kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

30年前と今の「北方四島問題」と「政治権力と人民との距離」の変遷(ヴォロージャさんのコメントより)

 今日(2/27)で「はてなブログ」に引っ越ししてからまる1か月になるが、「はてなダイアリー」との大きな違いとして、トラックバック機能を廃止したことと、コメント欄が読者のためよりもブログ主のためを考えた設計になっていることだ。今使っているデフォルトのデザインでは「はてなダイアリー」にあった「最近のコメント」欄がなく、不便を感じる読者もおられるかもしれないが、ブログ主だけが見られる管理画面にはコメントの一覧表がある。そこにははてなidまたはリモホidが表示される。昨夕、ヴォロージャさんからあとで紹介する2件のコメントをいただいたのだが、承認したのは深夜11時台に帰宅してからだった。ところが承認後間もない23時23分に同じ「ヴォロージャ」を名乗るなりすましの嫌がらせのコメントが入った。そいつのリモホidは特に番号を秘すが「77.111.247.*」だ。*は毎回変わるが昨夜は186だった。またその前の247が245だったこともある。このリモホidが本物のヴォロージャさんとは全く違うので、なりすましであることが一発でわかるのだ。ちなみにそいつのコメントは「はてなブログ」開設以来一度も承認していないが*1、最近は私だけではなくコメントをいただいた方々にも毒づくという外道ぶりを発揮している。ヴォロージャさんのコメントを承認するやいなや早速反応するあたり、ブログの更新をチェックして、コメント欄までをも監視するほど粘着しておられるようだ。私はコメントの一覧表を見ながらにやにやしているのだが、残念ながらそれは私にしか楽しめない。それではもったいないので、「はてなブログ」のコメント欄管理をここに紹介した次第。

 

 さて、ヴォロージャさんのコメントは下記2件。なお、読みやすさを考慮して、2件を続けて引用した。

 

ヴォロージャ

今日は2月26日です。kojitaken氏の最近の論考を拝見していて、30年近く前に書かれた古い小説を思い出しました。題名は「首相官邸を爆破せよ!」著者は檜山良昭氏。週刊宝石に91年夏から翌年春まで連載されたもので、すぐ単行本化され、現在も電子書籍で入手可能です。https://booklive.jp/product/index/title_id/227308
「ある閏年の2月26日朝、空自の戦闘機が東京上空に飛来し首相官邸にミサイルを発射、伊豆諸島沖でレーダーから消えた。動揺する政府に平成維新会と名乗る犯行声明が届く。そして政財界の大物が明らかに陸自の装備で次々暗殺されていく。どうやら平成維新会は陸海空自どころか官僚や民間人にも仲間がいるらしい。官房長官は、事故で視力を落として退官していた元空自パイロットの探偵を三等空佐として呼び戻し、最初に戦闘機が飛び立った百里基地に潜入させ平成維新会の正体を探らせようとする。しかし、次々と事件が」という筋です。
歴史に残る名作、とまでは私は思いませんが、この作中で大問題になっている架空の汚職事件が「北方四島疑惑事件」といい、作中では2年前に返還された北方四島はすぐ開発規制法が作られたが、リゾート開発を目論む建設会社や不動産会社が政府与党に贈賄しまくって規制法は骨抜きにされてしまった、それが発覚して大問題になっているがどいつもこいつもシラを切って居直り続けている、という設定なのです。原子力事業連合会という組織も登場します。色丹島に核廃棄物処理場を作りたくて莫大な贈賄を仕掛けたが、その実働職員は前年秋に逮捕、その上司の渉外役員は正月に自殺して遺書で全ては総裁の指示だったと暴露、その総裁は元通産次官の天下りだが全責任を否定して居直り続け、マスコミの集結している前で狙撃される、という展開です。

 

自衛隊内の秘密結社による連続テロ、クーデター計画という虚構性の強い題材ですが、作者はそれ以外は誠実に話を作っています。登場人物の大半は真面目に仕事に取り組んでいて、露骨な悪役は見当たらず、マスコミや野党は影が薄いとはいえ一切与党に迎合していません。もちろん、デマカセを並べ立てて野党を罵る御用勢力など完全に絶無。だから内閣支持率は既に1割以下。後半、自分も原事連や観光資本から金を受け取っていたことを官房長官から告白された秘書官と安全保障室長が、最後の忠誠心を吹っ飛ばして長官をなじってから退室する場面、当時は誰も不自然に思わなかったでしょうが(秘書官は警察庁の上司の推薦で就いたのだから官房長官個人にどこまでも従う義理はない。安保室長も腐敗政治家のための仕事など心底嫌がっている)、むしろ現在の安倍政権を知っていたら却って非現実的かも知れません。
今の現実の自衛隊など、安倍自民党の国富私物化に激怒して反乱するどころか、その手先になって白色テロを嬉々として努めそうだ。30年近く前のこの国は、悪は悪として糾弾されるのが当然だった、悪が公然と君臨してただの庶民までがその正当化に躍起になるなんてとても考えられなかった、だから技術や経済が世界の一流だったんだろうな、と今私はつくづく思っています。
91年後半というとソ連は混迷期、日本は政治不信がひどかった時期ですが、択捉島まで返還されるという期待はそれほどあったのでしょうか。

  

 檜山良昭著『首相官邸を爆破せよ!』は1991年から92年にかけての雑誌連載とのことですが、1991年3月末に友人と旅行した時に交わした下記の会話を思い出しました。

 

  日本政府は北方領土問題を金で解決しようとしてるようにしか見えないね。

 友人 しようとしてるんじゃない。「買う」んだよ、北方領土を。

 

 そう、択捉島も金でロシアから「買える」のではないか。それが当時の空気でした。なお当時の総理大臣は海部俊樹でしたが、いうまでもなく「担ぐ御輿は軽くてパーが良い」と言い放った小沢一郎が実権を握っていました。

 北方四島はすぐ開発規制法が作られたものの規制法は骨抜きにされて(ゴルフ場などに)開発されてしまうというのも、当時の人なら誰でも考えそうなストーリーだと思います。読書ブログにも書いたかと思いますが、実際私は国後島択捉島にゴルフ場ができたら嫌だなあと思っていました。

 1991年から92年にかけての政府与党に対するマスメディアの姿勢といえば、当時朝日新聞夕刊コラムの「素粒子」が頻繁に「金竹小」、つまり金丸信竹下登小沢一郎を叩いていたことが思い出されます。ただ、海部内閣は自民党政権の中では支持率が比較的高かった方で、1991年秋の宮澤喜一内閣への交代も唐突だった記憶があります。そうそう、この時の自民党総裁選であの悪名高い「小沢面接」が行われたんでしたよね。

 やはり変わったのは90年代初めの「政治改革」からでしょうか。あれほど悪役として叩かれていたはずの小沢一郎が「改革者面」して持ち上げられていたのに唖然としたものですが、その小沢は1993年と2009年の二度の政権交代にかかわり、それに挟まれた時期には高支持率を誇った小泉純一郎政権がありました。「政治改革」(小沢一郎)と「コイズミ」がファシズムへの道を開いたのではないかと思えてなりません。

*1:『きまぐれな日々』ではつい最近まで承認だけして反応せず晒しものにしていたが、あのブログももう終わりが近いので(そういや明日更新しないと2月の更新がゼロになってしまう。明日更新しよう)承認するのを止めた。