kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

毎日新聞記事のメモ(1):「イスラム国」:リシャウィ死刑囚、米攻撃で家族失う(2015年2月1日)

このウェブ日記に使おうと思っていて結局使わなかった毎日新聞記事を3件メモしておく。3件がいずれも毎日の記事であるのは単なる偶然。まず1件目。

http://mainichi.jp/select/news/20150202k0000m030104000c.html

イスラム国」:リシャウィ死刑囚、米攻撃で家族失う

 今回の日本人人質事件で、「イスラム国」(IS)が後藤健二さんとの交換を要求したサジダ・リシャウィ死刑囚は、どんな人物なのか−−。

 米メディアなどによると、リシャウィ死刑囚は、イラク西部アンバル県の県都ラマディ出身で、推定44歳。読み書きができず、地元で野菜の販売などをして生計を立てていた。

 30代前半でISの前身「イラクの聖戦アルカイダ組織」(AQI)メンバーのヨルダン人男性と結婚。だが、夫は2003年に始まったイラク戦争で米軍に攻撃され死亡した。

 04年にはAQIの元最高指導者、ザルカウィ容疑者(06年6月に米軍の空爆で死亡)の側近だったリシャウィ死刑囚の長兄と、2人のきょうだいも米軍の攻撃で死亡した。

 夫ときょうだい計4人を失ったリシャウィ死刑囚は、米国を憎んだとみられ、その後AQIに参加。05年、他のメンバーと共に親米国ヨルダンの首都アンマンのホテルで連続自爆テロを実行するよう指示を受けた。

 事件の数日前、AQIの男性と結婚して2人でホテルの結婚式に潜入。夫は自爆死したが、自分は機材の故障で失敗して逃走、数日後に当局に捕まった。

 事件では60人以上が死亡。リシャウィ死刑囚は、テレビで爆発物がついたベルトを見せながら犯行を語り、衝撃を与えた。06年、リシャウィ死刑囚は死刑判決を受けた。裁判を傍聴した記者によると、リシャウィ死刑囚は裁判では終始表情がなく、事件を悔いる発言もなかったという。

 アンマンの独房に入れられているリシャウィ死刑囚の元には、過去8年間、弁護士以外の面会人はほとんどいないという。今回ISが名前を出すまで、世間から忘れ去られた存在だった。ヨルダンは06年から死刑の執行を凍結していたが、昨年12月に解除。近くリシャウィ死刑囚も執行される可能性がある。

 ISがリシャウィ死刑囚の奪還を求めたのは、イスラム教徒にとって「男が保護すべき存在」の女性であることに加え、自爆テロに参加した人物として英雄視されていることや、組織のカリスマ的指導者だったザルカウィ容疑者がリシャウィ死刑囚の釈放を強く望んでいたことが影響しているとみられる。また、日本から多額の支援を受けているヨルダン政府を追い詰める狙いもあったとされる。

毎日新聞 2015年02月01日 21時27分(最終更新 02月01日 22時51分)


サジダ・リシャウィの悲惨な経歴と、彼女の死刑が執行されなかったのは2006年以降昨年(2014年)12月までヨルダンが死刑の執行を停止していたためだったという事実の重み。「リベラル」(?)の有名ブロガーたちが率先して山口県光市母子殺害事件などで厳罰を求めた(あたかも弁護団懲戒請求を煽った橋下徹に呼応するかのように)日本とは全く違う道を歩んできたヨルダンが、ムアーズ・カサースベ中尉殺害の報復としてリシャウィ死刑囚の死刑を執行した。心が暗くなるニュースだった。