kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

立憲民主党などによる政権交代は、新政権に対する期待値を上げすぎず、なんだかぬるっと交代することができることが理想だと思っている。(政治おじいちゃんお化け氏のX)

 政治おじいちゃんお化け氏のXより。

 

 

 これは心から共感できるところであって、衆院東京15区補選はまさにそういう選挙だった。

 選挙ヲチャの人からは、当選した立民公認候補の訴えが「無難だが訴求力がない。だから他の候補に抜かれるかもしれないと思った」などとされてあまり高い評価を受けていないが、他の候補がとんがったネオリベだったり超極右だったりトンデモ陰謀論者だったり、挙げ句の果てには暴力行為を旨とする集団の一員だったりしたところに加えて、策に溺れた巨大権力者が「敵失」をやらかしたために告示日には既に「本命」になっていた候補が、とんがった訴えをする必要など何もない。そんなことをやったら他の候補たちと同じになってしまう。「魑魅魍魎だらけの中に一人だけ無害そうな候補がいたから選ばれた」とも言われたが、それで良いのである。候補者は昨年12月まで区議だったし区長選に出たことからもわかる通り、国政よりも地域の政治に主な関心があった人に相違なく、だから党からの出馬要請に最初難色を示した(とされている)のだろうが、立民の内部調査で、集票力が地元出身の某トンデモ陰謀論者に次いで高かったから国政選挙の候補者に選ばれた。今だから書くが、以上の経緯から当該候補者が未熟だったのは当然で、選挙の時点ではそこには目をつぶるしかなかった。結局、他の候補の訴えがどいつもこいつも異常だったから消去法で選ばれた形だ。

 次回だか次々回だかは知らないが、仮に政権交代ともなれば今の執行部の問題点がいろいろ出てくるに相違ないが、ともかくこの3つの衆院補選には立民が全勝するしかなかった。東京と島根のいずれかを落とした場合には、補選前と全然変わらない重苦しい澱んだ空気が続いたに違いない。だがとりあえず結果を出したことで「変えられる」望みをつないだ。

 2009年の政権交代選挙みたいな(あるいは逆側の立場でいえば2005年の郵政総選挙や、安倍晋三が権力の座に復帰した2012年の衆院選みたいな)極端な結果はかえって有害だ、というより有害きわまりないと思う。小選挙区制はああいう結果を出しやすい制度だから私は昔から今に至るまで大反対で、マイルドにしか議会の勢力分布が変わらない比例代表制をベースにした選挙制度に変えるべきだと言い続けているが、現行制度で衆院選が行われる以上、いかにしてマイルドな政権交代にするかの知恵が求められるとさえ思う。そうでなければ比例代表制への制度改変を主張する者として主張の筋が通らない。

 「なんだかぬるっと交代する」政権交代で良いのだ。