kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

繰り返される「2.26以降」の歴史(現在は「崩壊の時代」!)

 昨日、下記のエントリをアップした。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 上記の記事に、ヴォロージャさんから再びコメントをいただいた。

 

ヴォロージャ

ご回答下さったことを感謝します。
さて、「2月26日」「平成維新会」という言葉から、2・26事件と「平成維新の会」だの大阪だの日本だの頭につけて維新維新と連呼する(でも「革命」は異常に嫌う)連中への言及もして下さるだろうと少しは期待したのですが、kojitaken氏はお気づきにならなかったのでしょうか?
ちょっと調べてみると、大前研一が「平成維新の会」を旗揚げしたのは92年11月というから小説より遅いんですね。誰でも思いつきそうな名前(現に、ズバリ「平成維新会」と名乗る政治団体はいくつもあるらしい)ですから、仕方ありませんが、大前研一の旗揚げ当時「昭和維新を唱えた青年将校を想起する。それともわざとか?」という批判的な揶揄があったことは私も憶えています。
27年前、日本は建国以来の黄金時代で、狂信的な組織というのが想像しにくかった(オウムがサリン事件を起こしたのはその3年後ですね。事実は小説より奇なりを地で行った)せいか、作中の平成維新会はずいぶん理性的な組織で、行動開始前に散々議論を重ねた末の最後の手段としてテロを始めたのであって、行動開始後もテロ自体には躊躇いや疚しさを持っていたことが後半で明かされています。親安倍の御用勢力どもには白色テロをやりたくて仕方がなさそうな連中がウジャウジャいますが(そりゃ「権力に立ち向かう」のと「権力を笠に着る」のは正反対だからな)、その点も、年月を経て「非現実的なことが現実になってしまった」ひとつでしょう。すごく残念なことです。

 

 2.26も維新ももちろん気づきましたが、スルーさせていただきました。2.26については日頃から一部の人たちを「ネオ皇道派」と認定して「2.26事件の青年将校みたいだ」などと毒づきまくったり、その翌年の1937年から始まったと坂野潤治が言う「崩壊の時代」の再来だ、などと叫びまくっているくらいですから気づかないわけありませんが、別に2.26の当日だから触れなければいけないとは全然思いませんでしたし(それこそ食傷気味ってやつです)、維新はそれこそ「大前研一をもじったんだろうな」と思ったのでした。大前研一の「平成維新の会」は1989年頃だろうと勝手に思い込んでましたが、1992年11月ですか。日本新党の発足(1992年5月)より遅いとは思いませんでした。日本新党が発足した時には、今こういう政党が現れたら支持されるだろうなと思ったものです。私自身は支持しませんでしたけど。新自由クラブの再来って感じでしたね。なんだ、大前研一の方が二番煎じだったのか、そういやそうだったかもしれないな、ってとこです。

 その1992年の日本ですが、どことなく没落の気配が漂い始めてませんでしたっけかね。実際、後年になってその頃にはバブルは既に弾けていたと認定されましたし、バブル経済にもリアルタイムで胡散臭い印象を持っていました。私の周囲でも、株価がいつまでも上がり続けるなんてあり得ないよ、と言っていた人は結構多かったです。私の生活実感からいえば、日本の本当の頂点は1978年頃だったんじゃありませんかね。あの頃は経済に実体が伴っていたように思います。

 これだけではなんなので、『広島瀬戸内新聞ニュース』の2月26日当日のエントリを以下に引用しておきます。筆者のさとうしゅういちさんの意見に、私もほぼ同感です。

 

hiroseto.exblog.jp

2.26事件から83年。
この事件は皇道派青年将校による「天皇陛下万歳を装った社会主義暴力革命の失敗」というのが本質だったと思う。
彼らのテーゼには政治における男女共同参画や、治安維持法廃止など、今日的にも見るべきものはあった。
ただ維新=革命といってもその後の構想は皆無に等しかった。高橋是清ら既成政党や牧野伸顕ら元老に「天誅!」を加えさえすれば、日本は良くなるという程度のものである。
結局、既成政党と皇道派は共倒れになり、最悪の軍部統制派の東條英機らが実権を握っていくことになる。そして、思想犯保護観察法がこの事件を契機に制定される。「お上に逆らうのはまずいこと」という今日の日本人にも強く残っている意識は、実は2・26事件へのこれらの「カウンタークーデター」によって醸成された面も多々あると思う。言い換えれば2・26事件に対する統制派のカウンタークーデターで、日本人は権力に従順になっていった、その後遺症は新憲法にかわった戦後も残っていた、ということだろう。
ちなみに、現代も似た歴史を繰り返している。
2012年頃、「既成政党に天誅!」的な我々「市民派」や、「公務員に天誅!」大阪維新が「皇道派」の役目を果たした。民主党内でも「政友会」的(地方)な小沢グループと「民政党」的(都会)菅・野田グループの対立から内ゲバが加速していたのは政友会と民政党が足を引っ張り合っていたのに似ている。
そして、小選挙区制の下で、民主党と維新が食い合いのような形になる中で、「統制派」ともいえる安倍自民党が政権に復帰。その後の「翼賛選挙」ともいえる国政選挙で「信任を得た」として暴走している有り様は戦前/戦中に類似していると言える。