kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

新自由主義派の経済学者・加藤寛が死去

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/130201/fnc13020113230009-n1.htm

千葉商大名誉学長の加藤寛氏が死去、86歳 政府税調会長として活躍


 国鉄の分割・民営化や郵政民営化などで中心的な役割を果たし、税財政や教育分野で積極的な提言を続けてきた、千葉商科大名誉学長で慶応大名誉教授の加藤寛(かとう・ひろし)氏が1月30日午後7時48分、心不全のため死去した。86歳。

 昭和25年慶大経卒。41年から慶大経済学部教授を務めた。56年から58年まで第2次臨時行政調査会(土光臨調)の第4部会長として国鉄電電公社、専売公社の民営化案をとりまとめた。

 小泉純一郎元首相や竹中平蔵慶大教授らと親交が深く、郵政民営化でも政府の検討会議の座長に就任。リーダーシップを発揮した。

 平成2年から約10年間、政府税制調査会長を務め、消費税率の3%から5%への引き上げなどを主導した。

 教育改革にも取り組み、慶応大在籍中には、湘南藤沢キャンパスの総合政策学部の開設に尽力した。慶大教授時代の教え子に小泉元首相のほか、橋本龍太郎元首相、小沢一郎民主党代表らがいる。

 本紙「正論」執筆メンバーで、昭和61年にフジサンケイグループの「正論大賞」を受賞した。

 平成7年4月から19年3月まで千葉商科大学長、20年から24年まで嘉悦大学学長を歴任した。第一生命経済研究所名誉所長、財団法人小原白梅育英基金理事長なども兼務している。

MSN産経ニュース 2013.2.1 13:21)


故人は、「かとう・かん」、「カトカン」などと呼ばれていたが、「ひろし」と読むのが正しいようだ。

土光臨調といえば、1981年(昭和56年)の法人税増税に反発した元経団連会長(1980年退任)の土光敏夫が「増税なき財政再建」を打ち出し、そのための手段として国鉄電電公社、専売公社を次々と民営化していったが、大ボス・土光の下で民営化を取り仕切ったのが加藤寛だった。テレビ朝日がよく土光を神格化した映像を流しているが、中曽根康弘政権発足に先立って新自由主義路線のレールを敷いた男であり、本来厳しく批判されて当然の人物である。「めざしの土光さん」など、美談でも何でもない。金持ちが金を使わずにせこせこ貯め込んでデフレを奨励しているようなものであって、もってのほかである。

そんな経済戦犯・土光敏夫の下で、加藤寛は、Wikipediaの記述を借りると、

政府税制調査会会長として直間比率是正・間接税中心の税体系の導入(ミスター税調の異名を取った)等の日本の行財政改革を牽引した。

つまり、所得税を軽減しすぎて現在の政府の財政危機を招いた元凶のような人間だった。だから、日本経済にとっては功績よりも流した害毒の方がはるかに大きかった人間といえる。教え子に竹中平蔵がいて、橋本龍太郎小泉純一郎の両政権に影響を与えたというだけでも、その害毒のすさまじさが想像できるだろう。

ただ、晩年唯一良いことをした。それは原発批判である。その点をクローズアップした訃報記事を書いたのが東京新聞である。


http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2013020202000114.html

元政府税調、加藤寛さん死去 原発即時廃止訴え


 政府の税制に関する諮問機関、政府税制調査会長を長く務め、国鉄分割民営化や消費税導入に関わった千葉商科大学、慶応大学名誉教授の加藤寛(かとう・ひろし)氏が一月三十日午後七時四十八分、心不全のため死去した。岩手県出身。八十六歳。葬儀・告別式は行わない。

 慶大卒業後、同大教授を経て、一九九五年千葉商大(千葉県市川市)学長。その間、各種の政府の審議会の会長を幅広くこなした。「世の中の役に立たない学問は無意味」と常に話し、実際の政策立案過程にも関わった。

 二〇一二年からは城南信用金庫シンクタンク城南総合研究所の名誉所長も務め、「原発は即時廃止すべき、原発ゼロは国民経済の新たな成長発展につながる」として脱原発と経済発展の両立を訴えていた。

 一九八〇年代、当時の中曽根内閣では、土光臨調と呼ばれた第二次臨時行政調査会第四部会長として、国鉄電電公社(現NTT)の民営化を推進した。八七年から政府税調の委員になり、九〇年十二月から二〇〇〇年七月まで会長を務め、消費税などの税制改革を理論面で支えた。

 〇四年には小泉政権のもとで、郵政改革に賛成する立場から政府の郵政民営化情報システム検討会議の座長を務めた。

 慶大総合政策学部長や、千葉商大嘉悦大学(東京都小平市)で学長を務めた。

 小泉純一郎元首相ら政財界にも教え子が多く、竹中平蔵慶大教授とも親交があった。

 本紙のコラム「時代を読む」も執筆した。

東京新聞 2013年2月2日 朝刊)


加藤寛のコラムを載せていたあたりに、長谷川幸洋を論説副主幹に任用するなど新自由主義色の強い東京新聞の特徴がよく出ているといえようか。

加藤寛原発批判は、「加藤寛 脱原発で日本経済は活性化する」でググるとすぐ見つかる。「ゴー宣ネット」に引用されたものがよく参照されているようだが、ここにはリンクを張りたくないので興味のある方はググってみられたい。加藤寛原発批判自体は正論であるが、要するに原発のような不経済なものは、新自由主義的な立場からも不要なのだ。だからこそ過激な新自由主義派の元官僚・古賀茂明や新自由主義志向の強い橋下徹が「脱原発」に飛びついた。大飯原発再稼働を容認した橋下の掌返しは論外だが、新自由主義的立場からの原発批判論自体には別に反対はしないし、それどころかもっともな部分も多い。ただ、「脱原発に頑張る橋下市長を応援しよう」などという愚劣なことを言わず、「別個に進んでともに撃つ」を貫けば良いだけの話だ。

加藤寛晩年の原発批判は、(結果的に)せめてもの罪滅ぼしと見て、故人の冥福を祈る。