kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「たかが電気」発言は坂本龍一の失言だったか/アメリカの現代音楽作曲家テリー・ライリーと坂本龍一

 江川紹子氏の下記のツイートは実に気持ち悪い。

 

 

 これをこたつぬこ(木下ちがや)氏がリツイートしていることも気持ち悪い。彼らは何か良からぬ同調圧力をかけようとしているのではないかと疑ってしまう。

 そもそも、江川氏がなぜ11年前の坂本龍一の言葉が「失言」だと思うのか、その理由がこのツイートからはわからない。

 もちろん、その理由は上記ツイートの直後に発信されたと思われる江川氏の下記ツイートで説明されている。

 

 

 しかし、このツイートの閲覧数は、本記事を書いている時点で1.8万件であり、最初にリンクしたツイートの11.3万件の6分の1でしかない。こういうのがTwitterのいやらしいところであって、だからTwitterアカウントなんか死んでも開設するものか、と思わずにはいられない。

 当然ながら、江川氏のツイートは反論を受けている。

 

 

 私も2011年から12年にかけてはしばしば脱原発デモに行っていたので、坂本の発言をじかに耳にしたかどうかまでは覚えていないが、上記はなねこ氏のツイートと同じ理由によって失言とは全く思わなかった。

 江川氏はこのところ原発再稼働肯定または容認派が目立って増えている世論に阿っているだけではないかと思えてならない。

 しかし、江川氏の2件目にツイートに対する下記の反応ツイートも別の意味で不快だ。

 

 

 このような批判を封じようとするツイート、しかもそのくせに一方では

「たかが電気」は相当アレな意見でしたが

などと書いて明らかに坂本を批判しているふざけた態度には向っ腹が立つ。他人による批判はNGだが俺様がやる批判ならOKとでも言わんばかりだ。

 それ以外にも私が上記ツイートに特に腹を立てた理由がある。というのは私には坂本龍一及びYMOの音楽のどこが「革新的」だったのか、YMOを知った1980年から今に至るまで全く理解できなかったので、このことについて読書・音楽ブログに記事を上げようと思って、つまり坂本龍一を批判的に論じる記事をまさに書こうとしているところだったからだ。

 ところが、その最中に見つけた、アメリカの現代音楽作曲家テリー・ライリー(1935-)について昨年夏に坂本が発信した下記ツイートにまで、変な反応のツイートがついているのを見つけてしまった。

 

 

 

 

 江川氏のツイートは、上記「ラララらい」だの「min.」だのといった輩を増長させるだけの有害きわまりない発信でしかないと私は思う。しかし、江川氏のツイートに対する「イギリスかぶれ」とやらの批判的ツイートにもめちゃくちゃ腹が立つ。全くどいつもこいつもろくでもないやつばかりだ。

 なお、テリー・ライリーとその音楽は1976年にNHK-FMの現代音楽の番組で知った。私は愛好者ではなかったが、彼の代表作とされる「in C」(ハ調で;1964年作曲)を聴きながらこの記事を書いている。

 

www.youtube.com

 

 当時私が聴いていたのは下記ブログ記事に書かれている番組のようだ。

 

shigeohonda.hatenablog.com

 

 以下、ライリーに関係する部分のみ引用する。

 

僕にとっての「現代音楽」は、ロックやフリージャズと並行してずっと身近なところにあって良く聴いてきた。一番の理由はNHK-FMであった上波渡氏の「現代の音楽」を聴いていたこと。

 

NHK-FM現代の音楽」という番組

 

番組はバッハ=ウェーベルンの「6声のリチェルカーレ」で始まり、上波渡氏の独特の低い声で曲の紹介がされて音楽がかかる。音源はレコードだったり、ライブ録音だったり、海外の放送局から提供されたテープだったりと様々で、内容も電子音楽、ミクストメディア、器楽作品、オーケストラとバラエティに富み、20世紀の同時代の作曲家の作品ということだけが共通項。 

 

一番印象に残っているのは、1976年のベルリン メタムジー フェスティバルの時の放送で、チベット仏教の声明、タンジェリンドリームなども放送したり、確か、テリー・ライリーの大作『シュリ・キャメル』を番組の放送時間全部を使って(それでも完全ではないが)流したりと意欲的なプログラム構成だった。こうした広義の「現代音学」の捉え方もこの番組が特に好きだった理由。

 

URL: https://shigeohonda.hatenablog.com/entry/2020/03/04/175513

 

 私は「現代音楽が好きだ」という域には達さなかったけれども好奇心だけはあったので、しばしばこの番組を聴いていた。

 記事中の「上波渡」は「上浪渡」の誤記で、上浪氏はNHKのディレクターだったが*1、2003年に亡くなられているようだ。

 

 ところでテリー・ライリー*2はコロナ禍をきっかけに2020年以降日本に住んでいるようだ。以下Wikipediaより。

 

2020年以降の新型コロナウイルスの世界的流行の影響で、ライリーは日本に滞在することになった。きっかけは、佐渡島のイベント「さどの島銀河芸術祭」だった。ライブストリーミングチャンネルのDOMMUNEが、さどの島銀河芸術祭でライリーのコンサートを企画し、ライリーは視察で2020年2月に来日した。当時はダイヤモンド・プリンセス号クラスターが発生しており、来日のリスクが懸念された。ライリーはDOMMUNE主催の宇川直宏への手紙で「もしウイルスに感染したとしても、それは私のカルマなので心配はいらない」と書いた。佐渡島に滞在した際、ライリーは鼓童鬼太鼓に感動したと述べている。しかし、来日後にアメリカで新型コロナウイルス感染者が増加したため、ライリーは日本での滞在を選んだ。日本での生活について、「85歳にして人生の新たな章が始まるとは想像もしていませんでしたが、私の仕事や人生観全般において、最も活力に満ち、最も刺激的な時期の一つとなっています」とコメントをしている[1]。現在は山梨県北杜市に在住[2]

さどの島銀河芸術祭は、2020年8月8日(土)から10月11日(日)に開催され、ライリーも9月22日にコンサートを行った[3]。ライリーは北沢浮遊選鉱場跡を会場に選び、運営側はコンサートを予約制として、来場者はPCR検査の陰性結果が必要となる日本初のコンサートとなった。当日はライブ配信はなく、後日にDOMMUNEで期間限定のアーカイブが配信された。ライリーはアーティストビザを取得し、2021年の夏に予定されているさどの島銀河芸術祭のコンサートの準備を進めている[1]

 

出典:テリー・ライリー - Wikipedia

 

 へえ。だから昨年(2022年)もライリーとクロノス・クァルテットとの共演が横浜で行われたわけか。

 そうこう書いているうちに1時間以上に及ぶ「in C」が終わった。Wikipediaには

曲は53個の独立したモジュールからなり、それぞれのモジュールはほぼ1拍の長さで、おのおのが異なった音楽のパターンを有している(だが、タイトル通りすべてハ長調 in C である)。

と書いてあったけれども、嘘つけ、曲の終わりは「in G」じゃねえかと思ったのだが、私の思い違いだろうか。

 YouTubeには1976年にNHK-FMの『現代の音楽』で流されたというライリーの『シュリ・キャメル』の動画もあったので、以下にリンクする。47年前にモノラルのラジオで聴いたのがこの音楽だったかどうか、記憶は全くなかった。あの頃はまだ太田裕美が歌った『最後の一葉』(筒美京平作曲)のような保守的な音楽の方に惹かれていた*3

 

www.youtube.com

 

 ネット検索で知ったが、1976年に初演された当時と現在では曲の姿がだいぶ違うようだ。

 

ameblo.jp

 

 それはともかく、私はYMOを知った1980年の時点で既にこのテリー・ライリーを知っていたし、シンセサイザーを用いた音楽ではワルター・カーロス(のち性別適合手術=かつては「性転換手術」と言った=を受けてウェンディー・カーロスと改名)(1939-)の『スイッチト・オン・バッハ』(1968)や冨田勲(1932-2016)の『月の光』(1974)を知っていたので、YMOのどこが新しい(新しかった)のだろうかと当時から今に至るまでずっと思っている次第。

 しかしそんなことはカーロスが取り上げたバッハや冨田が取り上げたドビュッシーに傾倒し、ライリー(やクロノス・クァルテット)のファンだったという坂本は百も承知だったはずで*4、だから早い段階から「今のYMOではダメだ」と言って、クラシック畑の出身ではない細野晴臣高橋幸宏と鋭く対立したものだろう。聴く側の立場の人間でしかない私にも、坂本が持っていたであろう問題意識だけはよくわかる。私もまたクラシック側から入った人間だからだ。坂本は音楽を本職としていただけに、彼の苦悩は深かったに違いない。坂本は本物の音楽家だったからこそ、自らの作品が韓国の音楽家に盗作された疑惑が韓国で騒がれたらしい一件に関しても(小林亜星などとは違って)あれほどまでに謙虚だったのだ。

 ここらへんになるともう読書・音楽ブログに書くべき内容になってきたので、この記事はここで切り上げる。

*1:なお、あの悪名高いたかまつななも同じ職位にあったと自称しているが、奴は単なるディレクター見習いであって、自らが責任者となって番組を制作した経験はないようだ。

*2:上浪氏はライリーの名前を「リ」に強勢を置いて発音されていたと記憶するが、実際にそのように発音するかどうかは知らない。

*3:その太田裕美にはクロノス・クァルテットとの共演がある。これについては私のどちらかのブログに書いた記憶がある。

*4:バッハやドビュッシーを現代音楽家のライリーとともに論拠とする理由は読書・音楽ブログに書く予定の記事で別途論じる。