)

鹿内信隆とは懐かしい名前。過去に、この男の倅・鹿内春雄について記事を書いたことがある。

内容は、佐野眞一が1988年に書いた「父子テレビの野望・鹿内春雄の殉職」の紹介。この鹿内信隆というのも、倅の鹿内春雄ともども相当な悪の「大物」だった。以下、上記当日記の過去ログから再掲する。

 なにしろ鹿内春雄産経新聞の社員の47%にも当たる700人を大量解雇した非常識な労務政策をとった人間だ。そんな人間を私がかけらほども評価するはずはない。しかもこの男は巨利を貪りながら節税に励み、2005年に逮捕された堤義明から「節税」の手口を学ぼうとした。このあたりについては長くなるので紹介は割愛するが、興味をお持ちの方は佐野眞一の著書を直接参照されたい。

 鹿内春雄の死後、父・鹿内信隆は間髪を容れずにフジサンケイグループの「議長」に復帰し、娘婿の鹿内宏明を議長代行に指名して後継者と定めた。しかし1990年の鹿内信隆死去を受けた鹿内宏明の体制は1992年の「産経クーデター」によって瓦解し、「鹿内王朝」は終焉を迎えたのだった。

 鹿内信隆・英子夫妻は、鹿内春雄の夭折は頼近美津子の責任だ、と思い込んだらしい。ネット検索をかけると、英子が西洋医学を嫌い、祈祷や漢方だけで春雄の病気(B型肝炎)を直そうとしたのが春雄の夭折の原因だという説が流れているが、真偽のほどは定かでない。だが、少なくとも頼近美津子より鹿内英子の方が春雄の夭折に大きく寄与したことだけは間違いないだろう。

 鹿内春雄という男がここまで悪行を重ねていたことを私は知らなかったが、鹿内信隆の「正論」(極右)路線と鹿内春雄の「軽チャー」路線の両方を嫌っていた私は、鹿内春雄が死んだ時にも同情はしなかった。日常的にブログを書いている現在だったら、中川昭一死去の報を受けて、その死に弔意を表さないばかりか中川を批判した時に非難を浴びたと同じように、鹿内春雄を批判する文章を書いて一部の読者から強く非難されたに違いない。

 鹿内春雄の死去から1か月も経たないうちに『文藝春秋』に発表された佐野眞一の文章に、「弔意」のかけらもないことを見出して、大いに意を強くした次第である。

その「極右言論人」だった鹿内信隆が、堂々と「自社の単行本で」、「『慰安所ノ設置』」への「軍の組織的な関与を認めていた」のである。

これぞ、本物の "THE FACTS" であろう。