kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

坂本龍一死去

 坂本龍一が亡くなった。はてなブコメが多いスポーツニッポンの記事を引用する。

 

www.sponichi.co.jp

 

坂本龍一さん死去、71歳 「YMO」「世界のサカモト」がん闘病力尽く ラストエンペラーで日本人初快挙

 

 「世界のサカモト」と評された音楽家坂本龍一(さかもと・りゅういち)さんが328日、死去した。71歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで営まれた。

 

 スポニチ本紙の取材では都内の病院で亡くなった。日本における坂本さんのマネジメント会社「キャブ」も「坂本龍一が去る202332871歳にて永眠いたしましたした」と発表した。206月に直腸がんと診断され、両肺などにも転移しステージ4と公表していた。「キャブ」は「がんの治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動をつづけ、最期まで音楽と共にある日々でした」とした。

 1980年代に3人組バンド「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)で世界的ヒット曲を生み出した。映画音楽でも知られ、88年には米映画「ラストエンペラー」で米アカデミー作曲賞を日本人で初めて受賞した。晩年はがん闘病が続いたが、最後まで音楽作りに情熱を注いだ。

 昨年1211日に全世界配信されたピアノのソロコンサートが、最後の公の場になった。同9月中旬に事前収録。体力面を考慮し1日数曲ずつ演奏し、数日かけてコンサートに仕立てた。今年1月に「YMO」で共に活躍した高橋幸宏さん(享年71)が死去した直後には、SNSにグレーの画像を1枚投稿。コメントはなく、それが逆に悲痛な思いをうかがわせた。

 3月初旬には、東京・明治神宮外苑の再開発見直しを求め、東京都の小池百合子知事らに手紙を送った。329日に配信された共同通信の書面インタビューでは「音楽制作も難しいほど気力・体力ともに減衰しています」と現状を明かしていた。坂本さんは同28日に死去しており、その翌日にインタビューが配信された形になった。

 14年に中咽頭がんと診断され、治療の末に寛解。だが、直腸がんと診断された206月には、治療しなければ「余命半年」と告げられた。手術では、最初にがんが発生した原発巣と肝臓2カ所、転移したリンパの腫瘍、さらに大腸を30センチも切除。両肺に転移したがんを摘出するなど、1年で6回の手術を受けた。その後は通院して投薬治療を続けてきた。

 3歳からピアノを始め、小学2年の時にバッハの音楽に傾倒した。東京芸術大作曲科を経て、78年に高橋さん、細野晴臣75)とYMOを結成。79年に当時斬新なシンセサイザーを使った音楽が海外で受け、世界ツアーを2度成功させた。国内では竹の子族がヒット曲「ライディーン」を踊るなど、社会現象になった。

 俳優としても活躍し、83年公開の映画「戦場のメリークリスマス」では、英ロック歌手のデビッド・ボウイさん(16年死去、享年69)と共演。男性同士のキスシーンも熱演し、話題となった。

 劇中音楽を手掛け、出演もした米映画「ラストエンペラー」(87年公開)では88年の米アカデミー作曲賞を日本人で初めて受賞した。同作では米音楽界最高の栄誉とされるグラミー賞も獲得。米エンタメ界2大タイトルを初めて受賞した日本人となった。

 理知的で「教授」のニックネームでも親しまれた。興味こそ原動力で、既成の価値観にとらわれず、やりたいと思ったことに全力で取り組んできた坂本さん。最後まで文芸誌「新潮」での連載で音楽観や死生観を語るなど、敬愛するバッハのように情熱は尽きることがなかった。

 マネジメント会社「キャブ」の「ご報告」は以下の通り。

 ご報告

 わたくしども所属の音楽家/アーティスト 坂本龍一が去る202332871歳にて永眠いたしました。謹んでご報告申し上げます。

 20206月に見つかった癌の治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動をつづけ、最期まで音楽と共にある日々でした。

 これまで坂本の活動を応援してくださったファンのみなさま、関係者のみなさま、そして病気治癒を目指し最善を尽くしてくださった日米の医療従事者のみなさまに、あらためて深く御礼申し上げます。

 坂本自身の強い遺志により、葬儀は近親者のみで済ませておりますことをご報告したします。また、弔問、ご香典、ご供花につきましても謹んで辞退申し上げます。

 最後に、坂本が好んだ一節をご紹介します

 Ars longa, vita brevis

 芸術は長く、人生は短し

 

スポーツニッポン 202342 21:15)

 

URL: https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/04/02/kiji/20230402s00041000763000c.html

 

 私は正直言って坂本の音楽が後世に残るかどうかについては懐疑的なのだが、「小学2年の時にバッハの音楽に傾倒し」たという、まあこれは大袈裟な表現であって実際には教材として初めて与えられたバッハのインヴェンションが気に入った*1という、今年90歳を迎えたピアノ・ハープシコードの奏者・小林道夫*2と似たような話だったようだが、それでも坂本が生涯バッハに傾倒していたのは事実だ。東京芸大を出た彼が本来やりたかったのは現代音楽のようなのだが*3、現代音楽で飯を食うのは至難の業なので大衆音楽の道を選んだのだろうと推測している。

 坂本の訃報を受けてかけたネット検索で、もっとも印象に残ったのは韓国・ハンギョレ新聞の日本版に掲載された下記記事だった。

 

japan.hani.co.kr

 

 タイトルの「盗作論争」は、坂本がパクった疑惑ではなく、坂本が韓国の作曲家兼歌手にパクられたのではないかとの論争を指すらしい。おそらく韓国で大きな騒動になったものだろう。

 以下に記事を引用する。

 

 作曲家兼歌手のユ・ヒヨル氏が、日本の世界的な映画音楽の巨匠であり作曲家である坂本龍一氏の曲を盗作したという疑惑が最近明らかになった。これについて、坂本氏が本紙のインタビューに直接答えた。

 

 坂本氏は「盗作(かどうか)の線引きは、専門家でも一致した見解を出すのが難しい」と明らかにした。そして、「音楽の知識と学習からは独創性を作りだすことはできず、独創性は自分の中にある」と強調した。

 

 ユ・ヒヨル氏は昨年9月、「生活音楽」のプロジェクトの一環として出したピアノ演奏曲「とても私的な夜」が、坂本氏が1999年12月に発表したピアノ演奏曲「Aqua」に似ているという議論について、先月、「類似性を認める」と謝罪した。これについて坂本氏は、会社を通じて出した声明文で、「類似性を確認したが、盗作ではない」と明らかにした。

 

 坂本氏は最近行われた本紙との単独書面インタビューで、「盗作の判断基準は何か」という質問に対し、「(作曲家は)音数の制限された音階に基づいてメロディーと和音を作るため、必然的に多くの曲は似たものになる」と述べ、基準を明らかにすることに対する難しさを露わにした。

 

 作品が似たようなものになっていく具体的な例として、「ある作品は不可抗力で似てしまうこともあり、ある作品は明らかに似させたり、またある作品はそのまま書き写した曲ということもあるだろう」と指摘した。しかし、「その(盗作かどうかの)線引きをどのように判断するかは、専門家でも一致した見解を出すのは難しいと思う」と述べた。

 

 これに先立ち、坂本氏は声明文を通じて「すべての創作物は既存の芸術からの影響を受ける。そこに自分の独創性を5~10パーセント程度加味すれば、それは立派であり感謝すべきこと」だとしたうえで、「私も、尊敬するバッハやドビュッシーから強い影響を受けている曲がいくつかある」と明らかにしている。

 

 これについて坂本氏は、自分も他の作品からどれくらい影響を受けたのか、それを乗り越えるためにどのような努力をしたのかを打ち明けた。坂本氏は「私の場合、音楽的な素養の90パーセントは洋楽からきていると思う。それ以外には、現代ポップスやロック、日本の伝統音楽の影響も何パーセントかはあるだろう」と述べた。

 

 さらに、「イエロー・マジック・オーケストラYMO)を始めた時は洋楽の伝統知識を用いたが、その後、これではだめだという思いから、学んだことを忘れようと努めた」と語った。YMOは1978年にデビューした日本の3人組みバンドで、坂本氏がキーボード、日本ロックの伝説と呼ばれる細野晴臣氏がベース、高橋幸宏氏がドラムを担当した。ポップスとロックンロールに基づく電子音楽に現代音楽の要素も加味するなど、実験的な音楽を追求し、日本のポップスの歴史で一時代を画したという評価を受けている。彼らの曲「Behind the Mask」は、マイケル・ジャクソンエリック・クラプトンがリメイクしたほど、大変な人気を集めた。

 

 坂本氏は「それまで学んだことを忘れるために接したジャンルが『レゲエ』だった」という。「レゲエは洋楽にはない単純な音楽だが、レゲエの音の森の中には、驚くほど複雑な風景が広がっていることを知った」とし「その複雑さは、決して(たやすくは)姿を現さない」と語った。単にジャンルを変えたからといって独創性をたやすく得られるものではないという話だ。

 

 坂本氏は、独創的な作品を作ることについて話を続けた。「音楽にはスタイルがあるので、知識と学習で習得することはできる。つまり、才能がなくても知識と技術で作曲はできる」という。しかし、「すべての知識は過去の集積であるため、そこには独創性はない」とし、知識と独創性の間に一線を引いた。

 

 そして、「独創性は自分の中にあるもの」だと語った。坂本氏は「(作品を作るたびに)常に『これでいいのだろうか』『他の可能性があるのではないだろうか』『これは自分が好きなものだろうか』と問いかける。(独創的な作品を作るためには)そのようなかたちで自分に問いかけ、一つひとつ解決していくしかないと思う」と強調した。

 

 作品で独創性を維持することは、芸術家によって異なるだろうが、坂本氏はそれほどつらいとは感じないと語った。その理由は「新しい響きやメロディーが生まれた時の喜びは格別であるため」だという。また「(独創性を作る過程が)いかに苦しかったとしても、創作の喜びで(苦しさが)消えてしまうため」だと強調した。

 

 1952年生まれの坂本氏は、東京芸術大学の作曲科と大学院を修了した後、『戦場のメリークリスマス』(1983)をはじめ、『ラストエンペラー』(1987)、韓国映画天命の城』(2017)など、多くの映画音楽に携わった。『ラストエンペラー』ではアジア人としては初めて、米国のアカデミー音楽賞とグラミー賞を受賞した。

 

 坂本氏はステージ4のがん診断を受け闘病中だ。現在、日本の文芸雑誌「新潮」でがん闘病記『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』を連載している。

 

チョン・ヒョクチュン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/culture/music/1050397.html

韓国語原文入力:2022-07-11 23:11

訳M.S

 

ハンギョレ新聞日本語版より)

 

URL: https://japan.hani.co.kr/arti/culture/44024.html

 

 上記は日本のネトウヨならおそらく大いにいきり立ったに違いない件だが、坂本は実に冷静かつ謙虚だ。

 坂本は少なくとも一昨年に亡くなった小林亜星よりは音楽家としてもずっと格上だったと思われる。小林は服部克久に盗作されたとして訴訟を起こしたが、自身が作曲した『北の宿から』のメロディーがショパンのピアノ協奏曲に酷似していたのだった。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 坂本龍一氏の死にお悔やみを申し上げる。