kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

岸信介が真に問われねばならないこととは

きまぐれな日々 メルトダウンする日本の政治/『戦後史の正体』その後 のコメント欄より。


http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1273.html#comment15489

健忘症のkojitaken
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20120719/1342709906

2012.10.16 23:16 lol

投稿者のリモホIDは "*.wmaxuq00.ap.so-net.ne.jp" ("*" は毎回変わるようだ)はしょっちゅういちゃもんをつけてくる「反米保守」の「小沢信者」だが(但し "lol" というHNを使ったは今回が初めてだと思う)、こいつの頭の悪さはあまたいる「小沢信者」の中でも突出している。こいつのコメントはあまりにも程度が低くて笑えるから、たいていの場合そのまま承認して掲載しているが、上記のコメントは特にすごかった。大爆笑してしまった。こいつがリンクしている記事を再掲しておこう。


岸信介・正力松太郎・中曽根康弘は「アメリカの手先」ではなかった - kojitakenの日記

思うのだが、「○○○○○はアメリカの意向を受けて動く人間だが、○○○○はアメリカにものが言える人間だ」などというステロタイプ善悪二元論は捨てた方が良い。岸信介にせよ正力松太郎にせよ、CIAから資金援助を受けていたところで、根本的なところでは彼ら自身の信念に従って行動したのである。佐野眞一は、正力松太郎が "PODAM" というコードネームを持つ「CIAのエージェント」だと言われていることについて「それがどうした」と言う。正力はアメリカをも手玉にとろうという気概を持っていたというのである。その通りだと思う。岸信介にしたところで、CIAから金をもらってアメリカの意のままに動く「売国奴」だったのではなく、岸は岸なりに「国益に資する」と信じて60年安保の改定を強行したのである。このことを著書で指摘して、私の目を開かせてくれたのは、今ではおかしな方向に行ってしまった宮崎学である。

ましてや、1956年に「憲法改正の歌」を作った頃の中曽根康弘は、「アメリカ何するものぞ」の国粋主義者であり、原発の導入も「アメリカ様の意向に従った」ものでは毛頭なく、日本を強大な国家にするための政策だった。そういった「敵」の意図を正当に認めた上で、「敵」の主張や論理に批判を加えなければならないと思う。

以前にも何度も書いたと思うが、70年代後半をピークとする日本経済の絶頂期にアメリカで流行ったのは「日本脅威論」の延長線上にある「日本陰謀論」である。その論法によれば、アメリカにとって都合の悪いことは何でもかんでも「悪徳ペンタゴン」の一角を占める日本の陰謀だった。

今、「小沢信者」をはじめとする「アメリカ脅威論」の論者たちがやっていることは、上記の裏返しにほかならない。


どうやら、「lol」は孫崎享の「岸信介は『自主派』の政治家だった」という主張を私が批判していると思い込んでいるらしい。なんて頭が悪いんだ。「小沢信者」ってこんな馬鹿ばかりなのだろうかと思わず口あんぐりになってしまった。

lol」みたいな馬鹿でもわかるように丁寧に教えてあげようか。

元記事で言及した宮崎学の著書から引用する。


安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介

安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介


宮崎学は、1960年の安保改定が、それに先立つ全面講和論と単独講和論の対立構図、あるいは従米外交(吉田茂)か自主外交路線(鳩山一郎)かの対立構図と関係づけた上で1960年の日米安保条約改定をとらえなければならないと指摘している。それに続く文章を引用する。

 このように見てくれば明らかなように、日米軍事同盟が片務的か双務的かというような問題において国の独立が問われていたのではなかったのだ。具体的には全面講和か単独講和かで国論が二分され、非同盟中立か、反共軍事同盟か、ということが歴史的選択として問われていたのである。その大きな流れが、岸内閣による安保改定の際に、安保破棄による日米軍事同盟からの脱却か、安保改定による日米軍事同盟の強化かという安保をめぐる歴史的選択として、ふたたび浮上してきたのである。これが六〇年安保のさいの選択肢だったのだ。

 確かにその歴史的選択は、そのままの形では現在失われてしまっている。しかし、そこに立ち戻りもしないで、安保改定が自立だったといっているのは、ただ現状追認という怠惰な保守主義を歴史に投影するものでしかない。

 そして、岸自身は、この選択に当たって、日米軍事同盟の強化の途を選択した。それは、岸がアメリカに追随する売国政治家だったからではもちろんないし、岸なりの長期的な展望と構想をもっておこなったことなのである。その展望と構想とはどういうものだったのか。それこそが問題にされなければならない。

宮崎学&近代の深層研究会編『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』(同時代社, 2006年)159-160頁)


赤字ボールドの部分は、そのままでも孫崎享トンデモ本『戦後史の正体』への批判としても通用しそうだが、『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』は『戦後史の正体』に先立つこと6年、2006年の刊行である。この本はほとんど売れなかったと見え、アマゾンのカスタマーレビューはただの1件もついていないが、歴史認識に関してはトンデモ本である『戦後史の正体』とは全く違ってまっとうであることはいうまでもない。