kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

中島岳志と西部邁

Since Nishibe? - Living, Loving, Thinking, Again(2013年11月16日)より。


池田信夫(ノビー)のブログ記事
池田信夫 blog : 夫婦同姓は輸入された制度(2013年11月12日)
及び
池田信夫 blog : 「リベラル保守」宣言(2013年8月2日)
に言及しつつ、

「さらにその弟子を自称する中野剛志氏とか中島岳志氏に至っては、お笑いでしかない」*1。中野剛志はともかくとして、中島岳志氏が西部門下を「自称」しているの? Wikipedia西部邁の「門下生」として挙げられているのは佐伯啓思、坂井素思、佐藤光、間宮陽介、宮本光晴。大学とか私塾といった制度を介さずに西部氏を師としているのは宮崎哲弥くらいなのでは(『正義の見方』)? 上で引用した「別のエントリー」は中島岳志氏の或る著書の書評ということなのだが、そこでは中島氏の西部氏からの「影響」はほんの少し語られているものの、「弟子」云々ということは全然語られていない。


私は西部邁の本は1冊も読んだことがないし、中島岳志の本も、池田信夫(ノビー)が8月2日付のブログ記事で言及している下記の本のただ1冊だけしか読んだことがないのですが。


「リベラル保守」宣言

「リベラル保守」宣言


ノビーが

まえがきによれば、これは西部邁氏の影響だそうだ。

と書いている、中島岳志の著書の序文より。

 はじめに

 私が大学に入学したのは一九九四年でした。この年、『発言者』という一冊の雑誌が創刊されました。主幹は西部邁氏。現在も『発言者』は、『表現者』と雑誌名を変えて継続しています。私は、創刊からこの雑誌を愛読していました。大学に入りたての私は、気分的にはサヨク的な人間でした。

(中略)

 しかし、です。私のサヨク的な気分は、西部邁氏の一連の著作によって打ち砕かれることになりました。中でも一九九三年に出版された『リベラルマインド』(学研)には大きな衝撃と影響を受けました。

(中略)

 私は、それらの論考(引用者註:西部邁の論考)をむさぼり読みました。そして、時間をかけながら保守思想に身を置くべき覚悟を決め、バークやチェスタトン、オークショット、小林秀雄福田恒存などの文章をひもとくようになりました。

中島岳志リベラル保守』(新潮社, 2013年)1-2頁)


また、同書の「あとがき」の末尾より。

(前略)本来は多くの方々に謝辞を述べなければならないところですが、特に編集会議をご一緒させていただいている西部邁先生、富岡幸一郎さん、柴山桂太さん、関係者・スタッフのみなさんに改めて御礼申し上げたいと思います。

(前掲書207頁)


以上から、ノビーが「中島岳志氏が西部門下を『自称』している」とみなすのも故なきことではないと思う次第です。


なお、私個人は、政治・経済に一定の関心は持っていたものの理系の学生でしたが、1980年に、とあるきっかけで西部邁の主張に触れたことがあります。この時の印象は、「西部邁というのは『右』か『左』か正体不明の人間だけど、『右』の匂いが強いな」というものでした。ですから、のちに(1987年か88年頃でしたか)西部邁が「中沢新一騒動」で「右派」の旗幟を鮮明にしているのを知った時には、「さもありなん」と思ったものです。だから、ノビーが

西部邁が)大学を辞めるころ右翼に転向した。冷戦の終わる少し前で、世間の評論家より早かったのが商売上手なところだ。

と書いた点に関しては、いや、もっとずっと前から西部邁は「右翼」だっただろうよ、とは思います。

*1:引用者註:池田信夫(ノビー)のブログ記事からの引用。