kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「イスラム国」:人質事件交渉 後藤さんと死刑囚、交換目前で決裂か(毎日)

イスラム国」(IS)の日本人殺害事件に関連するニュースで嫌な印象を持ったことの一つとして、湯川遥菜氏が殺害されて、ISの要求が後藤健二氏とサジダ・リシャウィ死刑囚との交換に切り替わった頃、国会の議場で外相の岸田文雄菅義偉が談笑していたシーンがある。岸田文雄は、まるでこみ上げてくる喜びを抑えかねるかのような、ヘラヘラとした締まりのない笑顔を浮かべており、なんだこいつ、と思った。確か28日だったと記憶する。しかし、同じ日の夜には岸田の表情は一転して堅くこわばっていた。

そのことと関係あるのかどうか、毎日新聞(2/8)が下記の無署名記事をサイトに上げた。紙面にも掲載されているようだ。

http://mainichi.jp/shimen/news/20150208ddm001030148000c.html

イスラム国」:人質事件交渉 後藤さんと死刑囚、交換目前で決裂か

 イスラム過激派組織「イスラム国」(IS=Islamic State)による人質事件で、フリージャーナリストの後藤健二さん(47)救出に向けた動きの一端が関係者への取材で明らかになり始めた。ISが釈放を要求していた前身組織のメンバーでヨルダンに収監中だったサジダ・リシャウィ死刑囚との交換交渉が1月28日ごろに成立目前だった可能性が浮上。後藤さんの妻に対する身代金要求メールを受けたIS側との交渉には、英国の危機管理コンサルタント会社が関与していた。秘匿されている事件のプロセスが判明した。

 「日本人の人質がトルコとの境界付近に連れて行かれたが、その後(シリア北部の)ラッカの拘束場所に戻されたと聞いた」

 ISの支配地域に通じるトルコ南部アクチャカレ検問所近くで、ISの動向に詳しいラッカ在住の貿易商がそう打ち明けた。検問所の東方約5キロにはイラク系有力部族ドレイミ族の支配するシャッダーダ村がある。ドレイミ族はISのバグダディ指導者の妻の出身部族でISと関係が深い。後藤さんはいったん、この村に連れてこられた可能性があるという。

 検問所を挟んだIS支配地域側で28日、この情報を裏付けるような異様な動きがあった。「正午ごろにIS側に入った時、知り合いの(ISの)警備担当幹部に『通るなら早くしろ、忙しくなる』と言われた」「(午後には)いつも通るラッカへの道が一時的に(ISにより)封鎖されていた」。この検問所付近で密貿易に携わり、日常的にIS側との間を往復する複数のシリア人が明かした。

 ヨルダン国内でも交渉進展の動きがあった。治安関係者にパイプを持つヨルダンのアモン通信のアルファイズ記者は「交換の可能性は本当にあったようだ」と話す。リシャウィ死刑囚は28日にアンマン南部のジュワイデン刑務所から情報機関が運営する刑務所に移送されたという。しかし最終的にはIS内部の意見対立が影響し、交換は頓挫したとみられる。

 前日の27日、ISは昨年12月に身柄を拘束したヨルダン軍のパイロット、カサスベ中尉の名前を出し、リシャウィ死刑囚を釈放すれば後藤さんを解放し、中尉は殺害しないとの条件を提示。29日の声明では同日日没までに死刑囚をトルコ境界まで連れてくるよう要求していた。

 ◇英コンサルも関与

 複数の関係者によれば、後藤さんの妻は昨年12月、ISとみられるグループから届いた1500万ユーロ(約20億円)の身代金要求メールを開封後、英国に本部を置く危機管理コンサルタント会社に依頼し、救出に向けた交渉が始まっていた。

 後藤さんを巡っては、国連がテロ目的の渡航者に対する各国の処罰義務付けなどの決議を採択した昨年9月以降、中東を活動領域としていた仕事からIS支配地域に入る可能性があるとみて公安当局が動静を追っていた。身代金要求メールについて、政府は「返信していない」と説明しているが、妻やコンサルはメールなどでやり取りをしていたとみられ、その内容や経過は外務省も把握していた。

     ◇

 昨年8月に湯川遥菜(はるな)さん(42)が、同10月下旬に後藤さんがISに拘束されて以降、日本政府は解放交渉を模索してきた。しかし、2人を殺害したとみられる映像が相次いで公開される最悪の結果となった。交渉の舞台裏では何が起きていたのか、検証した。

毎日新聞 2015年02月08日 東京朝刊


[追記](2015.2.8 22:36)
上記記事には続きがあった。
http://mainichi.jp/shimen/news/20150208ddm010030062000c.html

たいした記事ではないと思ったので、続きの部分の引用はしない。追記を書いている時点では読める(多分そのうち会員限定の公開に切り替わるのではないか)。その文末に

 アンマン大治朋子、田中龍士、カイロ秋山信一、ロンドン坂井隆之、松尾良、高山祐、長谷川豊、岸達也、鈴木泰広が担当しました。

とある。従って「無署名記事」ではなかった。