kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「文藝春秋松井社長が、安倍政権を『極右の塊』と発言。」(花田紀凱)

この年末から年始にかけての予定は、先週から4日出勤、3連休、3日出勤、6連休、3日出勤、3連休、4日出勤と続いたあと1月14,15日の土日となって通常のサイクルに戻る。しかし12日と19日のそれぞれ木曜日に仕事の山があるので、少なくとも二度の3連休(今日が初めのの3連休の最終日)のかなりの時間をその準備に充てなければならない。だから来年の年始は、例年ほど新年の改まった気分を味わえないだろう。それどころか相当にひどい年だった今年より来年が良い年になるとの期待がほとんど持てないだけに、冴えない新年になることは間違いない。

以上の前振りとはあまり関係ないが、極右の花田紀凱が噴き上がって書いた文章が「はてなブックマーク」の「マイホットエントリー」のトップに出ていたので、これをメモしておく。少し前の12月13日付の文章だが、昨日(12/24)になって注目された。

文藝春秋松井社長が、安倍政権を「極右の塊」と発言。(花田紀凱) - 個人 - Yahoo!ニュース

文藝春秋松井社長が、安倍政権を「極右の塊」と発言。
花田紀凱 | 月刊『Hanada』編集長、元『will』『週刊文春』編集長
12/13(火) 23:44

12月6日夜、市ヶ谷の私学会館で保坂正康さんの新刊『ナショナリズムと昭和』の出版記念会が開かれた。参加者は250人ほど。

そこで、発起人代表として文藝春秋松井清人社長が挨拶したが、これが驚くべきものだった。「極右の塊である現政権をこれ以上、暴走させてはならない」。現政権、つまり安倍政権を「極右の塊」と批判したのだ。「暴走」と難じたのだ。

お断りしておくが、朝日新聞の社長ではない。文藝春秋の現社長がこう言ったのだ。

「メディア自体がおかしくなってしまっている」とも言ったという。むろん、保坂さんの出版記念会だから、保坂さんへのリップサービスということもあろう。しかしそうだとしても、度がすぎる。

僕自身はこの会に出ていないが、出席者の一人にそう聞いたので、何人かの出席者に確認して確認した。

出席していた元文藝春秋専務の半藤一利さんもこう言ったという。

「昔は反動と言われていた私が今や、極左と言われている。私より激しい松井社長などなんと言われることか。世の中の軸がズレてしまっている」

文藝春秋といえば、戦後ずっと、いや、菊池寛が創刊して以来、穏健な保守の代表だったはずだ。そういう読者が文藝春秋を支えてきたのではなかったか。

数年前、売れ行き不振を理由にオピニオン誌『諸君!』を休刊した頃から、文藝春秋がおかしくなっていると思っていたが、ここまで来ていたとは。

時の政権を批判するのは、ジャーナリズムの大きな役目の一つだ。安倍政権のやっていることがすべて正しいわけはない。だから批判は必要だ。しかし、松井社長が、本気で安倍政権を「極右の塊」と思っているとしたら、文春ジャーナリズムは終わったというしかない。

最近の『文藝春秋』がつまらないのもこの辺に原因があるのでは。

(『Yahoo! ニュース』2016年12月13日)


安倍政権が「極右の塊」であることなど当たり前である。そんな「極右の塊」の暴走を許し続けてはならない。それも当然だ。文藝春秋の松井清人社長の言葉は全面的に正しい。

半藤一利氏は「昔は反動と言われていた私が今や、極左と言われている」と言うが、半藤氏よりは「左」ではあろうけれどもかつては「左」側からの批判を受けることも少なくなかった私も、当然のごとく「極左」呼ばわりされている。「小沢信者」あたりから言われることもある。なにしろ、橋下徹に「理解」を示し、今では小池百合子(や来年結成されるかもしれない「小公民」連合)の応援を振るようになったブロガーが「中道」と自己規定する(私には「保守」あるいは「右(=経済右派)」にしか見えないのだが)ご時世だ。

私の見るところ、『文藝春秋』にはブレは少ない。私は特に同誌が「穏健」とも思わないが、普通の保守派の月刊誌だ。起きているのはこの国の多くの人間が右へ右へとなびいていることだ。

たとえば一昨日(23日)、年末年始から来年1月にかけて読む本を買うために本屋に行った時、あの「ナノ純銀除染」を後押ししたトンデモ老人にして「小沢一派」の重鎮である平野貞夫を著書とする新書本を見かけたが、目次を見てとずいぶん共産党を持ち上げているようだ(本文は立ち読みしなかった)。共産党は自党の板橋区議に、右翼にして「ニセ科学」人士である阿部宣男と以前からつるんでいる人間を抱えている事情もあるようだが、「野党共闘」のために「反ニセ科学」の看板を捨てようとしているのではないか、だから平野貞夫なんかにヨイショされているのではないかとの疑惑を強め、苦々しさを新たにした。

また、2006年初め頃に「親安倍」から「反安倍」に転向し、それからずっと小沢一郎べったりだったあの「電波芸者勝谷誠彦の新刊の新書本の帯に、安倍晋三の顔写真がデカデカと出ていた。どうやら勝谷も風を読んで「小沢応援団」を離れ、「親安倍」へと回帰しようとしているらしい。

こんなご時世だから極右の花田紀凱が中道ぶった噴飯ものの文章を恥ずかしげもなく公開できるのだろう。ふざけた話である。

ところで朝日新聞社花田紀凱を編集長に起用した雑誌(結局2年で潰れたw)を出したのは1996年だった。「『右』も『左』もない」朝日商法といえるが、結局日本社会の右傾化に回収される結果に終わった。10年近く前の「『右』も『左』もない」反安倍ブログキャンペーンも同じ結果に終わった。その誤りをこれ以上繰り返してはならないはずの現在、共産党民進党に迎合して参院選でカルト候補を応援し、自由党平野貞夫小沢一郎)に迎合してニセ科学と妥協した。いったいいつまでこんな愚行を続けるつもりかと、怒りが収まらない。