kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

レコードの「STEREO」表記と新聞ラテ欄の「カラー」表記

sumita-m.hatenadiary.com

 上記リンク先より引用する。

 

(前略)ところで、立体音響装置(ステレオ)がそれほど普及していないかった時代、レコードはモノラル盤とステレオ盤が同時にリリースされていたようだ。このことに気づいたのは、CDになったビートルズの『ラバー・ソウル』を聴いていたとき、全曲が終わったらまた1曲目から流れてきたとき。ボーナス・トラックとしてモノラル・ヴァージョンが収録されていた。また因みに、ボブ・ディランにはモノラル録音の曲を集めたThe Best of the Original Mono RecordingsというCDがある。それはさておき、昔のステレオ・レコードにはステレオ録音であることを示すSTEREOという表示があった。STEREO表示が消えたのは何時頃だったのだろうか。その表示は1970年代まで生き残ったのだろうか。序でに思い出したのは、(私が)小学校低学年の頃までは、TVのカラー番組にはカラー放送であることを示すマークがあったことだ。画面に表示されるだけでなく、新聞のラテ欄でも、カラー番組については、その旨が表示されていた。(私もそうだったけれど)白黒TVの家の子はそれを見て、けっこう惨めな気持ちになったんじゃないか。しかしながら、それも1970年代に入ると、カラー放送が当たり前になって、消えてしまった。

 

 「STEREO」表記を思い出し、その連想からテレビのラテ欄での「カラー」表記を思い出したのは私も同じです。

 思い出せば、家のテレビがカラーになったのは確か1970年で、その翌年に祖母が死んで四畳半の部屋を与えられた時、押し入れに眠っていた白黒テレビも一緒に与えられたのだった。その白黒テレビで見たのが、プロ野球阪神タイガース江夏豊が1971年のオールスター戦で9連続三振をとった試合だったり、野末陳平がレギュラー出演していたクイズ番組だったりした。後者について、以前ネット検索をした時にはわからなかったのだが、今回ついにわかった! 大阪の朝日放送(ABC)が制作してTBS系で放送されていた「タイガーショー 3・3が9イズ」だった。タイガーといっても阪神タイガースとは関係なく、タイガー魔法瓶の提供だった。1970年6月7日から1971年9月26日まで、毎週日曜日の夕方6時半から30分間放送されていた。ってことは「サザエさん」の裏番組か。「サザエさん」も1969年の第1回を見た記憶があるが、2年後には早くも飽きてクイズ番組を見ていたらしい(お茶の間のカラーテレビでついていたのは「サザエさん」だった)。「3・3が9イズ」のあとは、チャンネルを6から4に変えて「アップダウンクイズ」を見ていた。こちらは大阪・毎日放送MBS)制作でNET(現テレビ朝日)系で放送されていた。ネットで在阪局の朝日系と毎日系が現在と逆なのは、いわゆる「腸捻転」であって、これを現在の系列に再編成する時に田中角栄が介入したという例のやつだ。「アップダウンクイズ」の方はお茶の間のカラーテレビでも見てたから、そっちに移動して見たのかもしれない。なおこの白黒テレビはそのうちに調子が悪くなったか何かして捨てられてしまった。しかし、その後高校に進んだあとの時期にも白黒テレビをみていた時期があって、その頃腹が立ってならなかったのが、今も放送されている「パネルクイズ・アタック25」(1975年番組開始)だった。区別しづらいパネルの色があったからだ。この番組もABC朝日放送の制作。これら在阪局制作のクイズ番組は、どれも関東より関西の方が視聴率が高かったはずだ。

 

 ステレオの話に戻ると、モノラル録音と並行してステレオ録音を行う習慣は確かにあったようで、グレン・グールドが弾いたシェーンベルクやベルクら20世紀の作曲家たちの作品を1958年にCBSが録音した時にも、モノラル録音とステレオ録音があった。ところがどういうわけか、長らく正規盤として発売されていたのはモノラル録音の方だけだった。のちに90年代に入ってステレオ録音のバージョンが発売された。

 また、私が持っているジャズのビル・エヴァンス・トリオの "Portrait in Jazz" には、ステレオ録音の「枯葉」のテイク1と、モノラル録音のテイク2とが収められているが、ネット検索をかけたところ、下記のブログ記事が見つかった。

 

recommendedjazz.jazzpianopractice.net

 以下に上記リンク先の記事を引用する。

 

Autumn Leaves(take1)

この演奏はスタンダード曲である枯葉の、ジャズの名演として非常に有名で、ステレオのテイク1とモノラルのテイク2がある。プロデューサーのキープニュースによると、本当はテイク2がOKテイクだったようだが、ステレオの録音に失敗していたのでテイク1がオリジナルアルバムに収められたという事だ。 という訳でテイク1の枯葉は本来ボツだったという事なのだが、どっこい素晴らしい内容である。

 

 どうやらレコードの初出時にはテイク1だけが収録されていたようだ。私がテイク1とテイク2とがともに収録されているCDを買ったのは確か1987年で、CDの発売はその数年前、つまり1982年にCDが初めて発売されてから間もない頃だった。但し、3800円を払った記憶はなく、CDの価格は3000円だったと思う。

 なお、前記グレン・グールドの弾いたバッハのパルティータ第6番も、一部の楽章だけステレオ録音されていたらしく、最初の「トッカータ」と最後の「ジーグ」だけがステレオ録音で、あとの4つか5つの楽章がモノラル録音というCDが現在では正規盤として発売されているらしい。

 

 『Living, Loving, Thinking, Again』の記事の引用に戻る。

 

父親がステレオを買ったのはたしか1971年のことで、当時の最新技術だった4チャンネルで、スピーカーが前に2つ、後に2つあった。しかし、4チャンネルというのは直ぐに廃れてしまった。21世紀になって、2ちゃんねるの米国版として4chanという掲示板サイトができ、2ちゃんねるが5ちゃんねるに進化したというのは全く別の話。

 

 私の父親が「音響装置」を買い換えたのがその1971年で、四畳半の私の部屋にはモノラルの音響装置(「電蓄」?)がお下がりとして与えられたのだった。それで聞いていたのはもっぱら小学館の『小学○年生』の「学習雑誌」(実質的には漫画雑誌)の付録のソノシートだったが、そこで落語家や漫才師がしゃべっていたのは江戸っ子のことばだったので、そうやってソノシート(やテレビやラジオ)で「東京弁」を学んだものだった。地方在住の子どもはどこでも似たようなものだったのでないか。なおクラシック音楽のレコードのお下がりも1枚だけあって、それがドヴォルザークの『新世界交響曲』だった。

 ただ私の父は4チャンネルには手を出さなかった。先見の明があったのか、単に部屋が狭かっただけなのかはわからない。

 あと、昨日書いた記事に頭の悪いネトウヨが何だかわけのわからないコメントを書いているが、そいつは高橋悠治のファンらしい。高橋悠治は左翼として有名で(それは私も知っていた)、坂本龍一ともども毛沢東に心酔していたらしいこと(こちらは知らなかった)を少し前にかけたネット検索で知ったので、ここで引用してそいつに教えてやることにする。あんまり馬鹿を相手にしない方が良いのかもしれないが(笑)。

 

mikiki.tokyo.jp

 以下、上記リンク先に記載された坂本龍一へのインタビューから引用する。

 

――75年に竹田賢一氏らと設立された〈環螺旋体〉というグループについて、坂本さんは〈反武満的な、メディア論的な運動体〉であったと発言されています。そして、当時の現代音楽の状況を、民族性と切り離されたエリート性・階級性の強いものとして批判しています。

「そうねえ。毛沢東主義みたいなことにすごくはまっていて、芸術なんていう自立した美の領域なんてものは許さん、芸術なんていうものは人民に奉仕してこそ存在意義がある、というような非常に過激なことを言っていました。まあ、当時のゴダールなんかもそうで、彼はそれが原因となってトリュフォーとは訣別するんだけれども、当時の過激な若者はそういう考えを持っていたんですよ(笑)。

悠治さんも70年代には毛沢東主義にはまっていたし。悠治さんの自宅に竹田賢一さんと2人で伺って、長くお話ししたこともあったんです。だからそういう思想に対するアンチとして、武満さんという存在が代名詞になっていたんでしょうね。武満さんを深く研究して批判したというのではなく、武満さんといえば、美の小宇宙、自立した美の代名詞のように考えていたんじゃないかな。だから、芸術とか嫌だよね、みたいなノリでそんなことを言っていたんだと思います」

 

 ここで坂本龍一が「悠治さん」と言っているのが高橋悠治だ。確か高橋悠治太田裕美との接点もあったような。太田裕美といえばジョン・ゾーンの「狂った果実」だよなあ(クロノス・カルテットの6枚組CDで聴いた。モーツァルトピアノソナタベートーヴェンの「大フーガ」も引用されていたはず)、などなどと連想していった。ゾーンの「狂った果実」を聴いたまともな方(私自身は「異常な人間」だと自覚しているw)のブログへのリンクを以下に張っておく。

 

ameblo.jp