『戦後史の正体』(創元社,2012)の著者・孫崎享が岡留安則の死を悼むツイートを発信した。
訂正:「噂の真相」編集長、岡留安則氏が肺がんで死去.71歳.『戦後史の正体』が広く読まれるようになったのは、岡留氏が書評を書いてくれてそれを共同通信が配信したからです。感謝いたしています。
— 孫崎 享 (@magosaki_ukeru) February 2, 2019
そう、岡留は『戦後史の正体』を絶賛する書評を共同通信に書き、それが全国の地方紙に掲載されたのだった。すっかり忘れていたが、ネット検索をかけると7年前に私自身がそのことに関する記事をかなり書いていたのに参った。だが肝心の岡留による書評の原文にはたどり着けなかった。
『戦後史の正体』は、2012年7月24日に発売された。この本を一言で言えば、戦後の日本の総理大臣を「対米追随派」と「自主独立派」とに分けた上で岸信介を後者に分類して絶賛するかたわら、日本国憲法をわずか7頁の「押しつけ憲法論」に基づく記述で片付けた、とんでもない右翼反動的な書物だ。
私は現物を持っているが、押し入れの奥深くに眠っていて引っ張り出すのも面倒なので、当時この本を読んだ人が書いたブログ記事から、孫崎がどのように総理大臣を分類したかを示す。
以下上記リンクから引用する。
「戦後史の正体 1945−2012」は元外交官の孫崎享(まごさき・うける)さんの著作です。ことに、日本の外交とは、9割が対アメリカに精力が割かれるなかに於いて、アメリカが日本に押し付けてくる無理難題について、時の総理大臣がどう関わるかで、その総理の命運が左右されるという視点が斬新です。
三つの反応があります。また、そのような反応を取った総理大臣を挙げますと(本P366−P368)
@対米自主派・・・積極的に現状を変えようと米国に働きかけた者
重光葵(まもる)(この人は外務大臣)、石橋湛山、岸信介、佐藤栄作、田中角栄、細川護熙、鳩山由紀夫など
@対米追随派・・・米国に従い、その信頼を得ることで国益を最大化しようとした者
吉田茂、池田勇人、三木武夫、中曽根康弘、小泉純一郎など
『戦後史の正体』に対する批判は、かつて掃いて捨てるほど書いたから今回はこれ以上書かない。最近よく思うのは、2010年代の日本を暗転させて、年末に『崩壊元年』が始まった2012年に、なぜ日本国民は第2次安倍内閣の発足を許してしまったかのかということだ。
孫崎は、1993年に「山本七平賞」を受賞した保守人士で、2002年から2009年まで防衛大学校の教授を務めていたこともある。人脈的には鳩山由紀夫シンパに属する人間で、鳩山を介した「おつきあい」で小沢一郎とつながった。孫崎が『戦後史の正体』を書いていた2012年前半には、小沢は配下の議員たちの離党(彼らは民主党を離党して「新党きづな」を立ち上げた)によって民主党内の権力抗争を勝ち抜く目算が狂い、自らも民主党を離党して「国民の生活が第一」を立ち上げざるを得なくなってしまった。当時、自民党内で同じように不遇をかこっていたのが安倍晋三だった。そこで、鳩山・小沢シンパの孫崎は、「反米愛国」を軸にして小沢一郎と安倍晋三をくっつけたいと考えたのだろう。私はそう推測しているし、それ以外に孫崎が岸信介や佐藤栄作を「自主独立派」として絶賛した意図を解釈することはできないと考えている*1。
一方、右翼かつ新自由主義の御輿として同じ安倍晋三を担ぎたいと考えたのが、橋下徹と松井一郎だった。彼らは安倍晋三をスカウトしようと動いたが、「終戦記念日(敗戦記念日)」の朝日新聞(8/15)1面記事にスッパ抜かれてこの工作も成功しなかった。自民党から引き留めを受けると、本音では自民党で復活したい安倍は小沢一郎(の意を受けた者)や橋下徹には目もくれなかった。
さらに、自民党内では宏池会の谷垣禎一が総裁だったにもかかわらず、極右的な第2次改憲草案を策定するなど、党内の右傾化に呼応した動きを進めた。
秋の自民党総裁選では、どういう理由かはわからないが谷垣を引きずり下ろして石原伸晃を担ぎたかった古賀誠が何を考えたか「谷垣降ろし」に走った。下記は自民党総裁選直前の2012年9月18日に私が『きまぐれな日々』に書いた記事。引用は省略する。
頼みの綱は、森派内で分裂して立候補した(森喜朗の本命だったとされる)町村信孝が安倍晋三の票を食って安倍が決選投票に残れない敗北を喫することだったが、こともあろうに総裁選のさなかに町村が脳梗塞で倒れてしまった(その後2015年に死去)。
まとめると、2012年には下記のできごとがあった。
- 安倍晋三をめぐって小沢・鳩山派(その尖兵が孫崎享)、維新の会(橋下・松井)、自民党の三者の綱引きがあり、安倍は自民党を選んだ。
- 「リベラル・ハト派」のはずの自民党総裁・谷垣禎一のもとで自民党の極右化が進んだ。
- 自民党総裁選で古賀誠が「谷垣降ろし」の軽挙妄動に出た。
- 自民党総裁選のさなかに、森派分裂候補で森が推していた町村信孝が倒れた。
こうしたいくつもの要因が重なって、安倍晋三の総理大臣返り咲きを許したといえる。
このうち、あとの3つは自民党内に関することだから、リベラル・左派の課題としては、最初の1点として挙げた「安倍晋三の綱引き」に、孫崎の著作に表れた「リベラル・左派」の流れがどうかかわったか、それに尽きるだろう。私はそれを「安易な『反米愛国』」の流れに寄りかかった「リベラル・左派」の自滅だったと考える。
私は何も「親米の態度を取れ」などと言っているのではない。当然ながらアメリカは批判すべきだが、正しい批判をせよ、と言っているのだ。沖縄の米軍基地問題などが特にそうだが、実際にはアメリカの圧力以上に、日本の権力者たちが自主的に米軍を沖縄に居座らせようとしていた。孫崎がかつて「自主独立派」として褒め称えた佐藤栄作などはその代表格だった。その佐藤や安倍晋三の母方の祖父・岸信介を絶賛する孫崎の著書を岡留安則は絶賛した。それは「リベラル・左派」に蔓延していた「安易な『反米愛国』」の陥穽だった。これにも前段階があって、民主党政権ができる少し前に、反自民党政権の流れに「反米右派」たちを多数巻き込んで「『右』も『左』もない」政権交代希求のムーブメントになっていた。それは岡留や彼を含む小沢・鳩山シンパにとどまらず、孫崎は共産党幹部と並んで脱原発のデモで行進したり、『しんぶん赤旗』に登場したりした。つまり、「安易な『反米愛国』」の流れは文字通り「『右』も『左』もない」一大潮流になっていた。しかし、その「反米」も「愛国」も戦前・戦中の日本との連続性を持つものだった。それが、戦前日本が1937年から1945年までの間に経験した「崩壊の時代」を繰り返す原因になった。
私は以上のように考える。