kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「『水からの伝言』騒動」評論の決定版(笑)

http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=9027

これは実によくワサビのきいたエントリだ。

ブログ管理人のapjさんは、インターネット初期の「fj.*」のニュースグループに数々の記事を投稿されていたことをよく覚えている。
私自身は、「fj.*」は1990年から6年ほどROMしていたが、投稿したことは一度もない。

 事の発端は、水伝を信じてる人にツッコミを入れたら受け入れられず、ちょこっとだけ揉めたというだけの話なんだけど、それが今に至るまで、初期の頃を除いては、水伝の中身にまったく踏み込まない形で続いている模様。

一部ではもはや本質とは関係なくなった「水伝」 :: 事象の地平線::---Event Horizon--- より

「初期の頃」というか、
水からの伝言: たんぽぽのなみだ〜運営日誌
の、

あたりまえのことですが、水には、人間の声を聞く耳も、
文字を読む眼もないし、人間のことばを解釈する脳もないです。
水がことばの意味を理解して結晶のかたちを変えるなど、
あるはずもないなんて、自明としか言いようがないです。

を否定する人は誰もいなかったのに、

科学に道徳を求めるのが、根本的にまちがいということです。
科学とは、自然現象がどうなっているか、
客観的に理解するための学問であり、人間がどう生きるべきか、
といったことに、回答を与えるものではないです。
水からの伝言」が教育で使われると、科学とはこういうものと、
あやまった科学観まで、蔓延することにもなるでしょう。

という「たんぽぽのなみだ〜運営日誌」の指摘に対し、批判を受けた側が

【追記 2008/01/01】
この記事のことを陰謀論とか偽科学を信じるバカだと書いている人がいます。
しかし、よく考えてみましょう。 
この記事は、結晶の話を信じましょうとか、
間違いないとか力説しているわけではなく、
そんな事はどうでもいいと書いています。(ここ大事)

この記事の肝は「ありがとう」とかそんな言葉が大事だって話なだけですから。
何でも難しく屁理屈言う人には通じない言葉ですけどね(笑)
科学的に証明されていないと、ブログ中で、但し書きで書いていても、
文句をつけてくる人がいるのには驚きでした。
私がどうでもいいと思う事ですら文句を言われるのですからねw


水からの伝言(2): たんぽぽのなみだ〜運営日誌に引用された「らんきーブログ」の但し書き=現在は書き換えられている。
魚拓は【魚拓】らんきーブログ 言葉の結晶

などと開き直ったばかりか、ブロガーの開き直りを煽るコメンターや、「共闘する」と宣言するブロガーなどが続出し、それに対して当ブログを含めてたんぽぽさん側に立ったブログ群とが両陣営に分かれて大バトルに発展したという、実にバカバカしい騒動だった。

だから、apjさんに「悪魔の辞典」風におちょくられることになった(相手方もこちら側も)。

でも、

(書いてある言葉)解同
  (本当の意味)(ある立場から見て)主観的に気に入らない人全て。

というのには、類義語として「日共」や「連合赤軍」を入れてほしいと思った(笑)。

落としどころは「終身刑創設法案」しかないと思う

厳罰化の流れは必然だ - 道徳教育で日本の社会が変わるまで : 世に倦む日日 が、

死刑廃止論者たちは「厳罰化」を批判する議論で説得力を立て直そうと必死になっている。朝日新聞の記事と社説がその前面に立ち、幾つかのブログ左翼がそれを援護する記事を発信している。

と書いている。他にも例があるのかもしれないが、

きまぐれな日々 光市母子殺害事件の死刑判決をめぐる3大紙の社説

などは、その「ブログ左翼」の典型例なのだろう。私は確かに毎日新聞朝日新聞の社説、それに朝日新聞に載った本村洋さんのコメントを援用して、厳罰化の傾向に疑問を呈する記事を書いた。

世に倦む日日」は、

例えば、伊藤一長を射殺した暴力団員の城尾哲弥には死刑が求刑されている。来月に一審判決が出る。殺した人間が1人だから無期懲役でいいのか。それで許されるのか。私は絶対に許せない。判決は死刑以外にない。この男には間違いなく裏から報酬が出ている。この男が無期懲役の刑で10年後に娑婆に出てくれば、黒幕の誰かから回ったカネで余生を豪遊して暮らすだろう。

とも書いている。

かつて私は、きまぐれな日々 長崎市長を射殺したテロの「真犯人」 (2007年4月20日)で、長崎市長射殺犯人・城尾哲弥と「日本会議」および「安晋会」との関係を示唆し(情報元は山岡俊介氏および「週刊ポスト」)、

テロルの真犯人は、安倍晋三であり、小泉純一郎であり、石原慎太郎である。そして、彼らを支持する国民は、テロを支援しているも同然だ。

と書いた。城尾哲弥はむろん断じて許せないし、この男が出所して娑婆の空気を吸うことなど、ブログ管理人は絶対に認めない。ついでに書くと、「nikaidou.com」の流した「城尾哲弥の本名は白正哲」という真偽不明の情報をパクって、「長崎の放送局のニュースで報じられた」などという虚報(未だに証拠の映像など出てきていない)を垂れ流した「博士の独り言」も、私は今でも許していない。

しかし、その反面、

「拘置され、もはや社会に危害を与えない者を殺すのは、国家による殺人にほかならない」

という国民新党亀井静香の主張にブログ管理人は賛成であり、この点も譲れない。たとえそれが城尾哲弥であっても。

これの解決策としては、光市母子殺害事件の犯人や城尾哲弥のような殺人者に対しては、生きて一生罪を償わせ、何があっても絶対に出所を認めない、真の意味での「終身刑」を科すしかないと思う。

亀井静香のほか、社民党福島瑞穂も、与党・公明党浜四津敏子死刑廃止議連のメンバーだ。「終身刑創設法案」の提出の話は今どうなっているのだろうか。

まあ人それぞれだけれど...

私だったら放置ブログにしておいて、時々何かの拍子に昔のエントリが参照されてアクセスされたりすると、「昔書いた○○の記事に○件以上のアクセスがあった」などと嫌味な記事だけ書いてまた休むとかそういうパターンの方が好みだけど(誰かみたいだって?)、まあ人それぞれですね。

こころをオニにして何か書くかもしれないけど、それよりも新自由主義批判を強めていかないと次の総選挙はトンでもないことになる恐れがあるので、実はあまり得意でないそちら方面に注力したいってとこかな。

ブログを書く動機

ま、私の場合、荒唐無稽といわれようが、天下の公論に蜂の一刺し程度でも良いから寄与したいと思っているから、次々と政治系ブログを閉じようとされる人たちの気がしれないというのはあります。たとえば、日にユニークアクセスが2千件だと、山口2区の有権者数人に読んでもらえるかどうかというレベルでしょうけど、いつぞやのように山本繁太郎氏に関する私の記事を丸ごとパクったブログへのアクセスもあるだろうし、○○しゃぶの件は口コミやなんかでも広がっていくだろうし、などと考えると、全くの無力というわけでもない気もします。

「きまぐれな日々」は開設直後を除いて、読者を意識したブログだし、こちらは読者を意識することもあるけど、そうでないメモ代わりだったり、思ったことをストレートに書いたりするブログです。今後、こちらを非公開にすることはあり得ても、「きまぐれな日々」を閉じはしないでしょうね。記事を書けなくなった場合は放置ブログにします。新自由主義の世の中を終わらせて、福祉国家の建設を目指す動きを主流にするために、少しでも寄与したいという気持ちがあり(その動機には私怨も含まれますけど)、それがあるうちはブログの閉鎖だけはしないつもりです。

「後期高齢者医療制度」隠しは民主党の作戦だったのか?

2ちゃんねる」では「篤姫秒殺」と書かれた。午後8時放送のNHKのドラマ「篤姫」の放送開始と同時に平岡秀夫の当確が打たれたからだ。このパターンは、昨年の東京都知事選や今年の大阪府知事選などのいやな思い出ばかりがあるが、今回はノーパンしゃぶしゃぶ耐震偽装男の大敗だけに気分が良い。

それにしても、一時はその「パンしゃぶ男」が優勢などと見られていたことを思うと、意外な大差だ。当時私は、「民主党が道路問題にかまけて社会保障や年金の問題に熱心に取り組まないからこんなことになったんだ」と怒っていたのだが、今にして思うと、4月15日が来ればいやでも後期高齢者医療制度問題に焦点が当たって自民党が劣勢に立たされることを読んで、その効果を高めるために4月15日の直前にはわざと社会保障問題を軽く扱うという民主党の高等戦術だったのではないかと思えてくる。

それは深読みのし過ぎで、民主党は本来新自由主義政党だから社会保障には不熱心なのだという主張もあり得ようが、もしそうなら民主党に「福祉国家指向でなければ政権など獲得できない」ことを思い知らせて、他の野党や国民がそういう方向に民主党を仕向けるべきだろう。それが気に食わない民主党の議員さんたちには、離党してコイズミなり安倍なりとくっついてもらえばよいだけの話だ。

この補選の結果で、ますます政局は流動化していくだろう。