kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

曽野綾子の「アパルトヘイト肯定コラム」問題と安倍晋三

曽野綾子産経新聞コラム「アパルトヘイト肯定」問題については何も書いてこなかったが、これは私がこの女を「言及するするのも汚らわしい」ほど激しく嫌っているからである。だから、過去に引用文以外で曽野についてこの日記で取り上げたことは下記の一度しかない*1

上坂冬子死去 - kojitakenの日記(2009年4月18日)

 今朝の新聞に、上坂冬子の訃報が出ていた。

 右翼文化人だったが、3年前に『文藝春秋』で靖国問題加藤紘一と討論して、ぐうの音も出ないほど一方的に論破されたことや(あれを記事にした文春も、右派メディアらしからぬことをするなあと感心した)、昨年の福田康夫辞任後の自民党総裁選騒ぎが起きる前に『Voice』で三宅久之と対談し、三宅が自民党の人気回復策として総裁選で騒ぐことを持ち出した時に、「そんな低俗な方法しか残ってないんですか」と反応したことが思い出される(本当に福田康夫が辞意を表明して自民党が総裁選騒ぎを始めた時に雑誌が発売されて、政治評論家が言っていた三文芝居を本当にやらかした自民党には呆れ返ったものだ)。本人は大真面目なのだけれども、小説はともかくとして彼女の政治批評は底が浅かっただけに、どこか憎めない「愛すべきキャラ」の側面もあった。可愛げの全くない、冷酷非情な曽野綾子とは大違いだった。合掌。


赤字ボールドの部分に、曽野に対する嫌悪感を表している。上坂冬子にはいくぶんかの許せるところはあったけれども、曽野綾子に対しては、はるかな昔からずっと、全的な拒絶の感情しか持っていないのである。

だから、曽野の「アパルトヘイト肯定」のコラムも、曽野なら書きそうなことだし、産経なら平然とそれを載せてもなんの不思議もないし、それは汚らわしいことではあるけれども、あんなやつに言及する記事を書いておいた方が良いかと思う瞬間があっても、すぐに気力が減退して書く機を失い、今に至るのだった。

25年目の出来事(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again(2015年2月18日)より

英語での報道はJapan Timesが最初か;

Eric Johnston and Tomohiro Osaki “Author Sono calls for racial segregation in op-ed piece” http://www.japantimes.co.jp/news/2015/02/12/national/author-sono-calls-racial-segregation-op-ed-piece/

さらに、Daily Beast

Jake Adelstein and Nathalie-Kyoko Stucky “The Newspaper Columnist Who Wants to Bring Apartheid to Japan” http://www.thedailybeast.com/articles/2015/02/12/an-advisor-to-pm-abe-praises-apartheid-says-it-might-help-japan.html

この記事は労作。『ジャパン・タイムズ』もそうだだけれど、曽野綾子が「教育再生会議」の元メンバー、安倍晋三にとっては顧問的な立場だったことに最初の方で言及している。つまり、ただの女性作家の筆禍ではないということ。稲田(ネオナチ)・山谷(在特会)問題も言及されており、安倍晋三取り巻きの右翼分子の言論問題として捉えられいることがわかる。 さらに、産経新聞社会長だった鹿内信隆が自ら日本軍の「慰安所」設営に陸軍主計将校として関与し、「サンケイ出版」から上梓された本の中でそのことを語っているのに、産経新聞がそれについてはシカトしつづけていること、また昨年リチャード・コシミズ本のとばっちりで「サイモン・ウィーゼンタール・センター」の抗議を受けたことも言及されている。

駐日南アフリカ大使の抗議。『朝日』の記事;

曽野氏コラムは「人種隔離容認」 南ア大使が産経に抗議

斉藤佑介 2015年2月14日23時00分

 産経新聞社は14日、同紙の11日付朝刊に掲載された作家、曽野綾子氏のコラムについて、南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使らから抗議を受けたことを明らかにした。アパルトヘイト(人種隔離)政策を容認する内容だとして、インターネット上で批判を浴び、海外メディアも報じていた。

 コラムは「労働力不足と移民」と題して、介護分野での外国人労働者の受け入れの必要性を指摘。「居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい」と書き、人種差別の廃止後の南アで、生活習慣の違いから白人と黒人が分かれて住んだ例を紹介した。

 産経新聞社広報部によると、大使からの抗議文は「アパルトヘイトを許容し、美化した。行き過ぎた、恥ずべき提案」との内容だった。NPO法人「アフリカ日本協議会」(東京)も産経新聞社と曽野氏に抗議したという。

 コラムをめぐっては、掲載後からツイッターで「アパルトヘイト擁護だ」などと問題視する声が広がり、ロイター通信など海外メディアが「首相の元アドバイザーがアパルトヘイトを称賛」といった見出しで報じた。

 産経新聞は「当該記事は曽野綾子氏の常設コラムで、曽野氏ご本人の意見として掲載しました。コラムについてさまざまなご意見があるのは当然のことと考えております。産経新聞は、一貫してアパルトヘイトはもとより、人種差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」との小林毅・東京編集局長のコメントを出した。(斉藤佑介)

http://www.asahi.com/articles/ASH2G73BVH2GUTIL01C.html


また、

木村正人「「日本を貶める」のは誰なのか 広報予算700億円ではとても足りない安倍シンパの尻拭い」http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20150215-00043059/

木村氏は元産経新聞倫敦支局長だ。


引用文の最後にリンクされている木村正人氏の記事は非常に面白い。

「日本を貶める」のは誰なのか 広報予算700億円ではとても足りない安倍シンパの尻拭い(木村正人) - 個人 - Yahoo!ニュース

「日本を貶める」のは誰なのか 広報予算700億円ではとても足りない安倍シンパの尻拭い
木村正人 | 在英国際ジャーナリスト
2015年2月15日 20時10分

人道上、許されない主張

ベストセラー作家、曽野綾子氏が、「(日本は)労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている」「(しかし)居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい」と産経新聞のコラム「透明な歳月の光」で主張し、世界中で炎上している。

これは人道上、絶対に認めてはいけない主張である。

ネルソン・マンデラ氏が釈放されてちょうど25年という記念すべき日に、しかも南アフリカを例に引き、アパルトヘイト(人種隔離)政策の根幹をなしていた人種ごとの居住区隔離を提唱するとは、差別と闘ってきた人類の歩みを真っ向から否定するものだ。

南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使は産経新聞に対し、「アパルトヘイト政策は人道に対する犯罪。21世紀において正当化されるべきではなく、世界中のどの国でも、肌の色やほかの分類基準によって他者を差別してはならない」という抗議文を送付した。

NPO法人「アフリカ日本協議会」も産経新聞と曽野氏に対し、「国際社会から『人道に対する罪』と強く非難されてきたアパルトヘイトを擁護し、さらにそれを日本でも導入せよとの曽野氏の主張は言語道断であり、強く抗議する。このような考え方は国際社会の一員としても恥ずべきものだ」と厳しく抗議している。

同法人は「アパルトヘイトは、特権を持つ一部集団が、権利を剥奪された他の集団を必要な分だけ労働力として利用しつつ、居住区は別に指定して自分たちの生活空間から排除するという労働力管理システム」と、曽野氏の驚愕すべき主張を排斥している。

これに対して、曽野氏は「私は文章の中でアパルトヘイト政策を日本で行うよう提唱してなどいません。生活習慣の違う人間が一緒に住むことは難しい、という個人の経験を書いているだけです」と反論。

小林毅産経新聞東京編集局長は「コラムについてさまざまなご意見があるのは当然のことと考えている。産経新聞は、一貫してアパルトヘイトはもとより、人種差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えだ」とコメントしている。

「社会の木鐸(ぼくたく)」とは、世人を覚醒させ、教え導く人をいう。新聞は「社会の木鐸」であるべきで、そうでないなら新聞社の看板は今すぐ下ろすべきだ。新聞にこういうコラムが乗ること自体、日本の末期的な言論状況を露わにしている。

止まらない安倍シンパの問題発言

海外メディアがこの問題を一斉に取り上げたのは、当の曽野氏が2013年10月末まで、首相の私的諮問機関「教育再生実行会議」のメンバーだったからである。同会議は、21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築し、教育の再生を実行に移していくため、教育改革を推進するのが目的だ。

昨年、曽野氏は産経新聞紙上で安倍昭恵首相夫人と新春対談を行っている。

安倍晋三首相と対談本『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』を出したベストセラー作家、百田尚樹氏はNHK経営委員に登用され、問題発言を繰り返した。

東京裁判はそれ(東京大空襲や原爆投下による大虐殺)をごまかすための裁判だった」「(南京大虐殺について)蒋介石がやたらと宣伝したが、世界の国は無視した。なぜか。そんなことはなかったからだ」

その百田氏は任期満了の今年2月末に退任する。

NHK籾井勝人会長も就任会見で、旧日本軍の慰安婦問題について「どこの国にもあった」「なぜオランダには今も飾り窓があるのか」と問題発言を連発した。安倍首相の登用されたとされる安倍シンパがこれだけ世界中のメディアを騒がせる理由は何か。

タカ派民族主義

英紙タイムズ「日本の首相側近が外国人労働者を隔離するよう要求」

英紙インディペンデント「日本の首相が外国人労働者に対するアパルトヘイト政策を促される」

米紙ウォール・ストリート・ジャーナル「作家が移民と隔離に関する発言で騒動を起こす」

ロイター通信「日本の首相の元アドバイザーがアパルトヘイトを称賛し、安倍首相を困惑させる」

安倍シンパが日本や海外のメディアに揚げ足を取られているというより、自ら進んで自殺点を重ねている格好だ。こうした人たちの考え方が決定的に間違っているのが問題なのだ。

産経新聞はずっとタカ派だった。レーガン米大統領サッチャー英首相、中曽根康弘首相と同じように自由主義を信奉するタカ派だった。林健太郎も田中美知太郎もタカ派自由主義者だった。

しかし、ベルリンの壁が崩壊し、日本ではいつしか民族に固有の生命力を求めるタカ派民族主義者が増え始めた。経済が停滞すると、民族の血に魔力を求め、地政学を呪術のように唱える人が増えてくる。

同じタカ派でも自由主義者民族主義者では天と地ほどの開きがある。安倍首相に登用されている人たちは2つのタイプに分かれる。安倍首相と「国家観」を共有できる人と、信念もなく出世のために安倍首相に唯々諾々と従う人たちだ。

こうした人たちが首相官邸内と同じ調子で世界に向けてモノを言い出すと、とんでもない波紋を引き起こすのは避けられない。ロンドンでもその徴候はすでに現れている。

教育再生実行会議の掲げる「日本にふさわしい」とは一体、何を指すのか。安倍首相の広報外交戦略の柱をなす「正しい日本の姿」とは、どんな日本の姿なのか。安倍首相の著書『美しい国へ』は何を目指しているのか。

安倍政権から発せられる「ふさわしい」「正しい」「美しい」という形容詞は、あまりに情緒的だ。地域、家族が崩壊し、非正規雇用の人たちが増え、日本人は「会社」という帰属するものを失った。こうした時代には「日本人」という民族の文脈が特別な響きを持つ。

どこに行く日本

安倍政権になって日銀が財政を支える構造がさらにあからさまになっている。日本国民の財産を毀損する形で「増刷」されたマネーが戦略的広報予算としてマスコミにばらまかれ、言論空間が歪められていく。

そもそも戦略的に広報外交を展開しなくても、日本と日本人の評判は海外ではすこぶる良い。しかし、その日本の評判を著しく貶めているのは他ならぬ、安倍首相に極めて近い国家観の持ち主たちなのだ。

広報予算を500億円も増額して、どんな「正しい日本の姿」を発信していこうというのだ。日本はどこに向かっているのか。すべてはタカ派の安倍首相が自由主義者か、それとも民族主義者なのかにかかっている。

(おわり)


同じ記事の末尾に、木村正人氏の著者紹介がついている。

木村正人
在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002〜03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。


これを見る限り、改憲派親米保守らしい。もちろん私の立場とは相容れない。また、中曽根康弘こそ民族主義者ではなかったか、等々、記事に疑問を感じる点も少なからずある。

ただ、上記のコラムを読んで、ずっと昔に読んだ、やはり元産経のジャーナリストによる産経批判を思い出した。そのジャーナリストの名前も名前も忘れていたが、朝日新聞を批判した著書の書名はなんとなく覚えていたので、そのかすかな記憶を頼りにネット検索をかけたら、なんと私自身が昔書いた「きまぐれな日々」の記事が引っかかった*2

きまぐれな日々 石原慎太郎批判(その2) - 石原は「夜郎自大」の代名詞(2007年2月17日)より

 俵孝太郎という老ジャーナリストがいる。産経新聞出身の保守派の硬骨漢で、フジテレビのニュース番組のキャスターを長年務めたことでも知られているが、かつて私は、俵さんのタカ派的言論が大嫌いだった。

 少々古い話だが、その俵さんが、右派論壇雑誌である「諸君!」の2003年3月号に、石原慎太郎を痛烈に批判する文章を載せたことがある。これを以下に紹介する。

夜郎自大はもっと有害(俵孝太郎

 朝日新聞の新年社説と産経新聞石原慎太郎寄稿のどちらに共感するかと問われれば、朝日に軍配を揚げます。石原氏の弁は大衆の気分に迎合した政治的アジテーションです。

…安っぽいインターナショナリズムも空想的平和主義も有害ですが、短絡的なナショナリズム夜郎自大はもっと有害です。現状はバブルの対象が土地と株からあらぬ方角に移っただけの話です。バブルとも「不況」騒ぎとも無縁な小生は、今も昔も、小国日本のモットーはビー・イット・エバー・ソー・ハンブルだと思っています。質素に、と訳すより、分相応に、と意訳する方が適切でしょう。

 ときに小生は黄金期の産経で働いていたOBですが、いまの品のない偏向紙面と無能な経営ぶりはとっくに見放しています。念のため。

(「諸君!」 2003年3月号「日本ナショナリズムの血圧を測る」より)


 私はこれを読んで、俵孝太郎というジャーナリストを見直す気になった。(以下略)


木村正人氏の曽野綾子・産経批判と、2003年の俵孝太郎氏の石原慎太郎・産経批判には通底するものがあると思う。それは、かつての親米保守による国家主義批判だ。石原慎太郎は「自分が一番偉い」という自己愛の塊のような人間であって、民族主義者ですらないが、民族主義を煽動する人間ではある。日本語で言うと、国家主義国粋主義民族主義国民主義など、微妙な意味の違いが生じてしまうので、ナショナリズムという言葉を用いる方が適切かもしれない。

石原慎太郎曽野綾子が「自己愛人間」であるのに対し、安倍晋三は「(母方の)祖父愛人間」といえるかもしれない。そういう微妙な違いはあるけれども、3人に共通しているのは、ナショナリズムに便乗してそれを煽り立てる人間だということだ。「ネトウヨの劣情に媚びる」人たちとでも言うか。

だから、曽野綾子の「アパルトヘイト肯定コラム」問題は、安倍晋三自身(の政治的体質)にかかわる問題でもあるのだ。

*1:「きまぐれな日々」では三度言及しているが、いずれも右翼(極右)人士として軽く切り捨てる言及の仕方だった。

*2:FC2で今も細々と続けている「きまぐれな日々」(年々アクセス数も減っているが)は、2011年4月頃、つまり東日本大震災と東電原発事故の1か月後くらいにひどいサーバートラブルを起こした。それがきっかけで、FC2よりもこちらに重心を移したのだが、引用した記事もタイトルが一部文字化けしたままだったり、現在は記事の末尾に入れていないFC2アクセスランキングへの誘導リンクがあったり、当時かぶれていた「きっこ」風の表記があったので、それらを修正する(私も「歴史修正主義者」の仲間なのかもしれない)という余計な手間がかかった。