kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

高校時代に受けた靖国に関する授業

1978年8月15日、当時の首相福田赳夫靖国神社に参拝した。このことは、この当時、高校の政治経済の授業で靖国問題は繰り返し取り上げられていたのでよく覚えている。A級戦犯の合祀はこの年のことだが、明らかになったのは、翌1979年4月19日に新聞で報道されたからだというのはすっかり忘れていた。というのは、その前年の1978年、靖国に関する授業をみっちり受けていたからだ。
何度か自民党が提出しては廃案になった靖国神社の国家護持法案の問題点や、憲法第20条に定められた政教分離原則への抵触の可能性などを習った。
現在読んでいる最中の高橋哲哉靖国問題」にも書かれているように、靖国神社A級戦犯が合祀されているから問題なのではなく、むしろ問題をA級戦犯に限ることは問題の矮小化なのだ。私が受けた高校の授業は、A級戦犯合祀以前から靖国神社のあり方が問題視され、議論されていたことの証明である。
日経新聞がスクープした「富田メモ」に書かれていた、昭和天皇の「それが私の心だ」という発言にしたって、「昭和天皇でさえA級戦犯靖国合祀に激怒していた」という言い方はできるが(かつて私自身がFC2のブログで7月5日付の「靖国神社昭和天皇」でもそういう書き方をしたが)、それは昭和天皇の戦争責任問題を免責することにつながりかねない論理だ。そんなことは百も承知しているのだが、まずそういう書き方で靖国神社への疑問を持ってもらわないとどうしようもないくらい、右翼的な言論が多くの国民に影響を与えてしまっている。そう判断して、危険を承知でセンセーショナルな表現をしたものだ。
加藤紘一の実家へのテロ報道の時、1990年に長崎市長本島等(当時)が右翼に受けた銃弾への想起を促すマスコミ報道が意外なほど少なかったことにも、危機感を感じる。昭和天皇が没するちょうど1か月前の1988年12月7日、長崎市議会の答弁で、「天皇には戦争責任があると思う」と発言した本島等は、保守系の首長だったが、日本中が「自粛」ムードにある中になされた勇気ある発言として、歴史に残るものだった。その本島市長は、1990年1月18日、右翼団体「正気塾」の構成員によって、狙撃され重傷を負ったのである。
本島等 - Wikipedia

もっともっと、反靖国、反テロの言論を盛り上げなければなるまい。