kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

いつの間にか岸信介を批判していた孫崎享(呆)

あの(長谷川幸洋と同じく)山本七平賞受賞者にして岸信介を熱烈に信奉する右翼だったはずの孫崎享が、いつの間にか岸信介を批判するツイートを発していたのをみつけた。今年4月3日付のツイートである。

https://twitter.com/magosaki_ukeru/status/584114055800958976

孫崎 享
@magosaki_ukeru

個人攻撃するつもりはないが、岸信介(開戦時内閣の大臣。開戦に賛成)、や吉田茂(外務省を軍隷属に進める)は戦争責任を負うべき人物。その孫達反省もなく戦前を評価しようというのだから、日本という国がいかにいい加減な国かわかる。しっかり責任の所在追及しないとこんないい加減な事態を作る。

15:03 - 2015年4月3日


言っていることは正しいが、孫崎に言われても「お前が言うな」としか思えない。「孫達反省もなく」という部分にはテニヲハが抜けているばかりでなく、「達」は「崎」の誤入力に違いない。

なにしろ、「孫崎享 岸信介」を検索語にしてGoogle検索をかけると筆頭に引っかかるのは下記のブログ記事なのだ。


ブログ主は植草一秀の影響を受けたイタいお人のようだ。反米右翼系陰謀論者と見受けられる。しかし、そのいかにも孫崎と相性が良さそうな反米右翼系陰謀論者でさえ、孫崎の珍説に疑義を呈している。以下引用する。

 日米太平洋戦争敗戦のA級戦犯であった岸は米戦争屋GHQと司法取引して、CIAエージェントとなる代わり、巣鴨プリズンから無罪放免されています。そのため、死ぬまで、A級戦犯で処刑された元同僚の亡霊に悩まされていたとみえ、個人的に、愛知県の三ヶ根山殉国七士廟を建立しているほどです。

 岸信介は戦前派日本人であり、戦前の皇国教育を受けてきたわけで、他のA級戦犯とともに、米戦争屋を敵として戦ってきた人物です、だから、米国と戦ってきた同志を裏切って、自分だけが生き延びて、米国戦争屋の手先となっていることを、上記、殉国七士の亡霊が責め続けてきたと思われます。

 その意味で、岸信介は、現在、米戦争屋CIAの手先となっている悪徳ペンタゴン日本人勢力(面従腹従)とは、いささか異なる悪徳ペンタゴン日本人(面従腹背)の元祖だったのかもしれませんが、愛国日本人としての対米自立派とは決して言えないと思います。


また、同じGoogle検索で4番目に引っかかったのも、妙ちきりんな反米右翼系のブログ*1だが、やはりぶっ飛んだことを書いている。

岸信介はCIAの走狗ではなかった!? : nueq lab(2012年10月1日)より

さて、孫崎さんの新著によって岸信介は 「 実は売国奴ではなく、自主独立路線を貫いて失脚させられた 」と云う評価に変じてきます。
そうなると、岸信介の孫:安倍晋三自民党総裁返り咲きと妙にタイミングが合ってきます。

安倍晋三が2007年9月の首相辞任に関して下痢( 潰瘍性大腸炎 )が原因だったというのが通説になっていますが、実際にはアメリカからの莫大な資金( どうも「 天皇の金塊 」が絡んでいるようです )のカツアゲにさらされてケツをまくった。 というのがどうやら実際だったようです。 その後を受けた福田康夫ものらりくらりと交わし、麻生太郎天皇家の一族となり、訪欧時にはバチカンに参拝している )の時、この資金( の一部? )をヨーロッパ救済のためにIMFに寄付したのが中川昭一:財務金融大臣で、これにより玉金太郎とゴミ売越後屋による酩酊会見が仕組まれ、挙句の果てに暗殺されてしまったのでした。

安倍晋三は、 マッキンゼー維新の会・ハシシタに秋波を送っていますが、 実は隠れ原子力推進派だったハシシタと同じく、原子力のことや核物質の何かるかについてはまるで無頓着のようです。
反対に、311フクシマで放射性物質が怖くて東北から逃げたと奥さんの手紙に書かれたとされる小沢一郎も同じくハシシタとの提携が噂されていますが、もしも安倍晋三が 「 自主路線 」 を貫くなら、アメリカのポチ = ハシシタ ではなく、小沢一郎との共闘に親和性があるものと思われます。 安倍は小沢から原発放射性物質の何たるかをじっくりレクチャーしてもらうのが良いのではないでしょうか。
そして安倍宗任(あべのむねとう)の子孫と云われる安倍晋三は、2006年の自民党総裁選出馬に際して岩手県の安倍一族の守護神をまつる磐神社で出陣式を行なっており、岩手の小沢一郎との関連もあります。

次の総選挙で、非国民主党が壊滅する中、自民党も割れて小泉シンパのアメリカポチ勢力と袂を分かち、安倍・小沢新党が誕生すると面白い展開になりそうです。


ネジが緩んだというかヒューズが飛んだというか、およそまともな文章とは到底思われないが、最後のセンテンスが注目される。

つまり、『戦後史の正体』を書いた時の孫崎の狙いは、安倍晋三小沢一郎を接近させることにあったのではないかと想像される。そしてブログ主はもののみごとに孫崎に誘導されてしまったと私は見るのである。

そんなことは今となっては笑い話にもならないが、上記ブログ記事が書かれた2012年10月初旬は、衆議院選挙で日本未来の党が惨敗する前であり、小沢一郎を政局のキーマンと見る向きもあった。当時は、小沢一郎の存在感がまだまだ大きかったのである。孫崎が『戦後史の正体』を出して、世の「小沢信者」を「目から鱗が落ちた」と感激させ、岸信介の批判者から信奉者へと転向させたのは、そんな時期だったことを思い出す必要がある。孫崎が流した害毒に、あらためて思いを致さなければならない。

上記2つのブログ記事に見られるように、反米右翼の連中も孫崎の説に全面的に同意したわけではなかった。孫崎の珍説を無批判に受け入れた主たる勢力は「小沢信者」たちだったのである。

その「小沢信者」たちを転向させた孫崎享が、もう誰も覚えていないだろうとばかりに、こっそり岸信介批判のつぶやきを発していた。だがそれは、孫崎の本心から発したつぶやきではおそらくない。孫崎は本心では今も、山本七平岸信介を敬愛してやまないのではないかと想像する今日この頃なのであった。

*1:コメント欄に、最近某「リベラル」のブログにもしきりにコメントしていた「通りがけ」が、醜悪なユダヤ陰謀論のコメントを大量に投稿していることに気づいた。某「リベラル」のブログへのコメントもぶっ飛んでいるが、そこではユダヤ陰謀論の文言はかなり抑えられている。