昨日(5/22)公開した きまぐれな日々 安倍や極右人士同様「リベラル」も立憲主義を理解していない に、無知(無恥)な右翼が妄言のコメントを寄越してきた。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1476.html#comment20480
226は財閥や農村の貧困無視の政治家への怒りだったのでは?
殺人クーデターじゃなくて、全国抗議デモをとでも思ってたが、政府側にはどっちも共産革命されるのを恐れて鎮圧してただろう
実際 ロシア革命も共産主義の嘘に騙されて穏健派や社民は潰された。イラン革命も皇帝の急激な変革や格差に抗議だったのがイラン イスラム革命にされた
その意味でマルクスの罪は重い。資本論が無くてもアメリカで八時間労働が決まったように社民主義が生まれただろう
共産主義はフランスでもドイツでも貧困を無くそうとした社民政党をコミンテルンの命令で議会で攻撃した
貧困が酷くなければ現代のように「革命」なんかに参加しなくなるからな共産は貧困を武器にするから
2017.05.22 18:48 博本
このコメントで多少なりとも理があるのは冒頭の「226は財閥や農村の貧困無視の政治家への怒りだった」という部分だけであって、あとは嘘八百ばかりである。
まず、「殺人クーデターじゃなくて、全国抗議デモをとでも思ってた」というが、現に犯人たちは政府や軍の要人を虐殺したではないか。これは間違いなく「殺人」に該当する。
次に、犯人たちには漠然としたクーデタの構想はあった。彼らは真崎甚三郎ではなく柳川平助を担ごうとは思っていたものの、計画性はまるでなくずさんそのものではあった。しかし、それだけでも彼らが軍事クーデタを企図していたと断定できる。
そこからあとの上記右翼のコメントはデタラメの限りを尽くしたものだ。なるほど、ネトウヨの世界ではこういう「歴史修正(主義)」が蔓延してるのかと妙に納得してしまった。
「政府側にはどっちも共産革命されるのを恐れて鎮圧してただろう」というのがその最大の嘘だ。
2.26事件が起きた時には、既に1925年に治安維持法(今また、その再来ともいえる「共謀罪」法案が成立しようとしているが)が成立してから11年が経過し、共産党は1928年の「3.15事件」と翌1929年の「4.16事件」という二度の一斉検挙を経て、さらに特高のスパイ・飯塚盈延(スパイM)が非常時共産党の家屋資金局の責任者になって「大森銀行ギャング事件」(1932年)を引き起こしたり、幹部や党員が次々と逮捕されたりして(特高のスパイが党の要職を占めていたのだから当然だ)、1936年当時には「共産革命」の「脅威」など絶無に等しかったのである。
2.26事件の直前まで起きていたのは、陸軍内部の「統制派」と「皇道派」の内紛だった。戦犯として処刑された元首相の東条英機や、あの悪名高い世紀の極悪人(たとえば半藤一利は「絶対悪」と言っている)の辻政信は統制派の一員であって、1934年の「陸軍士官学校事件」、これはWikipediaには
磯部浅一、村中孝次ら皇道派青年将校と陸軍士官学校生徒らが重臣、元老を襲撃する計画だったが、情報漏洩により主なメンバーが憲兵に逮捕され未遂に終わった。
と書かれているが、東条英機ら統制派将官の意を受けた辻政信が皇道派を罠にかけた陰謀事件であった可能性が濃厚だ。この1年あまりあとに2.26事件が起きた。
つまり、2.26事件は二派に分かれた極右軍人グループ同士の内紛が引き起こしたといえる。
もちろん、犯人の青年将校の一人・安藤輝三が事件中に自刃しようとして部下に引き留められた時に発した、「いつか前島に、中隊長殿は農村の現状を知っていますか、と叱られたことがあったなァ、今でも忘れないよ。お前の心配している農村もとうとう救われなかったなァ」という言葉に代表されるように、青年将校たちの最初の問題意識が「農村の疲弊」にあったことは間違いないが、それは極右軍人グループ同士の内紛に回収(利用)されてしまった。そして、2.26事件の4年前の1932年に起きた5.15事件の犯人たちにはあれほど同情を寄せた国民も、2.26事件を引き起こした青年将校たちに対しては冷淡そのもので、同情どころか青年将校ら(や北一輝・西田税)への厳罰を求める声の方が圧倒的に多かったのだ。
右翼が寄越してきたコメントに戻ると、「政府側にはどっちも共産革命されるのを恐れて鎮圧してただろう」という文章がとんでもない大嘘だから、それに続く文章が意味をなさないことはいうまでもない。
以上、右翼のコメントを批判したが、「現天皇依存症」の「リベラル・左派」たちには、下記『広島瀬戸内新聞ニュース』の記事をよく読んでもらいたい。
天皇陛下を盾に安倍ジャパンを批判するのも危うい : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)(2017年5月22日)
天皇陛下を盾に安倍ジャパンを批判する傾向がリベラルにもあります。
しかし、それは筋が悪いのです。
戦前の政党内閣期、野党は、与党を攻撃する際、「天皇主権」「統帥権干犯」を盾に取りました。
いわゆるパリ不戦条約(1928年)では、田中義一(立憲政友会)政府に対して野党の立憲民政党は「人民ノ名二於イテ厳粛二宣言」という一文を攻撃しました。
政権交代後は浜口雄幸(立憲民政党)政府に対して、ロンドン海軍軍縮条約(1930年)を政友会が「統帥権干犯」だと攻撃しました。
こうしたことも、政党政治をダメにしたことは忘れてはいけません。