kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

ロシアがウクライナに侵攻して以来、毎日本当に寝ても覚めてもウクライナのことが心配で、散見するにリベラルとか左翼的な人は「アメリカ帝国主義憎し」という積年の恨みで「アメリカが悪い」「アメリカのせいだ」みたいなことを言う人もいるが、僕は「アメリカが善でロシアが悪」という単純な二元論はとらないし、主権国家を武力で侵攻、侵略するっていうのは、どこの国だろうと許されない(坂本龍一)

 私は坂本龍一のファンでもYMOのファンでもなかったけれども坂本龍一という音楽家には一定の関心はあったので、彼の死をきっかけに坂本の音楽論に改めて触れたり、これまで通して聴いたことがなかったYMOのベスト盤をYouTubeで聴くなどした。

 坂本の死を報じるテレビ報道のバックに、坂本ではなく1月に亡くなった高橋幸宏が作曲した『RYDEEN』が多く流されたことがファンのブーイングを浴びたようだが、江戸時代の名力士・雷電と1970年代にNET(現テレビ朝日)系で放送されたアニメ『勇者ライディーン』の両方に名前をちなんでいるらしいこの曲こそ、私が「YMOの音楽なんて結構因襲的なもので大して新しくない」との印象を持つ大きな原因になっていることがわかった。高橋氏には申し訳ないけれども。しかしながら坂本がYMOのために書いた音楽や『戦場のメリークリスマス』の映画音楽などが素晴らしく進歩的だったとは依然として思えない。

 今日興味深く読んだのは2019年1月に公開された下記記事だった。

 

mikiki.tokyo.jp

 

 坂本龍一といえば高橋悠治(1938-)と親しいことで有名だが、武満徹(1930-1996)とはあまり合わなさそうだなと思って、以前にも調べたことがあるような気もしたけれどもネット検索をかけてみると、『武満徹電子音楽』という著書がある川崎弘二氏のインタビュー記事が引っかかった次第。

 若い頃の坂本が武満を批判していたことは予想通りだったが、武満が坂本が作曲した前述の『戦場のメリークリスマス』の映画音楽を高く評価していたことは意外だった。武満も多くの映画音楽を書いているが、それらは現代音楽の作曲家の手になるものだと思わせる音楽であるのに対し、坂本の『戦場のメリークリスマス』の音楽は武満の映画音楽とは比較にならないくらい保守的だからだ。

 しかし、それを含む音楽論は来週公開予定の読書・音楽ブログの記事に回すことにして、ここでは政治的な話題に絞りたい。

 上記リンクの記事から坂本の言葉を以下に引用する。

 

――坂本さんによる武満批判には〈邦楽器によるジャパネスクを安易に取り入れたこと〉〈大阪万博に芸術家が大量に参加したこと〉〈武満氏の成功によって邦楽器による作曲を追随する作曲家が多く現れたこと〉といったさまざまな要因も背後にあったのではないかと推測しています。

「そのころは邦楽器による演奏集団も結成されていましたが、音楽的には非常に貧困で、つまらないものもあったんですね。視点を変えてみればずっと邦楽でやってきた演奏家たちが、伝統音楽だけをやるのではなく現代の音楽も作っていこうじゃないかという気概に溢れていたとは思うんですけれども、音楽の内容が伴っていないというか、残念ながらそこにはいい作曲家がいなかったということになるんでしょうか。

60年代から70年代ごろというのは、ぼくだけでなく日本社会全体に少しでも戦前を思わせるようなものは反動だと決めつける空気がありました。風潮というより、とくに左翼でなくても当時の国民はそういうマインドになっていたんです。当時の日本社会では、その拒否反応というのはまだまだ強かったと思うんですよ。ですから武満さんにとって、邦楽器を使うということはそうとうリスキーな行動だったんじゃないかな。でも、いまから思えば武満さんには、そういうつまらないステレオティピカルな観念をぶち壊そうという気持ちもあったと思います。邦楽器を使ったから保守的だなんていう、そんな表層的な批判に屈せず、常に楽器の響きの豊かさや音楽の新しい可能性について考えていらっしゃった方だから」

――75年に竹田賢一氏らと設立された〈環螺旋体〉というグループについて、坂本さんは〈反武満的な、メディア論的な運動体〉であったと発言されています。そして、当時の現代音楽の状況を、民族性と切り離されたエリート性・階級性の強いものとして批判しています。

「そうねえ。毛沢東主義みたいなことにすごくはまっていて、芸術なんていう自立した美の領域なんてものは許さん、芸術なんていうものは人民に奉仕してこそ存在意義がある、というような非常に過激なことを言っていました。まあ、当時のゴダールなんかもそうで、彼はそれが原因となってトリュフォーとは訣別するんだけれども、当時の過激な若者はそういう考えを持っていたんですよ(笑)。

悠治さんも70年代には毛沢東主義にはまっていたし。悠治さんの自宅に竹田賢一さんと2人で伺って、長くお話ししたこともあったんです。だからそういう思想に対するアンチとして、武満さんという存在が代名詞になっていたんでしょうね。武満さんを深く研究して批判したというのではなく、武満さんといえば、美の小宇宙、自立した美の代名詞のように考えていたんじゃないかな。だから、芸術とか嫌だよね、みたいなノリでそんなことを言っていたんだと思います」

 

URL: https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/20368

 

 坂本龍一高橋悠治も70年代(おそらくは1976年頃まで)は毛沢東主義に嵌っていた。もっとも、以前にもネット検索をかけてこの事実に行き当たったことを思い出したので、もしかしたら過去の記事にこのことを書いたことがあるかもしれない。坂本や高橋の音楽的な思考はともかく、政治的な思考は結構紋切型だったということなのだろうが、彼らは政治家や文系の学者ではないから仕方ない。

 ただ坂本龍一で評価できるのは自らの認識をアップデートできていたことだ。それを示す映像が昨日(4/8)のTBSテレビ『報道特集』で流されたようだ。以下、125氏のツイートより。

 

 

 

 

 当然の態度といえばそれまでだが、若い頃に毛沢東主義者だった坂本が自らの思考方法を改め、思考をブラッシュアップできていたことはさすがだ。

 学者でもこれができない人は少なくない。その代表的な悪例が和田春樹や伊勢崎賢治である。