kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

孫崎享と安保闘争をめぐる3人の方のコメント

またまた孫崎享批判だが、調べれば調べるほど孫崎享という人物は批判すべきところだらけなのだ。


さて、こんなブログ記事があった。
Dendrodium マスコミのデモの扱い方で類推されるもの

左派ブログ界に孫崎亨さんの「戦後史の正体」が、岸元総理を自主派に分類している事に反対する意見が見られる。


このブログ記事には出典が明記されていないので、果たしてどこぞの「左派ブログ」がそんな戯言を書いたのか私にはわからない。


私の意見を言っておくと、「そもそも『自主派』と『対米従属派』という二分法自体がナンセンス」というものである。

私の孫崎享批判のポイントは、

  1. 孫崎享は「謀略史観」に立脚している。
  2. 孫崎享は「押しつけ憲法論」をあけすけに表明している。以降の文章でも、改憲論を明記こそしていないものの、改憲論を暗黙の前提にして立論している。
  3. 孫崎享は、「リベラル・左派」の間で「全否定」が定着している「A級戦犯容疑者」・元首相岸信介への評価を180度転回させようとしている。
  4. 孫崎享は、60年安保闘争の評価も180度覆そうとしている。
  5. 孫崎享は、元首相佐藤栄作沖縄返還の際にアメリカと結んだ密約を不問に付して、佐藤栄作を免罪するだけでなく積極的に評価さえしている。

という諸点だ。同じ岸信介を論じた宮崎学の著作(宮崎本)において、孫崎本と同様に吉田茂鳩山一郎岸信介の比較対照がなされているが、宮崎本では3人の政治家の日本国憲法に対するスタンスをはっきり書いているのに対して、孫崎はそれを書いていない。意図的に無視しているのだ。そのことは、下記「きまぐれな日々」の記事に引用した、宮崎本と孫崎本の比較から明らかだ。

きまぐれな日々 安倍晋三「長期政権」の悪寒/左派内から崩れる「護憲論」


さて、60年安保闘争は実は私が生まれる前の出来事なのでリアルタイムでは知らないのだが、上記のブログ「Dendrodium」のブログ主及びコメント、それに上記「きまぐれな日々」にお寄せいただいたコメントを下記に紹介する。私のコメントはあえて差し挟まない。


まず、「Dendrodium」の本文より。

私も「戦後史の正体」を読んだ時、岸元総理や佐藤元総理が自主派との分類に、ちょっと首をかしげさせられたのだったが・・・・・
でも孫崎さんが言っておられることは、本当なのかもしれないと思えるところもある。

今年夏10万人を越える原発反対のデモ(主催者発表20万人)が起き、その後も毎週、万を越える人々が原発反対官邸前デモに参加していたと言うのに、当初(主催者発表20万人デモが起きたとき)NHKはこのデモのことを殆ど報道しなかった。
ネットで見ていなかったら私のような地方の者は、東京の真ん中で大勢の人がデモに参加しておられても、全然知らないままになっていただろう。

60年安保の頃のNHKは、今ほど偏向していなかったからなのかも知れないが、まだ敗戦からそれほど経っていない頃だから、デモのことを報道する事が、アメリカの意向に真っ向から反していたのだったら、
安保反対デモをあんなに大掛かりに報道できたかな?という疑いがのこる位、大々的に安保反対デモのことを報道していた。

現在とは真反対で、テレビは連日安保反対デモに参加している人々を、参加者の息が感じられるくらい生々しい映像で報道していた。
私は当時中学生で長崎市に住んでいたが、東京から遠く離れた長崎市で、インターネット等思いも及ばない時代にもかかわらず、国民が政府に反対して集まっているデモを、身近なものとして感じる事が出来ていた。
安保反対に集結しているデモのことが、当時の国民の殆どの人の耳に達していて、国中が沸きあがっている感じであった。

昨年の初め中東で、フェイスブックで仲間が広がったという大々的なデモが起き、テレビや新聞で「アラブの春」と持て囃していた。
私はデモによって、暴君の様な権力者が排除され、本当にアラブの人々に、幸せが廻ってくるのかと期待して見ていたが、実際に起きたことは、当時の権力者が力ずくで排除されただけで、現地の人々は新たな政情不安で、更に厳しい生活を強いられる様になっただけだった。

アラブの春」デモからも分かるように、権力が大々的に報道するデモには、何か裏があるのかもしれないと思われる。
本当の権力者にとって迷惑なデモであったら、デモが起きていることが、世界の人に知らされることは殆どないのではないだろうか。

アラブの春」が謳われていた頃でも、サウジアラビアカタールで起きたデモは、その国の政府によって弾圧されも、報道される事はなかったと聞くし、
3年ほど前にホンジュラスで、現職大統領が拉致されて、国民が大々的なデモを起こしたときも、私はネットでそのことを知ったけれど、日本の新聞やラジオが大々的に報道する事はなかった。

こういう報道姿勢に鑑みると、岸総理が安保条約を改正するに際して、アメリカに楯突いてでも、本気で日本の国益の為に交渉していたと言われる孫崎さんの観測は、当たっているのかもしれないと思われる。
尤も、岸総理が戦犯を免れた上に、アメリカから応援を受けて政権に就いた事を考え会わせると、岸さんが遣った事の大部分は、アメリカの意思を代行する政策だったのかもしれないが・・・・・


次に、「Dendrodium」のコメント欄より。なお、引用符号を省略した。

小生、60年安保の頃は、小学生でした。それでも、何故かあのデモを知って、学校でアンポ・ハンタイといってスクラムを組んで、教師に怒られたものです。
小生、70年安保の頃は、大学生でした。
それで、テレビでも新聞でも、全共闘という過激派学生のでたらめ放題を、いかにも意味ありげに報じるのをいぶかしく思っていました。
全共闘に参加しないと、それだけで、民青、共産党とののしられるのでした。アカハタも読んだことがなく、民青の集会にも参加したことがないので、共産党党員や、民青になりようもないのですが。
全共闘の敵は、どうやら、自民党ではなく、共産党のように思えました。つまり、反共運動に思えました。
過激な運動によって、学生も市民も反政府運動から遠ざかるようになりました。やがて、さんざん過激派をあおった朝日ジャーナルも廃刊になりました。
そこで、60年安保反対運動は知らないのですが、70年を前にした学生運動には、財界、アメリカの支援があっただろうとずっと思っていました。実際、財界からの支援はあったようです。
それで、孫崎さんの60年安保の学生運動に対する推測を読んで、やっぱりな!と思ったものでした。
70年代の全共闘シンパの同級生、案の定、民主党支持派が多く、決して共産党社民党ではないようです。


最後に、「きまぐれな日々」にお寄せいただいたコメント*1

孫崎本を読みました、確かに岸信介を自主派に仕分けしています。私もビックリ仰天です。宇沢弘文先生が著書にも、講演でもハッキリ言ってみえますが、岸は児玉と一緒にCIAに助けられて着いた所は、弟の佐藤栄作の幹事長室だったと。
私は60年安保で議事堂前で、警官とやりあった全学連京都支部の学生だったが、岸はアメリカの奴隷政治家として、安保反対と彼を倒すのが目的だった。
経済界からの支援なんか、ビタ一文貰った覚えはない。コノ本を読んで「バカヤロウ」と言いました。京都から東京まで夜行のドンコ列車で、通路で寝て行った覚えがあります。
岸はその後CIAから多額の資金を貰って、アメリカの為の日本の政治に邁進した、売国奴だと思っています。

2012.10.11 17:11 たそがれ裕次郎