kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

ステレオとステレオタイプ

 先週見かけたツイート。

 

 

 うーん、ステレオって立体感のある音響を作り出す技術のことで、モノラルと対比されるものじゃないのかなあ、でも待てよ、ステレオってモノラルの対義語なんだろうか、それもまたしっくりこないよなあ、などと思ったのだった。

 すると翌日、上記ツイートに下記の反応があった。

 

 

 ステレオタイプは「偏見」というより「型にはまった考え方」という方が私にはしっくりくるが、まあそれはTwitterの字数制限のためかもしれない。それよりも、立体(音声)のステレオと「ステレオタイプ」のステレオの「語源に繋がりはない」というくだりに反応してネット検索をかけてしまった。

 その結果、先週お別れしたばかりの懐かしの「はてなダイアリー」の記事を見つけたのだった。

 

d.hatena.ne.jp

 現在生き残っている「はてなダイアリー」も、「はてな」の方で3月から順次「はてなブログ」に変換していくとの話だから、かつての『kojitakenの日記』と同じ配色のブログデザインに懐かしんでいられるのも今のうちなんだろうが、それはともかく上記記事から抜粋して以下に引用する。

 

英語だと、ステレオタイプstereotype(ステロタイプ)という一面的なものを指す言葉と、ステレオ音楽stereo soundという(モノラルと比べて)多面的なものを指す言葉が、なぜか同じ綴りを使っている。これはなぜか。

stereoの語源についてOEDで調べてみた。(略)ギリシャ語にはstereosみたいなスペルの単語がある。それの意味・語源はsolidと同じで(solidはラテン語経由)、英語のstereoは、近代になってからこのstereosを取り入れたもの。

ちなみに、solidの意味は「固い」と「立体の」なのだが、そのココロは「水と対比したときの氷」っぽい。氷は液体じゃなくて固体(→立体)で、それなりに固い。だから、solidifyは「凝固させる」って意味になる。ついでに、かつてのsolidは「固い」よりも「立体」のほうが第一義だったっぽいです。

stereoが英語に入ってきたのは、だいたい2つのルート。一つは、印刷技術のステロ版。もう一つは、ステレオスコープ(立体鏡)付近。ステレオがまったく意味の違う二側面を持っているのは、流入ルートが二つあるかららしい。

ステロ版および金太郎飴な世界把握はステロ版由来であり、他の意味・用法(立体系)は立体鏡あたりが起源っぽい。で、ステレオを「固い」という意味で使う用法は、現代英語には存在しないはず。

それでは、歴史を追っていこう。

ステロ版の実用化が、近代英語におけるstereoの初登場だった。1798年の雑誌に以下の記述が見られる。

「かの有名なフランスの印刷屋ディドー(Didot)は、ヘルマンというドイツ人とともに、革新的な印刷技術を開発したと発表。彼らはその技術をステロ版(stereotype)と名付けた。」

ここでいうステロ版というのは金属を使った版で、活字組版や木版などの原版から紙型を作り、そこに活字合金(鉛+アンチモン+スズ)を流し込んで作る。

(略)1823年の本から以下のような用例を発見。

"[They] are printed with what are called stereotypes,the types in each page being soldered together into a solid mass."

「それらはステロ版と呼ばれる印刷法で作られている。ステロ版では、各ページの活字ははんだづけされ、一つの塊になる。」

どうやら活字どうしが固まってるから、ステレオタイプらしいです。これだと、その後の「固定観念」への意味拡張にぴったり合うね。

***

ここまでの議論をいったん要約しておこう。「一面的なステレオタイプと立体的なステレオ音楽はなぜ同じSTEREOって言葉を使ってるの?」という疑問から出発して、どうやらこの言葉は二つの語源から英語に入ってきていて、その二つの違いがそのまま残っているから、という答えにたどりついた。

で、ステロ版の歴史について色々と見て、「ステロタイプ」が「版に押したように同じ見方をする」みたいな意味に使われるのは、それが分解可能な活字ではなく、一つの鉛の塊だからのようだ、と説明したわけです。

ステロ版を開発(正確には実用化)した(略)ディドー社のステロ版技術は急速に広まり、「版に押したように同じことを言う」というニュアンスを媒介にして、1850年頃にはstereotypeが「使い古された表現」の意味で使われ始め、1920年頃になると「固定観念」一般をも意味するようになりました。

ステレオタイプは親から子へと世代を越えて伝達されるものであるが、この伝達はきわめて持続的かつ権威的に行なわれることが多いため、それは一見するとほとんど生物学的な事実であるかのように見える」

この文章を書いたのはLippmanという社会学者(略)。

一方、ステレオという語の系譜はもう一つあるわけです。物理学者Wheatstone(1802-1875)が考案した立体鏡(stereoscope)がそれ。まあ、彼自身は理屈を示しただけなんだけど。

「このメカの中には立体(solid figures)が表現されるのだから、私はこれを立体鏡(stereoscope)と名付けようと思う」

立体鏡というのは望遠鏡みたいな形をしたメカで、右目と左目で微妙に違う絵・写真を見せることによって、立体を見ることを可能にするものらしい。昔よく子供用の雑誌に付いていた赤青メガネの親玉みたいなものか。Wheatstoneの頃は写真がなかったが、写真技術が発達すると立体写真も普及し、「ステレオ・スコープ」という名称で立体写真を見るための道具が市場に出回るようになった(20世紀初頭)。写真そのものが魔術的な魅力を持っていた時代の産物。今日ではアンティークとして重宝されてるようです。

で、こっちからstereoという語は「立体」ということになり、ステレオ音楽(1920s~)やステレオ化学へとつながっていくわけです。ステレオ化学っていうのは分子の3次元的構成を研究する化学なんだって。

とまあ、そういうわけで、ステレオという語は、もともとはsolidを意味する一つのギリシャ語だったが、英語には「stereotype」と「stereo-」という二つの系譜で入ってきたので、両者の間にはいまだ絶望的な断絶がある、ということのようだ。(後略)

 

 なるほどねえ。もとは一つの言葉だったのが「固い」と「立体」に分岐して、前者から「ステレオタイプ」、後者から音響装置の「ステレオ」が生まれたってことか。

 私が昔よく聴いていたクラシック音楽の録音は、たとえばグレン・グールドのピアノ演奏なんかの録音年を覚えているのだが、だいたい1958年頃からステレオ録音が主になった。それまではモノラル録音であって、グールドの録音でいえばバッハの「ゴルトベルク変奏曲」やパルティータ第5番、第6番、それにベートーヴェン晩年の第30番から第32番までのソナタがモノラル録音だった。ことに私が1986年に買ったパルティータ全6曲の2枚組のCDでは、ステレオ録音の第4番が終わった後に鳴るモノラル録音の第5番の音が平板で貧弱だったのにいつもがっくりきて、予定されていたというパルティータ全曲の再録音を待たずにグールドが死んでしまった(1982年)ことは何たる痛恨事かと思ったものだ*1。だから、音響装置を「ステレオ」と呼ぶようになったのは、早くともこの1958年頃からではないかと思うのだ。

 その「モノラル」についてもネットで調べてみた。

 

www.weblio.jp

 以下、上記リンク先より引用する。

 

モノーラル(モノラル) 【monaural】

1.片方の耳で音を聴くこと。これが本来の意味であり、片方の耳のイヤフォン聴くことなどが該当する。バイノーラル対語
2.1個または複数スピーカーから、単一ソース再生すること。ステレオ(フォニック)等において、複数チャンネルに同じソース録音・再生することも該当する。本来はモノフォニック表現すべきであるが、混用されている。

【参】バイノーラルモノフォニックステレオフォニック
 
(『ビデオ用語集』より)

 

 モノーラル(モノラル)の対義語はバイノーラルだし、モノーラルは本来「モノフォニック」と表記されるべきで、それなら「ステレオフォニック」と対比できるって理解で良いのだろうか。

 いずれにせよ、「ステレオタイプ」(私が最初日本語で接した時の表記は「ステロタイプ」だった)と「ステレオ」って全然違うじゃん、むしろ反対っぽい意味じゃないかという長年の疑問がようやく解けた。

 こういう時にはネットのありがたみを感じる。

*1:ことにホ短調のパルティータ第6番は、グールド自らがこの曲を得意としていたと語っていたのが心底納得できるほどの「神演奏」なのだが、モノラル録音であるばかりか第1曲のトッカータの終わりの方にノイズが入っているのがなんとも聞き苦しかった。だから「ゴルトベルク変奏曲」のように再録音がされていれば、と惜しまれてならなかった。