kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

リベラル・左派の「歴史修正主義容認」を助長する「小沢親衛隊」

やはり米オバマ政権に懸念を持たれている安倍晋三 - kojitakenの日記 のコメント欄より。


http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20130315/1363358717#c1363374504

morganvi4i 2013/03/16 04:08
そもそもそうした米の「懸念」を日本で一番共有しているのは外務省や周辺の論客に代表されるような穏健な親米派だからね。歴史問題については慎重に対応して、日米の経済安保面のの連携を強化すべきと考えているだろう。体制(日米同盟)派だからこそ、そうした懸念に敏感なのだろうし、日経ですら、ではなく日経だからこそ触れるわけだ。

日本の左派から見れば、「懸念」もせいぜい外圧として表層的な部分だけ共有しているというだけであって、安倍が今のように猫をかぶり続けて、目出度く?こうした米の懸念をクリアしたところでその先で米が求めるのは、記事にもあるようにTPPであり基地移転であり、ひいては日米同盟強化であり「国際貢献」なわけでろくなものじゃない。そんな米国の入口の「懸念」に親米派でもないのに嬉々として乗っかっることに、ある種の居心地の悪さというか滑稽さが伴うのを自覚しているからこそ、あまり触れたがらないのかもしれない。


http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20130315/1363358717#c1363393964

zenzaburo 2013/03/16 09:32
「穏健な親米派」は死滅したと思う。北岡伸一などが代表だが、親米と右翼化の両にらみで支離滅裂になっている。谷内正太郎櫻井よしこみたいなものでアメリカのことなぞわかっていない。誰も責任ある言動ができないからメディアはだんだん不安になるのだろう。病理学上の現象だ。


id:morganvi4iさんの「そんな米国の入口の『懸念』に親米派でもないのに嬉々として乗っかっることに、ある種の居心地の悪さというか滑稽さが伴うのを自覚しているからこそ、あまり触れたがらないのかもしれない」というのは、私の感覚では穏便に過ぎる見方であって、私が懸念しているのは、「左派が積極的に歴史修正主義を受け入れているのではないか」ということです。もちろんここでいう「左派」とは「旧来左翼」ではなく、かつての新左翼系から小沢一郎支持へと転向したいわゆる「小沢信者」のことです。

私が何を念頭に置いているかというと、例の孫崎享トンデモ本『戦後史の正体』です。「岸信介は実は『アメリカの犬』なんかじゃなくてアメリカと堂々と渡り合った『自主独立派』だった」などという主張を「目からウロコが落ちた」などと言ってありがたがる彼らは、その時点で東条内閣の閣僚にしてA級戦犯容疑者だった岸信介の戦争責任を不問に付してしまっています。だから、そんな彼らが「歴史修正主義」に目くじらなど立てようがありません。私はそれを問題視しています。2006年から2007年の第1次安倍内閣時代にはよく「A級戦犯(容疑者)・岸信介の孫」として安倍晋三が叩かれたものですが、現在の「小沢信者」たちはそんな言い方はもはやしません。彼らは「孫崎史観」に洗脳されて転向してしまったからです。

孫崎享は1993年に「山本七平賞」を受けていますが、今時のリベラル・左派はどうやら山本七平とは何者だったかということすらろくすっぽ知らないようです。だから明白な「反米右翼」である孫崎を、もともとは左翼であったらしい「小沢信者」たちが何の疑問も持たずに礼賛する惨状を呈しています。id:zenzaburoさんの仰るような「穏健な親米派の死滅」も事実としてあるのかもしれませんが、私の問題意識は「(元)リベラル・左派の右傾化」にあります。

ところで、孫崎享の売り込みを行ったのは岩上安身らしいのですが、下記の記事の書き出しには笑ってしまいました。


「親衛隊」? - Living, Loving, Thinking, Again(2013年3月15日)

古寺多見氏の記事から、「小沢親衛隊」という言葉を知る。岩上安身がその代表であるらしい。ふつうの「小沢信者」よりもエライのか。かつてのオウム真理教の正大師みたいなもの?

古寺多見氏の記事には『毎日新聞』の井出孫六氏へのインタヴューが引用されているのだが、その中で(大量の「残留孤児」を産み出した「満蒙開拓計画」と戦後の戦後の原発推進政策との同形性を語っている。前者を推進したのが岸信介で、今原発の再稼働を策動しているのがその外孫の安倍晋三だということになる。「満蒙開拓計画」に関して、井出氏には『終わりなき旅』、『満蒙の権益と開拓団の悲劇』 などがあるか。またインタヴューの中で井出氏は石橋湛山の「小日本主義」を再評価しているのだが、『石橋湛山と小国主義』というのも岩波ブックレットで出ている。さらに、井出氏は空気を読まなかったジャーナリスト桐生悠々の評伝も書いている(『抵抗の新聞人 桐生悠々』)。

ところで、「満蒙開拓」とか岸信介とか原発とか石橋湛山といったトピックの配置から透けてくるのは、日本近代における自由主義と(国家)社会主義という主題かも知れない。岸信介が生涯社会主義者だったことは小林英夫『満州自民党』が示しているとおり。


「小沢親衛隊」とはとっさに思いついた言葉ですが、日記内検索をかけると過去に一度だけ使ったことがあって(下記記事)、その時は松木謙公三宅雪子を指して「小沢親衛隊」と言っていました。


ググってみると、「小沢親衛隊」はネットで結構使われていましたが、主に森裕子を筆頭として(衆院選の前までは山岡賢次が筆頭だった)谷亮子らを含む小沢一郎側近議員を指して用いられています。しかし、彼らが衆院選で枕を並べて討ち死にして絶滅危惧種になった現在、ネットで今なお猛威をふるう岩上安身を「小沢信者」の指導層(=「小沢親衛隊」)の代表格と規定しても、当たらずといえども遠からず(笑)ではないかと思います。

上記記事は、「減税日本」の河村たかしを支援する小沢一派をこき下ろした記事ですが、岸信介安倍晋三(というより自民党原発政策)を対比させると、「国家社会主義岸信介(・安倍晋三)」と「リバタリアニズムあるいはネオリベラリズムの小沢一派」ということになるでしょうか。国家社会主義リバタリアニズム自由至上主義)が結びつくとはおよそ思われませんが、国家社会主義ネオリベラリズム新自由主義)となら結びつくのかもしれないとふと思いました。してみると、やはり小沢一派には「ネオリベラリズム新自由主義)」色が強いといえるのではないか、などと妄想をふくらませていった次第ですが、この解釈が妥当かどうかはわかりません。単なる仮説です。

いずれにせよ、フリージャーナリストとして間違いなく物事をよく知っているはずの岩上安身が、どうして孫崎享だの副島隆彦だの植草一秀だのといったトンデモ連中をプロデュースして売り込もうとするのか、それは「小沢信者」というか「右翼と親和性の高い左翼」の、ニッチではあるけれども根強いニーズに応えるビジネスを展開しようとしているとしか私には思えないのですが、彼らの言論が支持されることは「『右』も『左』もない」歴史修正主義の容認を助長するものであって、日本の将来にとって百害あって一利なしだと考えています。