上記リンクから引用する。
(前略)さらに、「ともに小沢一郎に魅入られた本多勝一と日本共産党の共通点として、「反米愛国」が挙げられる」とも。「反米愛国」*4というスローガンはたしか、まだ中国共産党(毛沢東主義)の影響力が強かった頃の日本共産党によって唱えられ、その後というか日共の脱中国化に伴って、(連合赤軍の一翼を担った)「革命左派」を初めとする毛沢東主義の潮流において保持されてきた筈(だからといって、共産党がそれを捨てたとは思わない)。岡留さんは元々構造改革派の共産主義労働者党*5の人だったわけで、「反米愛国」とは対立していた筈。非毛沢東主義の新左翼として出発した人が日本共産党的な「反米愛国」に回帰してどうするんだよとは思う。
上記引用文のうち、「ともに小沢一郎に魅入られた本多勝一と日本共産党の共通点として、「反米愛国」が挙げられる」の部分は私が書いた文章の引用。
本多勝一は高校生の頃によく読んだけれども、本多は毛沢東に心酔する一方、ソ連に対しては「侵略的な性格をむき出しにした国」と批判していたと記憶する。のちに、たぶん今世紀に入ってからだと思うけれども、本多が共産党幹部の誰かと対談した時、共産党の「全千島返還論」を褒め称えて愛国者ぶりをアピールしていたこともあった。
そんな本多が小沢一郎と意気投合したのはまあわからなくもないが、岡留安則の場合は転向が急だった。手元に佐高信との共著『100人のバカ』(七つ森書館,2007)があるのだけど、その本では岡留も佐高も小沢に対して一定の批判的な立場をとっていた。
しかし、岡留安則が新左翼上がりだとは知っていましたが、新左翼の諸派の思想にはまるで疎いもので、「非毛沢東主義」とは知りませんでした。じゃあ毛沢東にかぶれていたらしい坂本龍一や高橋悠治とは対立する立場だったってことか。
その岡留が2009年末には小沢一郎と鳩山由紀夫を絶賛してたのだから、あの当時、われもわれもと「政権交代」信者になった人たちがいかに多かったかという一例なのだろう。
著名人ではないけれども私が忘れられないのは、当時メルマガで「共産党、共産党」と連呼していた「共産党信者」の人間が、突如として「小沢信者」に転向したことだ。これには呆気にとられた。今にして思えば、そういう御仁までもが小沢に靡いた時こそ、小沢の「終わりの始まり」だった。
現在、「次の元号は何になると思うか」なる馬鹿げた調査をメディアが行ったら、1位と2位が「安」がつく元号だったりするが(面倒臭いから引用しないけどNHKニュースだ)、このように多くの人間が「安倍へ、安倍へ」と雪崩を打っている時期も、あと数年経ったら「政権交代」前後と同じような群集心理が働いた時代だった、と振り返られることになるのではないか。
これはその通りです。あの当時、『噂の真相』と『週刊金曜日』を両方立ち読みして喧嘩を眺めていました。当時の私は、どちらかといえば本多勝一に対して悪い心証を持ちましたが、岡留安則に全面的に肩入れする気にもならなかったのでした。