kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

辺見庸と村上春樹と死刑制度と

辺見庸ブログより。下記は、少し前の7月31日に書かれた文章。

寄稿: 辺見庸ブログ Yo Hemmi Weblog(2018年7月31日)

◎再び処刑関連原稿

「人びとはこれを望んだのかーー気づかざる荒みと未来」と題する一文(7枚)を寄稿しました。共同通信から各加盟紙に配信されます。ご一読ください。原稿の末尾で、村上春樹氏の発言(7月29日付毎日新聞)を批判しました。

氏は「『私は死刑制度には反対です』とは、少なくともこの件に関しては、簡単には公言できないでいる。『この犯人はとても赦すことができない。一刻も早く死刑を執行してほしい』という一部遺族の気持ちは、痛いほど伝わってくる」と述べている。

被害者感情と処刑(死刑制度)を同一線上でかたるのは、よくありがちな錯誤である。前者の魂は後者の殺人によっては本質的にすくわれない、とわたしは書いた。

にしても、村上氏の文には正直おどろいた。
「・・・林泰男の裁判における木村裁判長の判断に関する限り、納得できない箇所はほとんど見受けられなかった。判決文も要を得て、静謐な人の情に溢れたものだった」

極刑判決をほめたたえる神経は、わたしにはとうてい理解不能だ。


辺見庸の文章は全文を読んだが、おそらく著作権上問題のあるスキャンによる画像と思われるのでここには(下記に書く例外を除いて)引用しない。

ただ、村上春樹で思い出されるのは、彼が育った阪神間における部落差別に関するエピソードだ。この日記では過去2回触れている。

宮本常一、網野善彦、差別そして民族 - kojitakenの日記(2014年5月2日)より

差別・被差別に関して大きな問題になっているのは、それが「不可視化」されていることである。その情報は、よそからやってきた人間にも明かされない。だから、京都出身で西宮を経て芦屋に住み、そこから市境を越えて神戸の高校に通っていた村上春樹が、同級の女子生徒が住む被差別部落の通称を黒板に書いてしまい、その事実を当該の同級生の友達たちから教えてもらうなどということが起きたのである。私の一家もまた、村上春樹一家と同様に、「よそ者」だったから、移り住んでいた土地の被差別部落については、本当に詳しくは知らない。村上春樹中上健次に「お前のいたあたり(阪神間)にも被差別部落がたくさんあっただろう」と聞かれて、知らないと答えたら怒られたそうだが、そんなものである。村上春樹の例にも見られるように、隠された「差別」がひょんなきっかけから顔を出す時、被差別者がこうむるダメージは大きい。「差別をなくすためには、差別の可視化から行わなければならない」との持論を主張し続けるゆえんである。

村上春樹は京都から、私は大阪から、ともに幼少時に阪神間に移り住んだ人間だ。蛇足だが、のち東京に出てヤクルトスワローズを応援するようになったことも共通している*1

阪神間の部落差別について書いた村上春樹のエッセイは新潮文庫で読んだ。一言だけ触れたことがある。

"Nuclear Plant"なんだから原発を「核発電所」と呼ぶべきなのは当然だが - kojitakenの日記(2015年4月5日)より

ところで、『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』は、わが読書記録を参照すると、2013年7月4日から6日にかけて読んでいる。この日記に取り上げたとばかり思っていたが、調べてみると取り上げていなかった。


村上朝日堂はいかにして鍛えられたか (新潮文庫)

村上朝日堂はいかにして鍛えられたか (新潮文庫)


このエッセイ集ですぐに思い出すのは、阪神間における部落差別問題を取り上げた「僕らの世代はそれほどひどい世代じゃなかったと思う」(新潮文庫版306-311頁)である*2。このエッセイについては、またいつか触れることがあるかもしれない。

その後3年間、この件に触れる機会はなかったが、その機会が訪れた。とはいえ、押し入れの奥深くに眠っている新潮文庫を取り出して引用するなどという作業は、夏の日の蒸し暑い午後の日にやる気は起きない。

ただ、辺見庸が今回も死刑執行が不可視であることを指摘していること、それに対して、かつて不可視化されていた阪神間の部落差別が可視化された経験をエッセイに書いた村上春樹が、死刑廃止論者だと語っているにもかかわらずオウム真理教の死刑囚に対して執行された死刑を、それが不可視であったにもかかわらず時流に迎合して実質的に肯定してしまったことに、少なからぬショックを受けた。

辺見は、今回書いた文章を「わたしは死刑制度に反対である。それは究極の頽廃だからだ。」という文章で締めくくっているが、村上春樹もすっかり「頽廃」してしまったな、これでは文学者として終わったというほかないな。

そう思った。

なお、今回のオウム死刑囚に対する死刑執行をめぐって「頽廃」を感じたのは、何も村上春樹ばかりではない。

かつてオウムを追いかけていた江川紹子有田芳生は、対照的な反応を示した。

有田芳生は、従来死刑を容認していたが、今回の大量死刑執行に対して、かなり動揺し、死刑容認の信念がゆらいだようだ。これに対し、私はなぜ今まで気づかなかったんだ、と思った。

一方、そんな有田を江川紹子は死刑容認論の立場から揶揄した。これにも「なんだかなあ」と思った。

しかし、私がもっとも激しく頽廃している、というより堕落しきっていると思ったのは、彼らでなく、下記に紹介するような態度をとった人たちだ(それは単数ではなかった)。

彼らは、従来は死刑を容認していたが、今回の大量死刑執行によって死刑反対論に傾いた。そこまでなら有田芳生と同じだ。

だが、彼らはそれに続いて、死刑容認論固執する江川紹子や、今回時流に迎合してオウム死刑囚への死刑執行を実質的に肯定した村上春樹を批判したのだ。そこには自省の欠片もなかった。

自分たちも今回の死刑執行の前には死刑制度を容認していたくせに、なんたる面の皮の厚さか。私はそう思って呆れてしまった。

それも、一人や二人でなく、他の人も同じような態度をとっているからそれに倣うという行動パターンだった。どうしようもなく浅ましい根性だと思った。

そういう人たちって、戦争中には戦争を容認していながら、敗戦後すぐさま転向して「戦犯」を叩いた人たちと同じなんだろうな。そして先の戦争が終わった直後には、そんな人たちが少なからずいたんだろうな。

そう思って、人間の本性に対するネガティブな考え方をより強めてしまった今日この頃なのである。

*1:そういや昨日は阪神戦では鬼門になって久しい京セラドーム大阪で、またしてもひどい逆転負け=5点差を逆転されて9回表に追いつき、延長11回表に勝ち越したもののその裏に外野手の拙守をきっかけに逆転サヨナラ負け=を喫した。

*2:というより、阪神間の部落差別問題を取り上げたこのエッセイが掲載されていることを知ったからこの本を買って読んだのだった。