kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

There is no immediate danger (by US government).

東電原発事故を機に、過去に原発について書かれた本が、再版されたり、再編集された上で新たに出版されたりしている。


日本の原発、どこで間違えたのか

日本の原発、どこで間違えたのか


この本は、80年代に『週刊現代』に連載され、のち講談社から出版された『原発への警鐘』の一部を再録して朝日新聞出版から刊行されたもの。34年前に大熊由紀子の原発推進本を出した朝日が、今ではこういう本を出す。

著者の内橋克人は、今週(22日)にも岩波新書から新刊を出すそうだが、80年代に書かれたこの本は抜群に面白い。講談社版の原書は不明にも未読だったが、朝日新聞出版が復刻した本書に含まれなかった部分も是非読んでみたいと思った。

内橋氏及び『週刊現代』編集部は、一貫した「反原発」のスタンスで記事を書いていたわけではない。たとえば第2章「東京電力原発」では、GEの設計で作った福島第一原発1号機などの原子炉の配管にひび割れが生じたトラブルのメカニズムを日立や石川島播磨のエンジニアたちが突き止め、問題を解決して技術をGEなどに逆輸出したくだりが紹介されている。これなど、NHKがかつて放送していたテレビ番組『プロジェクトX』を思い出させた。

内橋克人は書く。

取材を開始してから筆者は、幾度ともなく同じ質問に責められてきた。
「あの記事、原発賛成の立場ですか? それとも反対?」
賛成でもなく、反対でもない。われわれはただ原発をめぐってごく自然に湧いてくる素朴な疑問への回答を求めて、根気よく取材と分析を積み重ねているだけだ、と説明する。それは事実である。

内橋克人『日本の原発、どこで間違えたのか』(朝日新聞出版、2011年) 153頁)


しかし、この文章が収録されている第3章「人工放射能の恐怖」あたりから、本には次第に「反原発」の主張が色濃くなる。もっとも朝日新聞出版の編集はずさんで、記事の初出が明記されていないから、記事の収録が時系列に沿っているとは限らない。

第4章「『安全』は無視され続けた」に続く第5章「なぜ原発を作り続けるのか」には、電源三法交付金などでシャブ漬けになった自治体首長の腐敗ぶりや、原発コストは本当に安いのかという問題を取り上げる。ここに登場する、かつての敦賀市長のあきれた発言は、改めてエントリを作って晒し上げるつもりだ。


本エントリのタイトルは、放射線量の人体への影響について書かれた第3章から借用した。内橋克人は、1977年にアメリカ・ピッツバーグ大学産業環境衛生科学部教授(当時)、トーマス・F・マンクーゾ教授が発表した、微量放射線が人間に対して与える影響を疫学的に明らかにした「マンクーゾ報告」を紹介している。微量の放射線でも人体に強い影響を与えることを示したものだ。

マンクーゾ教授は、アメリカの政府当局はいつも "There is no immediate danger." という言い方をするのだと言ったらしい。同じ意味の言葉を日本の政府高官が連発していたことは記憶に新しいところだ。

「マンクーゾ報告」の結論は、「人間の生命を大事にするというのなら、原子力発電所の内部で働く作業従事者の被曝線量は、年間0.1レム以下に抑えるべきだ」というものだ。現在用いられる単位に換算すると、0.1レムは1ミリシーベルトに相当する。

内橋克人は、取材当時32歳だった京大の今中哲二助手(当時)にコメントを求めている。今中助手は、「マンクーゾ報告」には数式のとり方、数値の扱い方に問題があり、数値の合わない部分が見られるものの、直接、低線領域での被曝データであってきわめて有意義で、原発での作業従事者のリスク評価には、過去のどんなデータより優れているとして高く評価していた。同時に今中氏は、「マンクーゾ報告」に対する批判を逐一吟味し、これを批判する作業も行っていたという。

しかし、現在「マンクーゾ」や「マンクーゾ報告」を検索語にしてGoogle検索をかけても、この内橋克人の著書に言及したサイトに行き当たる程度だ。どうやら原発推進勢力は、「マンクーゾ報告」を「なかったこと」にしてしまったらしい。


東電原発事故をきっかけにして、原発推進勢力、批判勢力の双方が過去に書いた記事がいろいろ再発掘される。この本には、現在民主党で「黄門様」を気取っている渡部恒三が口走った愚かしい原発推進論も紹介されているが、渡部の愚論も、元敦賀市長のトンデモ暴言ともどもいずれ当ブログで晒していきたい。