自民党総裁選だが、選挙戦終了日の10月3日に小泉進次郎陣営が気の早い「祝勝会」をやったという赤っ恥の話が流れてきている。それだけ麻生太郎が弾いた三味線がみごとにあらゆる人たちを騙しおおせたということだろう。
私も、麻生が本当に推しているのは高市早苗ではなかろうかという疑念がしばしば脳裏をかすめた。しかしあらゆる報道が小泉進次郎当選を既定の事実であるかのように報じているし、そもそも私は高市と小泉の両人は本当にどちらも大嫌いで、せめて林芳正に総理総裁になってもらえないかとずっと思っていたので、万一小泉が負けて高市になったところで、どちらがより性質が悪いかわかったものではないと思った。だから深く考えなかった。これが、小泉ではなくもう少しマシな人物が候補だったらアラームを出せていたかもしれないと思うが、仕方がないし特に残念とも思わない。でも私が知る限りの人間心理の機構からいえば、確かに麻生が執念深く高市を推す方が小泉を推すよりもはるかに自然である。昨年、立民代表選で小沢一郎が泉健太でもなく枝野幸男でもなく野田佳彦を推した心理も、私にはわかる。小沢が嫌な目に遭わされたとの被害妄想を抱く強さの順番は、おそらく枝野>泉>野田の順番だったに違いない。せっかくの「『希望の党』政局」を潰してのし上がりやがった枝野だけは許せないと小沢は今も思っているだろう。また泉健太は、せっかく2021年代表選で支援してやったのに恩を仇で返しやがって、という恨みの対象である。小沢にとって野田は、決して軽くはないが「一番ましな神輿」だったのである。
小沢と同様に、麻生も昨年、自らが蛇蝎の如く嫌う石破茂が当選した時の無念が忘れられなかったのだろう。それは麻生政権時代に石破が麻生を批判して自らの足を引っ張ったという、麻生にとっては絶対に忘れられない屈辱に遡る。だからそんな麻生が小泉を推すよりも、昨年自分と同じ立場で痛い目に遭った高市を推す方がはるかに自然なのだ。人間とは理念ではなく感情で動く生き物である。結果を知って「やっぱりそうなったか」と思った。深く考えれば言い当てられる事象ではあったが、なにぶんにも私は自民党自体が大嫌いで、これまでの人生で自民党に投票しようと思ったことが一度もない人間なので、深く考える気が起きなかったのだった。
麻生政権よりも麻生政権が本来想定していた人事ができているでしょうね。麻生太郎は総理より副総裁の方が天職だったのでしょうね。小沢一郎と同じ、人より長く政界にいれば退職金のような思わぬ権力を手にできます。その泥を被るのは全て有権者、市民ですが。
— レバ子@Labor Struggle (@laborkounion) 2025年10月6日
そういうことだ。昨年の立民代表選での野田佳彦の選出も、今回の自民党総裁選での高市早苗の選出も、いずれもろくでもなかった。両党とも、声の大きさに影響されない本当の支持層のニーズを党首選びの結果に反映させることができなかった。2024年立民代表選と2025年自民党総裁選は、いずれも両党の先行きを暗くさせる党首選だったと私はみている。その核心部分は「長老による政党の私物化」である。そう、本当に立民を私物化したのは枝野幸男ではなく小沢一郎だったのである。そして今回は麻生太郎が自民党を私物化した。その代償を払わされるのは、レバ子さんが指摘する通り「有権者、市民」である。
今回は公明党が高市に揺さぶりをかけている。そういえば自民党総裁選では誰を選ぶかという世論調査に、公明支持層の大半が小泉進次郎を選んでいた。小泉陣営が公明と維新とをがっちり取り込んでいたことは疑う余地はない。しかし小泉が属する自民党に大きな亀裂を入れたのが、ほかならぬ長老の麻生太郎だった。この意味は大きい。「罅(ひび)の入った骨董品」といえば1983年のウラジーミル・プーチンもといホロヴィッツだったが、ホロヴィッツは3年後の来日で汚名を返上して1989年に亡くなった。プーチンや自民党の引き合いに出してホロヴィッツには申し訳ないが、自民党(政権)の余命はどのくらい残っているだろうか。最終段階に起きると私が見ていた公明党の連立離脱を、おそらく今回はブラフに過ぎないとは思うが今回公明党がちらつかせてきたところを見ると、自民党が与党であり続けられる残り時間は予想外に少ないかもしれない。
昨年の衆院選の結果を見ると、公明党に抜けられたら仮に従来高市早苗とのパイプがほとんどなかったという維新を取り込んでも「少数与党」からは脱出できない。参政と保守を取り込んでもまだ足りない。
しかし仮に公明が連立を離脱して立民と組んでも、議席数は自民に及ばないからもっと足りない。どのような形であれ第1次高市早苗内閣は発足当初は内閣支持率が相当高く出ることは目に見えているから、高市が衆院解散に踏み切るか、それをやらないにしても野田立民が出した内閣不信任案が可決された場合には高市が選ぶ選択肢は間違いなく解散だから、年内の衆院解散の可能性はかなり高まった。これは私としては避けてもらいたい事態だったが高市が自民党総裁に選ばれてしまったからには仕方がない。
もっとも高市人事で萩生田光一の抜擢などが言われているから、高市人気にどの程度持続性があるかはわからない。高市は決して侮れない相手ではあるが、高市の周囲が地雷だらけであることも確かだ。
そう考えると、高市が公明党をつなぎ止めざるを得ないことは間違いない。その上で維新でなく民民を取り込むことに成功すれば、それなりの政権の形にはなる。そこまでできれば、年内の解散総選挙をなしで済ませることもできるかもしれない。
既に高市が玉木雄一郎と「密談」したことが報じられている。報じられたほどだから「頭隠して尻隠さず」の行為だったのだろう。このあたりは玉木雄一郎の政局勘の悪さである。玉木はかつて希望の党の立ち上げに浮かれたり、民進党の後継政党だった旧民民で岡田克也が民進党代表時代に溜め込んだ政治資金を湯水のように消尽しながら結果を出せない時期が続いたりした。結局いくつか揚げたアドバルーンのうち「手取りを増やします」のスローガンで「新自由主義右翼」(高学歴、高年収の男性層を中心とする)のハートを射止めて躍進したが、本質的にはそんなに政局勘にすぐれた政治家とはいえない。
その玉木がまた「タコ踊り」をやっている。私はそのようにみる。
自民党や保守政治家に関する記事では残念ながら自民党に深く食い込んでいる読売の記事が一番あてになる。その読売は下記記事を出した。
以下引用する。
高市総裁と玉木代表が会談、自国の連携模索か…主張に共通点・閣僚ポスト提示も検討
2025/10/07 05:00
自民党の高市総裁と国民民主党の玉木代表が5日に東京都内で会談していたことが6日、明らかになった。自民の麻生太郎最高顧問と国民民主の榛葉幹事長も6日に約30分間、会談した。それぞれの会談で、自民側は連立政権の枠組み拡大も視野に、今後の連携のあり方について政策面での協議を行ったとみられる。
両党関係者が明らかにした。麻生氏との会談で、榛葉氏はガソリン税暫定税率の廃止や所得税の非課税枠「年収の壁」の見直しを盛り込んだ昨年12月の自民、公明、国民民主3党の幹事長による合意の履行を求めた。その上で、「信頼関係の醸成に応じ連携のあり方も変わる」と伝えたという。
高市氏と玉木氏は、積極財政による経済成長を目指す方向で共通している。玉木氏は6日、自身のX(旧ツイッター)に、日経平均株価が上昇していることに触れ「年末には5万円超えも。高市新総裁の経済政策への期待によるものと思われる」と投稿し、高市氏の経済政策への期待感を示した。
高市氏は、玉木氏が重視する暫定税率廃止と年収の壁の引き上げにも前向きだ。このほか、外国人政策や、スパイ防止法の必要性などでも共通点がある。憲法改正や安全保障といった党の基本政策も重なる点が多い。
現状で国民民主側は連立に慎重姿勢で、自民と同一視されることには否定的だ。一方の自民側は精力的に協議を進めたい構えで、仮に連立交渉になった場合は、閣僚ポストを国民民主側に提示することも検討しており、少数与党となっている衆参両院で多数派を形成したい考えだ。
(読売新聞オンラインより)
URL: https://www.yomiuri.co.jp/politics/20251006-OYT1T50245/
民民が連立に慎重姿勢なのは当たり前であって、普通に考えれば民民が連立政権入りして得することは何もない。昨年の衆院選でも今年の参院選でも「非自民だから民民に入れた」有権者が多数だろうからだ。
ただ唯一の例外がある。いうまでもなく玉木雄一郎自身が首相になるケースだ。この場合はせっかくの高市早苗の「日本初の女性総理大臣」がフイになるから自民党(高市)側としても呑めない話だろうが、民民(玉木)側からすればそのくらいしてもらわなければ絶対に元が取れない取引だ。
前例としてはまたしても「自社さ政権」(1994)が挙げられる。
このように、まだ高市早苗が総理大臣になれるかどうかさえはっきりしない。自民党長老のわがままは、それでなくても混迷していた日本の政局を、ますます大混乱に陥れてしまった。麻生自身も、自らの野望をひた隠しにしていたからこそ小泉陣営に「幻の祝勝会」をさせたり、維新に「高市との両天秤をかけるべきだった」と悔やませたりしたのだろうから、高市当選後のことは何も考えていなかったに違いない。
当然ながら今後の政局がどうなるかは、私にも全然わからない。何が起きても不思議はないとしかいえない。ただ、あまりにも政治に民意が反映されなさ過ぎることに強く憤るばかりである。